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Legacy Ocean Report #32 動乱の都

何処からともなく響き渡る異国の言葉。そしてそれに続き、彼らの声に翻訳された青年の声が続く。それは行方不明となったはずの王女の、故郷の民を案ずるメッセージであった。

ざわめき、うろたえる民衆。王女はどこに。どこにもいない。これはボストークが録音していた、ヴァルハイ姫のスピーチの前口上なのだ。民衆に紛れ込んだオケアノス派の者達が仕掛けた不可視のスピーカーコンポーネントが、一帯に音の噴水を造り上げた。そして、広場の際を素知らぬ顔で進む人力車の中では、褐色の青年がマイクに声を向けていた。

原理が分からずとも使い方さえわかれば取り扱える。彼らはボストークの内蔵コンポーネントを媒体に、フレイミー家を声で完全に包囲していた。儀礼的な宣誓が象徴するように、彼らの文化では響き渡る声は大きな意味を持っていた。王女の問いかけは、民衆の心に強く刻み込まれた。中には顔を抑え、泣き崩れている者さえいる。


壇上に構えていたフレイミー家の者達は恐慌状態に陥っていた。異邦人を使った政治的パフォーマンスの場は一転、逃げ場無き渦潮と化した。必死で配下に指示を飛ばし音の発信源を探るが、どこにもない。彼らは電子コンポーネントに対する知識が全くないのだ。

(どこだ……。)
広場外縁の柱を忍者のように飛び渡る黒い影。クリッカーは刀傷の様な目をさらに細め、一帯に怪しいものが無いか探った。フレイミー家傍系のさらに末っ子だった彼は、長く王族らしからぬ扱いを受け続けてきた。だが、もしここで家の危機を救ったとあれば、地位を大きく上げることが出来る。
(姫を名乗る声はともかく、続く声はマオ王子だ、間違いない…。)

丁寧に、だが迅速に音を拾いながら発信源を探るクリッカー。だがそこには何もない。彼は気づかれぬようそっと小石を落とす。手を離れた石は重力に忠実に従って落下し、床に当たるまで何にも当たらなかった。馬鹿な。彼は目を見開いた。

(一体いかなる魔術を?それともこれこそ外の力なのか?)
広場中央に視線をやろうとした彼の右目が、広場の隅で動く物体を捉えた。
(何だあれは?これだけの騒ぎの中…)
それは喧騒を我関せずと言わんばかりにゆらゆらと進む、やけに大きな人力車の姿だった。
(あれか……!)

クリッカーは柱の影から影へ、風のように飛び移る。車まであと五メートル。周囲に護衛は見えない。彼は刀を手に地を蹴り、至近まで躍りかかる。
(いける……!これで俺は民衆を混乱に陥れた首謀者を狩り、フレイミー派の一大勢力となるのだ!)
鋭い刀身が宙を裂き、着地と同時に斬りかかろうとした、その時。

「ぐわぁッ!」
視界を全力まで狭めていたクリッカーは真横からのボディーブローをもろに受け、広場外の階段に放り出された。
「ムゥ…!」
クリッカーは空中で身を捩り回転しながら態勢を取り戻し、同時にアンブッシュの主めがけて八方手裏剣を投げて追撃を防いだ。
「何奴!オケアノス家の者か、名を名乗れ!!」
「蒼薙ぎのブローハイ!貴様こそ何奴!」
その手には日光を弾き輝く大太刀、足元には両断され撃ち落された手裏剣が転がっている。王国有数の剣客に、クリッカーは武者震いした。

「…煙抉のクリッカーだ。今ここで貴様らの陰謀を暴き、フレイミー家に、ひいては我らホーンド傍家に光をもたらすのだ!」
クリッカーは震える手で脇差を構えた。真正面から闘って勝てる相手ではない。しかも最初に仕掛けたのは自分であり、群衆の中逃げる選択肢はありえない。そして仕掛けた人力車は徐々に遠ざかって…。

「行け!今だ!」
ブローハイは視線をアサシンに向けたまま号令を上げた。次の瞬間人力車は突然左に舵を切り、広場の中央目指して勢いを増しながら駆け下り始めた!
「何ッ!?」
「貴様の相手は私だ。動けば、斬る。」
刀身に映りこむ己の姿に戦慄するクリッカー。だがもう後には引けぬ。脇差を構える手を捻り、霞の構えを取る。動けぬ。動けば死ぬ。だが…。


「デビ―、もっとスピードを上げろ!」
「如意!」
オオメジロザメの"暴風のデビ―"は小屋ほどもある人力車を力任せに引きずり、逃げ惑う人波を押しのけて強引に突進した。
「反逆者を止めろ!」
迫りくる二メートル近い衛兵達!だがデビ―は恐るべき膂力で彼らのトライデントを跳ね除け、柄を掴むと兵士ごと振り回した。
「ウオォォーッ!!」
回転をかけた手でトライデントを放つ!城壁のごとき鎧で武装した衛兵は離脱する間もなく次々と巻き込まれ、もがく鉄屑の山と化した!

「オイオイ派手にやるな……。」
「くるぞ、チャンスは一度だ!」
デビ―が引く人力車がこっちに向かってくる!これに飛びつくのだ。
ボストークは4本の腕でレイとジャスミン、ジーンを掴み構えた。
「させぬ!!」
壇上からノーマンが自ら飛び降り、その背丈ほどもある巨大な両手剣を軽々と振り回しながら向かってくる!

「今だぁッ!」
人力車というにはあまりにも大きなそれが、中央にいた彼らの脇を通過する瞬間、彼らは掬い上げられるように飛び乗り、あるいは車体にしがみついた。そのすぐ後ろをノーマンの薙ぎ払ったグレートソードの刃先が通過する。
「離脱する!スピードを緩めるな!!」
「如意!!」
デビ―は目を血走らせ、口からよだれを垂らしながら広場の出口に向かって全力で駆けた。後ろでは、追いすがるフレイミー家の者達との攻防が続き、目の前では逃げる人々の背中が見える。

「どこへ向かうんです?」
「この先の港を押さえてある!そこに君たちの船がある!」
フレイミー家の警備は広場に集結しており、王都一帯の警備が手薄になる。一度網を抜けてしまえばあとは逃げ切るだけだ。
「いかん、ゲートが!」
衛兵の指示で広場の正門横の歯車が回り始め、門がゆっくりと閉じていく。このままでは間に合わない!
「誰一人通すな!」
後ろから兵隊が迫る!

「……ん?」
突撃する兵士の一人が、不意に空が暗くなったことに気付く。足元には、自分たちより大きな影。見上げるとそこには……巨大な柱が!
降り注いだ大量の丸太が追撃する兵士を直撃し、同時に彼らの進路を一気に塞いだのだ。さらに別の丸太が閉じゆくゲートの間に挟まって突っ張り棒となり、正門の閉鎖を阻止した。
「はぁ、はぁ……。」
車内では、ジャスミンが口から血を吐いてぐったりしている。

「この子大丈夫なのか!?」
マオがジャスミンの背をさすり、喉が詰まらぬよう血を吐き出させる。
「この子は木や草を自在に生やす力がある。だが流石に今のは負担が大きすぎた。」
「門を抜けます!掴まって!」
人力車は地面に半ば埋まった丸太を乗り越え、土煙を上げながら港を目指した。