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【Legacy Ocean Report】#09 器の墓場

何千という電脳都市を結び築かれた広大なバーチャル空間、メガロチェイン・ネットワークス。その一角で発見された全体像不明の未知のサイバースペース、ヨルムンガンド・システムを調査する試みは、自我を持つアバターによる特別部隊「アヌビス」のロストによって無期限中止となった。しかし、アヌビス隊は生きており、空間バイパスに飲まれ放り出された未踏破領域からの帰還を目指して、未知の電子空間を進んでいたー

木材オブジェクトが壁面に配され半ば坑道のような様相を呈した電子の洞窟を、アヌビス隊の三人は進んでいた。時々、壁から突き出た巨大な結晶を殴り付ける、身の丈3mはあろう煉瓦の人形とすれ違うことがある。十数年前に電脳都市アプリコットに出現、破壊活動を行ったとされるゴーレムと呼ばれる存在だ。もっとも、ここにいる個体は大人しく通り過ぎるだけなら、気にはすれども襲い掛かってくることはない。どうやら自我が希薄な存在らしく、本能か設定されたプログラムに沿って周囲の異物を排除しているに過ぎないようだ。アプリコットでの激しい戦闘は、偶発的に発生したポータルによって彼らが地上の都市に吐き出された結果の、不幸な邂逅なのだろう。

「…ってことは、この辺りから何処かの都市に繋がるポータルが現れる可能性もあるってことだよな?」
「あの後再現されていない事を考えるに、望みは薄い。だが実際起きた事象である以上、周りに注視する程度の価値はあると思われる。」
三人が周りを見渡すのに合わせて、ヘッドランプの光が壁や天井を這い回る。だが明かりに照らし出されるのは、どこまでも続くいびつなチョコレートブラウニーのような光景だった。過去の電脳都市カタログにも、こんな都市の記録は残っていない。この場所は、いったいどのようにして形成されたのか。恐らくやそれがメガロチェインの謎を解くカギになるのであろうが、今の彼らにそれを考える余裕はなかった。

時折、明かりがふっと途切れることがある。壁に穴が開き、隣の通路に通じているのだ。本物の坑道が迷路のようになっているように、電子の魔窟ヨルムンガンドもまた、侵入者を閉じ込めて置くのにふさわしい難解な構造をしている。アヌビス隊は、ひとまず穴は無視して直進する選択をした。エイ魚人のレイが前方をライトで照らしながら先導し、多足ロボット型のボストークとその背に乗った少女型のジャスミンがマッピングしながら続く。

「お……?」
レイが立ち止まった。前方で地面を照らしていたライトが急に遠くへ飛んだ。
「どうした、行き止まりか……?」
そこまで言ったところで、ボストークは足元に向けていた視線を大きく上げた。前方、かすかに光を放つ靄が漂っている。レイのライトはそれを貫通して数十メートル彼方を照らしていた。靄は触れるとカーテンのように軽く押し退けることが出来、その内部は周りの肌寒い空気と比べて、幾分温もりを湛えていた。

それは、野球ドームほどもある巨大な空隙だった。ボストークの頭部のコンティネントスキャナが空間の端までの距離を測ると、最大で二百メートル近くに達する所もある。天井には青い光が星空のように散らばり、この常闇の大部屋を照らしていた。
「……まるで星空みたいだ。もっとも、俺のいたベルガモットの空もスクリーン投影なんだけど……そう考えると、悲しくなるな。」
「悲しんでばかりもいられない、あの光源の正体が何かも調べた方がいい。物理空間の洞窟には、星空に擬態して天井に潜み獲物を捕らえる捕食動物がいるという。安全なものとは限らない。」
レイとボストークが頭上を見上げている一方、ジャスミンは足元に生えたキノコに似た植生電子生物を採集していた。キノコの傘は青紫や暗赤色で、心臓のように緑色のパルス発光を走らせていたが、無邪気な少女がそれを引き抜くとたちまちパルスは消滅した。

