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【Legacy Ocean Report】#30 遠い海から来た子

インターネットが発展して早十数年、世界はページを捲るが如き勢いで移り変わり、数多の界隈の栄枯盛衰を繰り返した。そして二十一世紀に入った今、最新鋭の技術がここにある。

いや、ここに居ると言うべきか。

メガロチェイン・ネットワークス…技術フォーラムの一ポストに過ぎなかったこの謎めいたバーチャル空間プラットフォームは、当時群雄割拠状態だった有力VRSNS達を押し退け、王者となった。

端末性能への依存性が低い高性能描画システム、解像度の概念を嘲笑う圧倒的現実感。そのからくりの多くはAPIの向こうで行われており、ワールドシステムであるコンティネント…いわゆる電脳都市の管理者達にとってさえブラックボックスだった。

しかし、その頑強さと利便性は他に代えがたかった。業界第二位、オフィーリアの経営破綻に加え三位であるサブリナが突然のサーバーダウン、数ヶ月に渡る沈黙の末サービス終了と相成ってからは尚更だった。

気付けば、電脳都市の数は八百を越えていた。勿論雨後の竹の子の如く現れたその全てが生き残れるはずもなく、現在でも稼働しているのはその半分程度だという。世知辛い話だ。

今、私が居るのは電脳都市バラバ。何を隠そう私の町だ。目指したのは外部からの旅客や宣伝等の量を制限し、緩やかな時の中で過ごすストレスレスな世界。余所者は閉じ籠った世界だの潜窟だの言いたい放題言ってくれたが、世界中から雑音が聞こえてくる方がよっぽど異常じゃないかね。

前世紀の終わりに訪れた、南欧の港町をモチーフに作られたこのコンティネントは、いざこざが起こらないよう入念に設計されていた。ポータル登録人口は六百二十名、これでも大分増えた方だ。都市規模を考えても人口は千人程度が限界だろう。

海岸沿いに続く道を散歩するのがここ最近の日課、これがやりたいがために高価なトラッキングシューズと専用の赤外線スキャンルームを仕入れたのだ。窓の外の止まない雨の事さえ、たちどころに忘れてしまう多幸感がそこにはあった。


私はバラバ四番区画から一番区画を目指す。一番区画はメインストリートから見ると裏手側であり、ノースショアを思わせる静かなビーチが広がっている。誰も居ないことの方が多いこの場所で私は座り込み、瞑想に浸る。

折角VRゴーグルを着けていながら目を瞑ってどうすると思われるかもしれないが、全周環境音のなせる技か、頭の中に不思議と周囲の景観のイメージが流れ込んでくる。

だが、その日は様子が違った。

一番区画海浜地帯で私が見たのは、蒼い髪の少女。
倒れ込んだままピクリとも動かない。
「そこの君、そんなところで何をしているんだい?」
普通ならただの変わり者と放置しておくべき話。早朝のこと、単に眠り込んでしまっただけかもしれない。あるいは端末の電池切れで止まってしまったのかもしれない。

しかし悪いことに私はこの町の管理人。もし急病で気を失っていたりしたら大事だ。先日の都市管理者会合でも、スーツ型触感デバイスに不正シグナルが入り、着用者が痙攣する事件があった。

「大丈夫か、君!」
少し大きめの声で呼び掛けながら、私はコンティネントスキャナを向ける。これは一種の便利デバイスで、ユーザーコードや都市内のギミック、さらには各種異常の検知まで出来る優れものだ。これを使えば彼女が何者かも…。

私はスキャナの表示に眉間を寄せた。表示がバグっていて何と書かれているのか全く読めない。故障を疑って自分のアバターや周囲のオブジェクトを走査するが、それらは全て正常な値を示した。

その時だった。捨て置かれた人形の如く動かなかった少女が目を覚まし、砂浜に手をついて体を持ち上げてみせた。まだ目は半開きで状況が掴めていないのか、キョロキョロと周囲を見渡して、そして私の存在に気づいた。

「ここ…どこ?」
「お目覚めかねお姫様、ここは電脳都市バラバ一番区画の砂浜だよ。」
まだ寝ぼけ眼といった彼女に私は饒舌に語り掛けたが、すぐにあることに気づく。彼女の頭上には、本来アバターに付属するはずのiDコールというネームタグの表示が無いのだ。

