【Legacy Ocean Report】#31 猛火の星、大洋の鯨
午前一時半。牢屋の中で映し出されたホログラム映像を、蒼いケープの集団が食い入るように見ていた。一人はローブに身を包み、残りは鎧と槍で武装している。
「…信じがたい。信じがたいが紛れもなく真実だ。姫様は生きておられたのだ。……立派な姿になられて…。」
ローブの老人、キリノが真っ先に口を開いた。
彼はヴァルハイ姫の教育係でもあり、彼女が警備の隙を付いて嵐の中城を抜け出し、行方をくらました件で決して軽くない処罰を受けた。もちろんその後ろの兵士達もだ。だがそれ以上に、オケアノス家が受けたダメージは重かった。彼らは密かにフレイミー家による陰謀すら疑っていたが、現実はさらにその上を行った。
「姫様はいかなる経緯でその国に?」
「詳しくはわからない。当時の指導者が海岸で倒れていたところを保護したと聞いている。だがその指導者も、後に街の運営を巡る対立の中で表舞台から去ってしまった。」
ボストークはモバイルインベントリのニュースリリースを見返す。レガシーオーシャンの出現と電子情報遺産の採掘を巡る人口爆発、都市名コードを含む大規模な再編。そして、一人の男性がVRダイブ中に急死したニュース…。
「例えば私なんかは、トッシャーシティからこの海まで通じる抜け穴に飲み込まれて落ちてきたわけです。どっちが上か下かなんて大きな目で見れば比喩でしかないわけですから、運悪く通り道があったんですかねぇ。」
薄暗い中、両者はそれぞれの住む世界について簡単に情報交換を行った。この魚に化身する者達の王国は、かつてより広大な"海"に存在していたという。それが何百年か前の嵐と、それに続く未知の敵の襲来の後、突如国全体が霧に包まれこの地に転移したのだと言う。
「もっとも、実際に見た者が生き残っている訳でもありませんがね。どこまでがお伽噺なのやら。」
彼らの年齢は分からないが、ヴァルハイ姫の成長のしかたからして人間とそう変わらないであろう。かつてこの国が別の世界にあったと言われても、実感が湧かないのだ。
「どう思う?」
レイが怪訝な目で見上げた。
「確かに、ゴードン達の宇宙船が地球に到達したのが、その辺りなのが気になる。端末達が何かやった可能性はある。だがあくまで憶測を出ない。」
メカニカルな鎌首の先で、監視カメラに似た頭が見下ろす。気になることばかりだ。だが今はこの状況を打破しなければ。
「君達が思っている以上に、我々にとってこれは一大事だ。」
牢屋の外、後ろで腕を組んでいた大柄な兵士が呟いた。
「我々は取りようによっては、ヴァルハイ姫の使者を捕まえ有無を言わさず牢にぶちこんだことになるのだぞ!」
周囲の兵士がざわつき、殺気立つ。
「あなた達の事情はわからないですけど、こっちはどうにかして解放してもらって帰還ルートに復帰したいんですよ!この子達は兎も角私らは…むぐっ!?」
壁にもたれ掛かっていたシュミットが起き上がり、ジーンの小柄な体を押さえ込んだ。
「作戦を立てましょう。出せるカードは二つ。一つは警備の穴を突いて脱出。あなた方の協力があれば比較的用意ですが、まず間違いなく追っ手が来ます。それにあなた方は濡れ衣を着せられるでしょう。」
「…もう一つは?」
「何らかの方法でフレイミー家の権威を失墜させ、我々を投獄した正統性を喪失させます。」
「何!?」
その場にいた全員が、思わぬ提案に言葉を失った。
バーチャル空間として作られた何千という電脳都市からデータストリームの大規模構造の果て、ブラックボックスの先に隠されしもう一つの海「アナザーオーシャン」。そしてその一角に発見された、直径三百五十キロメートルに及ぶ、未知の知性体からなる文明圏。我々は暫定でこの場所を「ヴォーテックス(渦)」と呼ぶことにした。彼らの言葉のままでは発音が困難で、また周囲に何もない世界で何百年も過ごしてきたため、彼ら自身固有名詞で呼ぶことが無くなっていたのだ。我々が世界を「ミッドガルド」と呼ばないように。
彼らは任意に自らの肉体をメタモルフォーゼさせ、サメの姿に変えることが出来る。ただしより頑強で、その状態でも陸上を仰け反って跳ねる位は出来るという。また、変身できるサメの種類は人によって固定されており、頭だけサメなど中間の姿を取ることも出来ない。
彼らはその歴史の知られる最も古い時代から二つの王族による支配を続けてきた。現在政権を握っている穏健派のオケアノス家と、旧時代の大戦を指揮したと語られる強硬派のフレイミー家だ。どうしてヴォーテックスに二つの王族が存在するのかは歴史の荒波に消え、もはや文献にも残されていない。何はともあれ、我々は彼らの事を統合された紋章になぞらえ「マーシャリアン」と呼ぶことにした。
そして、長い歴史の中で彼らは外に世界など存在しないという認識に至り、自然とオケアノス家の優勢な状況に傾いていった。それからさらに半世紀。長く屈辱の歴史を続けてきたフレイミー家だったが、ヴァルハイ姫の失踪にかこつけ、ここにきて揺さぶりをかけてきたのだ。そして、未知のアンバサダーの出現。
