【Legacy Ocean Report】#18 そして僕らは夜を知った
海上に浮かぶ点の様な小島。その中心で焚き火を囲む一団の頭上を、無数の星が照らしていた。あの星の一つ一つが太陽と同じか物によってはもっとでっかい代物で、その中の一つに過ぎない太陽の周りを回っている星のひとつが地球だ。
凍てつく砂漠やガスの塊みたいな惑星達の中にあって偶然海を湛えた地球は生命を、そして人類を生んだ。人類は文明を発達させ、星の表面に夜を照らす光がもたらされ初めた。
文明とは知識や経験の蓄積とその継承の繰り返しだ。古代文明の中には継承が完全に途絶え、最早当時をうかがい知れない物もある。やがていくつもの戦乱を経験した人類は、破滅を阻止するため情報を共有する高度な通信網を築いた。ビッグバン宇宙の縮図の如く発展した情報空間はやがて、電子の海と例えられるようになった。
そんな電子の海に理想的な世界を造り上げる試みは何度か為され、その幾つかは一定の成功を納めた。
「成功、か…この華々しい歴史のどこで、こんな大仕掛けが動いていたのやら。」
電子の迷宮ヨルムンガンドを抜けた一同が辿り着いたのは、情報の瀑布が注ぎ込まれる広大な海だった。だとすれば今見えている夜空は、そして星々は何なのだろう。
夜空に散りばめられた星々は、実物と何一つ違わないように見えた。手元のライブラリの計算によると、オーストラリア北西諸島部の天球と酷似しているらしい。そのくせ彼らを吐き出した迷宮の出口は、濃い霧に覆われて確認することが出来なかった。
「大空に放り出されたとき、足元ばかり気にして頭上に目が行かなかったな。あの滝の注ぎ口はどうなってたのやら。今や雲の向こうで見えやしない。」
「このエリアは途方もない大部屋で上端はあくまでも天井なのか、それとも空間に直接穴が開いていたのかもわからないね。そうだボストーク、君…確か飛べなかったっけ?」
視線が6本足の大きなロボットアバターに集まる。ボストークの胴体下には、高速滑走用の車輪とフライトコンポーネントが付加されたスラスターが装備されているのだ。
「無理だ、落下する時駄目元で試したがフライトコンポーネントが動作しない。どうやらアバターの飛行属性が無効化されるらしい。」
かつて電脳都市を侵食して広大な海洋型電子空間が出現した事件の際、調査チームから航空システムがうまく動作しないという報告があった。そしてこの海もまた、同様の挙動を示しているように見えた。
「参ったね…この空間からの出口を探すのに空を使えないとなると、上空から見渡すことも高速で飛び回る事も出来ない訳だ。」
ハイエルフアバターのシュミットは溜め息をついた。他の3人がアバターデータに未知の要因で自我が宿ったものなのに対し、彼には物理的な人間の体がある。ヨルムンガンド内部に閉じ込められて以来通信断絶状態にある肉体との接続を、一刻も早く回復しなければならないのだ。
上古の民の瞳に、焚き火の熱で揺らいだロボットの姿が映る。彼が元人間であり、肉体が既に死んでいるという現実が否応なしにシュミットを焦らせる。
海面に投げ掛けられた星明かりは、絶え間なく流れ落ちる滝の引き起こす波に乱され、水面下に何がいるか全く教えてくれない。電子魚シミーの様な無害な相手ばかりとは限らないのだ。
焚き火の周りに魚を串に刺したものを並べ、今夜はこれで腹を満たすことにした。迷宮内で食べたアバターの残骸を加工したインゴットを考えれば、随分な御馳走だ。火にくべられた薪はパチパチと音を立てながら割れ、赤い光を散らす。それはもう電脳都市や迷宮の時のようなパーティクル粒子ではなく、本物の火の粉のように見えたが、それが何故かは分からなかった。
亜人の少年レイが串焼きの魚を手に取り、やすりのような歯が並んだ口を開くと、豪快に喰らい付く。それを見ていたジャスミンは負けじと大口を開いたはいいが、熱いのか結局少しずつ齧っていく。
「いい食べっぷりだね、そういえば君はサメのデザインなんだっけ?」
シュミットは二本目に手を出そうという魚人の少年に尋ねた。夕食会で大分緊張が解けたらしい。
「エイだよ、どっちも映像でしか見たことがないけど。海を泳いだのだってさっきが初めてさ。ベルベットラグーンにいたときはずっと路地裏、ベルガモットに移ってからも谷底みたいな町でこんな光景には縁が無かった。」
「なるほど、その割には十分泳げるようだが、やはり適正というものか。ただあまりしっかりとは見えなかったが、この海域は相当深いようだ。海底が見えなかった。」
昼間に彼らめがけて降ってきた機関車は結局、海底に沈んでいったまま二度と浮かんでくることはなかった。この暗く深い海の底には、ああした残骸が大量に降り積もっているのだろうか。
「せめて船の一隻でも沈んでいれば、引き上げて使えるかもしれないんだけどなぁ。」
レイは砂に自らの手を埋めて、海原を行く船に見立てて見せた。
「やってみる価値はあるが、ダストに埋もれた廃船を回収するのは簡単ではない。運よく損傷が少なかったとして、動力はどうする?」
砂地を進んでいた魚人の手が止まった。
「手で漕ぐわけにもいかねぇし…帆を張ってみるか?」
「帆船かぁ、ロマンだね。ただ僕らにはこの海の風…グラファイトブロウに関する知識が全くないんだ。」
そう言いながらシュミットが掲げた指の間を、微かな風が抜けていく。洞窟の時とは違う、暖かい南風。だがそれに混じって、電子空間を飛び交うグラファイトブロウ…文字情報のダンプポストが自分たちを貫通する独特の感覚がある。
「一流の航海者ならブロウポストを瞬時に読み取れるなんて眉唾な噂もあったがな。もちろん我々にそんな力はない。移動手段と同じくらい深刻な問題として、どこへ向かえばよいのか見当がつかない。」
ボストークは改めてスラスタのスイッチを入れ直してみたが、点灯こそすれど全く機能しない。長い首がアンニュイに弧を描く。
「長い旅になりそうだね……。」
シュミットの脳裏に、一瞬この海でずっと生きて行く選択肢が浮かんだが、すぐに振り払った。穏やかなる終末の皮を被った破滅を受け入れてはいけないし、ここにいる仲間たちを巻き込んではいけない。
何とかしてこの海から帰還を果たせば、ヨルムンガンド・システムやこの海に関する知見を持ち帰ることが出来る。大蜘蛛やラタトクスのような危険な電子生物や、データストリームの流れについても。逆に完全にロストしたとなれば、この未知の空間は調査停止のまま置かれることになるかもしれない。それは電脳都市の人々を危険にさらす可能性もあるのだ。
「なんにせよ今日はもう休もう。腰を据えなければならないなら、尚更焦りは禁物だ。」
「そうだな、冒険だと思って楽しむことにするか。」
「あ、あれ!」
頭上を、流れ星が駆けてゆく。
「よし、先ずはあの星が落ちて言った方角へ向かうか!」