「つぎは………ひぃっ!!」
ジャスミンが足元に転がっている木の根のようなものを掴もうとした瞬間、彼女は反射的に後ろに飛び退き悲鳴を上げた。
「どうしたジャスミン!無事か!?」
二人は天井を向いていた視線を一気に下げた。レイは、ジャスミンが触れようとしていた物体を掴み上げると、ヘッドランプで照らした。
「これは……アバターの手?」
それは、千切れた人型アバターの手だった。ここに迷い込んだ何者かが、恐るべき捕食者にやられたのか。それとも何らかの事故で破壊されたのか。

自我を持つアバター、スケープゴートには捕食者と呼べる存在はいない。今のところ。もちろん映像で外の世界の食物連鎖は知識として知っているし、ヴァリャーギ隊構想で捕食性電子生物に関する講習も受けた。だがそれ以上に、今までいまひとつ実感のわかなかった捕食者の恐怖が彼らを包み始めていた。
「なあ、ゴーレムやトロイだって、アバターを取って食ったりはしないんだよな?ドラゴンの陸生種なんて見つかっていないんだよな?これはきっと廃棄されたコンティネントの一部なんだよな!?」
不安に駆られまくしたてるレイに対し、ボストークは大部屋の底を舐めるように眺めていた。
「…ボストーク?」
「地面に、全く違うコンティネントの反応がある。少なくとも数百種類。まるで、電脳都市で廃棄されたアバターが行き着く、墓場のようだ。」
三人は手分けして地面を覆う下草や砂利をかき分け、ライトで照らした。するとスキャナの反応の通り、地面に半分埋まった無数のアバターが足元を埋め尽くしていた。

「スキャナの反応を信じるなら、我々の足元には無数のアバターの残骸が転がっている事になる。恐らく、これらは回廊に通じている未知のデータストリームに乗ってきた物で、損傷が酷いのはここに辿り着くまでに劣化している為と思われる。」
「じゃ、じゃあおっかない化け物に取って食われたって訳じゃないんだな?」
レイは平静を装いながらも未だ震えていた、生まれてこの方初めての死の恐怖だったのだ。
「トッシャーシティ沿岸部の噴流河口では噴出するダストデータに紛れて、時折アバターの残骸が吐き出されてくることがあるという。今まで経路不明とされていた底層データストリームが、ここを通っている可能性がある。」

それは地の底、地獄のような光景で掴んだ希望だった。この回廊は、地上世界と密接に繋がっている。一つでいい、二つの空間に渡された糸を掴むことが出来れば脱出できる。
「…少しだけ、希望が見えたな。」
ボストークは周りを見渡しながら呟いた。
「どうしたの?」
「…何とか、帰れそうな見込みが立ったんだ。」
レイは力なく横たわるアバターの一つと目が合い、じっと見つめ合っていた。魂なき人形の回廊より暗い瞳は、それが本来の姿であることを忘れさせる程に哀愁を漂わせていた。
「…こいつには意識が無いと、わかっていても置き去りはつらいな。」
こうした廃棄アバターの大半はメーカーによる量産品で、例えこの回廊から吐き出されてもリバースエンジニアリング防止のために即刻廃棄されるのだが、ボストークは水を差すまいと言わないことにした。

その時だった、レイ達の背後でホールの壁の一ヶ所が突然爆発した。
「何だ!?」
振り返った三人の目に写ったのは、数体のゴーレムが強い衝撃を受け、ひしゃげて宙を舞う姿だった。3mはあろう煉瓦の巨人はホールの底に落下し、衝撃で胴体が砕け散った。
「ゴーレムが…。」
「どうやら、本当にまずい相手のお出ましのようだな…。」
三人の視線の先、土煙パーティクルの中から現れたのは、数十体の人型アバターが組み合って巨大な蜘蛛の姿を成した、悪夢のような存在だった。