「彼らは我々に外海からのスパイというレッテルを貼り、自分たちの主張の根拠とするつもりです。同時に、軍備増強を怠ったとオケアノス家への糾弾を行うでしょう。この一点を崩すことが出来れば、彼らの政略を失敗に終わらせることが出来るはずです。」
「しかしそんなことが…。」
慎重な姿勢を崩さないキリノ達に対して、身を乗り出していたシュミットはボストークに向き直った。
「ボストーク。オケアノスの…ヴァルハイ姫の記録映像はどれだけある?」
「本気か。」
「僕らは時間が迫っているんだ。いざとなったら交戦も辞さない。」
シュミットのブレーサーが赤熱し、掌の上で一瞬火球を生み出す。マーシャリアンの兵士たちが突然現れた、熱を伴う閃光に驚愕する。
「気を付けろ、それはあくまで最後の手段だ。ここにいる全員を敵に回すような真似だけは、何としても避けなければならない。」
それから半日。王都中央広場は妙な緊張に包まれていた。ここは二つの王家の統治領域の中間に位置する緩衝地帯であり、正午からフレイミー家の演説が行われる手はずになっている。現当主ノーマン・フレイミーを筆頭に、前当主にして老獪な参謀ドレイク、それに遠い傍系の子孫であるサガンやフィル、ダランティといった面々が続くという。
「一族勢揃いで我々を見せしめにし、自分たちの主張が正しい何よりの証拠としようというのか。」
フレイミー家に属する紅色のケープを纏った兵士達が周りを取り囲み、決して逃がさんと言わんばかりに、威圧的に槍の石突でタイルを度々小突いた。
レイは妙な視線を感じ兵士の一人を見上げ、こちらを横目で睨み付けていることに気付く。人と魚の姿が混ざり合ったその姿は彼らにとって、とりわけ奇怪で歪んだ姿に見えたのだ。彼らはこのエイ魚人を裏切り者とでっち上げるのだろうか、それとも外海人の所業の犠牲者と呼ぶのだろうか。
広場の中央に、一行は連れてこられた。周囲には一際重武装の衛兵がずらりと並び、軽蔑の眼差しを浮かべている。広場は周囲に向かってゆるい傾斜と段差がコロッセオ状に続いており、その外縁では沢山の見物人が好奇心から群がっていた。
「まるで、アリジゴクの巣の底だな。」
周囲を見渡したが、キリノたちオケアノス家の者の姿は見えない。
やがて昨日の採決のように、重く響く宣言が始まった。
一際大柄な、眼光鋭い尊大な男。間違いない、彼がノーマンだ。続いて両脇の軍楽師が複雑にねじ曲がった金管を吹き鳴らす。この御方こそ、この大海の王国に君臨すべき正当なる支配者だと言わんばかりに。その後ろには一族の有力者たちが一堂に会し、民衆を見ては満足げに言葉を交わしていた。
だが、彼らの言葉はいまだ分からない。残骸から我々の言葉を復元したオケアノス家の知識は、フレイミー家には伝わっていないのか。一定の法則性があるのは確かだが、構文推定プログラムでも頓珍漢な訳語が控えめな精度と共に出るばかりだ。やがて、ノーマンは壇上に歩み出ると、我々を睨み付け、そして広場全域に響くほどの声で演説を開始した。
言語の仔細はわからずとも、彼の大仰な口調で何を言っているか大体想像がついた。シュミットが指摘したように我々を侵略者のスパイだとでっち上げて、政争のいい材料にするつもりなのだろう。そして最悪、我々は始末されることもあり得る。そして取り囲む何万という人々。どうやってこの場を切り抜ければ。
「非戦闘員が大半とはいえ、この数…。」
芝居じみた、歌舞伎の様な儀式的演説は三十分に渡って続き、やがて再びホーミーの様な長く、重く響く声で締めくくられた。そして辺りが静まり返るのを確認すると彼は、周囲に待っていた近衛兵に目配せし、我々を鋭く指差した。ハルバードに似た長槍を構えた近衛兵が一歩、また一歩と階段を降りながら近づいてくる。その数実に二十。そして周囲を取り囲んだまま石の柱の如く動かない衛兵。その瞳は、しっかりと我々を捉え続けていた。
槍の穂先をこちらに向け迫る、身の丈二メートル近い偉丈夫達。それはまさにサメの群れに取り囲まれたダイバーの様だった。上段では、ノーマンの後ろで車輪付きの椅子に座っていた老人が、我々を指差しながら笑っている。近衛兵が槍を立てて構え直し、儀礼的に石突でタイルを突いた。
その時だった。広場全体がガタガタと余震のように揺れ、同時に落ち着いた女性の声が周囲一帯に響き渡った。
「私の名はオケアノス=ヴァルハイ。この街のキャピタルマスターだ。」
「十年ほど前、この電子の海辺で倒れていた所を保護された。」
「それ以前のことは最早、自分の名前以外何も覚えていない。だが海を見るたび、形容しがたい激しい感情がこみ上げてくるのだ。まるで、遠い海の彼方に私の故郷があるかのように。」
「もしそうだとしたら、故郷の民は今頃どうしているだろうか。もう、私の事など忘れ去ってしまったであろうか。」