「何だろう、バグかな…?」
「ばぐ?」
「ああいや、こっちの話だ。ちょっと不具合でユーザーコードが読み取れなくてね。もし差し支えなければ、名前を教えてくれないか?」

「おけあのす!」
彼女は見た目相応な小さい子供の様に、元気よく答えた。まさか本当に子供が操っているのではあるまいな。多くのVR機器は小さい子供が扱うように設計されていない。まして単身放置ともなればそれはそれで問題だ。

よく見ると彼女の首元のプレートに「Oceanos Walhai」と書かれていた。日本語に直すと、「大洋のジンベイザメ」か。都市横断型グローバルユーザー検索にかけるが、それらしいユーザーは見当たらない。彼女は何者だ?

オケアノスは砂浜に座り込んだまま、波の満ち引きをずっと眺めていた。まるで視線の先に大海原が広がっているかのように。確かに数年前とは比べ物にならないほど水の描画表現は進歩したが、この海は岸から百メートルも行くと行き止まりなのだ。

長いような、短いような時が流れた。蒼い髪の少女は、まるでそういう生物がそこに住んでいるかのように自然な振る舞いを見せた。これはもしや名うてのハッカーの欺瞞プログラムか、さもなくば私は幻覚でも見ているのか。

私は後者だと思うことにした。きっと昨日は少し飲み過ぎたのだ。メガロチェインの描画システムはまるで感覚をハックされたようと評されるが、酩酊が解けぬまま潜るとこういうものを見てしまうのだろう。もし本当に問題な事項なら、またどこかで再現される…。

私は日課の瞑想とヨガを諦め、早々に立ち去ることにした。此の話はこれでおしまいだ、そのはずだった。あの子が私のあとをしつこく付いてこなければ。

四番区画の石段を上り、上層住宅地にある自分のホームにたどり着いた。酔いはもう完全に抜けていたが、オケアノスは無垢な顔のまま半開きのドアを抜けて上がり込んだ。

「わかった、お手上げた。君の勝ちだ。」
少女は何の事かわからない様子だった。私にも分からない。私は彼女をソファーに座らせると似たような事例がないかコミュニティポストを漁った。異常音量事件、スクリプト不正ループ、どれも違う。足場の設定ミスで奈落に落ちた?それは君のポカだ。

最近チェックしていなかったせいで千近くある未読ポストの隅々まで目を通す、その底の方にある一つの記事に気になるポストがあった。

「自我を備え、独りでに動くアバター」
オカルトだと笑い者にされているが、ポストにJokeタグは付いていない。私は振り返り、オケアノスの方を見た。そこには私の鞄に手を突っ込み、電子喫食用のスニフバーを齧る彼女の姿があった。


蒼い髪の少女は私の視線に気づくと一瞬手を止めたが、どうやらお咎めがないようだと思ったのか再び電子バーをちぎっては口に放り込み始めた。バラバの商店街ではこうした疑似食感バーをタバコ感覚でキメている連中が結構いるが、それとは明らかに違う。飢えの欲求に対する反応として食べている。

今日一日、私はこの謎めいた少女を観察していた。髪と目が海の様に蒼く、両耳の前後辺りから鎖のような装飾が延びている位で、他は不自然な位人間そのものだった。強いて言うなら端末やコントローラを操る上でのラグが全くない。この空間に住み着いた新人類、そんなSFじみた空想が頭をよぎった。笑い飛ばしたがったが、笑い飛ばしてくれる現実は無かった。

幸い私はこの街の管理者、キャピタルマスター。たとえ彼女が未知の存在だとして、しばらくの間なら存在を隠匿することも、保護しておく事も出来るだろう。とりあえず市民コードリストに特設のiDを発行し、外設型ネームタグを彼女のシステムに取り付ける。

「なにこれ。」
「この町に住む人はみんな付けてるんだ。これがあると、いろいろと便利なんだよ。」
「ふうん…。」
オケアノスは鏡に映った自らの頭上に浮遊する、ネームタグを掴もうと手を翳し、すり抜ける。
「君がどこから来たのか知らないけど、今日からこの町の市民として生活していく準備が出来たんだ。」

「しみん・・・?」
「そうだ、我が町バラバへようこそ!」