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Legacy Ocean Report #36 帰還

トッシャーシティから実に二百キロメートル、未開拓前線領域の奥地を進む一団。ただの冒険野郎ではない。オーバーショックや認識障害などダイバーを襲う危険から身を守るべく、特殊な重装スーツを着込んでいる。

彼らは未だ調査の進んでいないこの領域のマッピングと、このエリアで発見されたとあるオブジェクトの分析の任務を帯びている。

「これか…。」
「大きいですね。江ノ島ほどという話ですが、確かにそれくらいある。」
周辺は水深一メートルを切る浅瀬が広がり、シーグラスのような淡い色合いの砂利が海底を覆っている。空にはモノクロームな太陽。まるであの世に向かっているような気味悪さがあった。実際この海の果てまで行った者がいないのだから、あの世と言っても差し支えないのかもしれない。

そして水面が灰色の空とドットの粗い雲を映す中にあって、それは一際存在感を放っていた。アメツチ鳥居。レガシーオーシャン最奥のオブジェクトの一つだ。


干潟に立つ七つの鳥居。その先に聳える小島。島は樹木型の電子生物が、地面が見えないほどに繁茂している。調査隊の足元を、小さなエビのような生き物の群れが通過していく。この島周辺に生息する生物の大半が未記載種だ。

生物調査担当のヨルヤは早くも興奮していた。幼い頃から冒険小説に描かれる未知の生物に夢中になっていた。今、視界いっぱいにそれが広がっている。

スクリプトネットを展開し、一匹を捕らえる。網の中でもがく紫色のエビにスキャナーの光が走り、その仔細が記録されていく。捕獲した電子生物の飼育はいまだ難しく、映像記録や現地での調査に重きが置かれている。

だが、それは今回の任務の一部に過ぎない。アメツチ鳥居には島の奥まで伸びる道が一つだけあり、社殿のような建物が確認されている。強い認識障害を伴うこのエリアの調査が、彼らのメインミッションだ。


下層探査チームを残し、島の上部に向かって何名かの隊員が登っていく。見た目は何百段と続く、飾り気の無い階段だ。
「一応ここは参道…なんですかね?」
「その常識が通用すればな。さっきから、周りの森から変な視線を感じて全く落ち着かない。」
「同感。早く頂上までたどり着きたいッスよ。」

断片的な情報によると、アメツチ鳥居の島の頂には暗紫色の屋根をした無人の神社があるという。断片的というのはこの境内の起こす認識障害が侵入者の意識を狂わせ、追い出してしまうからだという。また、記録映像も乱れが酷く、詳細は不明とされてきた。

「…されていたな。だが少し話が違うんじゃないか?」
隊長のオオムラは狼狽した。記録映像が乱れたり破損しているのではない。島上部の風景そのものが酷く歪んだり大量のノイズを纏っているのだ。いつしか波の音はテレビの砂嵐の音に置き換わり、視界の一部が唐突に色を失ったり、テクスチャが抜けたように真っ黒になったりした。

「午前十一時四十五分。アメツチ鳥居上層、境内に到着。周囲はノイズがひどい。視覚的なものかそれとも実際に空間に異常がみられるのかは不明。周囲に何者かの気配を感じるがセンサーには反応なし。この空間そのものによるものと予想される。」
オオムラは記録音声を送信した。その間にも、紫色の淡いパーティクルが纏わりついてくる。
「まだ認識障害はないが、この光が何らのタイムリミットとみてよさそうだ。」

此処に踏み込んだ命知らずなダイバーは皆、数分で意識が朦朧としはじめ、夢遊病者のように島の外に広がる浜辺まで追い出されてしまう。最長記録は二十分だが、彼は重危険エリア用スーツを着ていたにも関わらず脳波がフラットラインを起こしている。
「探査時間は最長でも十分以内だ。手早く行くぞ。」
ふらふらと浮遊するグリッチノイズをかわしながら、境内に整然と並ぶ建造物や装飾を調べる。

「これは…?」
シャガは社殿の横に貼られた大量の護符を見つけた。以前の調査で存在だけは確認されていた、未知の言語で書かれた古ぼけた護符が無秩序に何十枚と貼られている。まるで何かを封印しているかのように。
「オカルトはカヴンチェインでもないと分からないかなぁ。」
振り向くと向こうでは、ガラスのように透明なトンボに似た電子生物を捕らえている。まるで神社に忍び込んだ小学生だ。

隊長はと言えば、境内全域のフォトグラメトリを作成している。詳細や動く電子生物は他の隊員に任せて、自分はこのエリア俯瞰図を作成しようという話だ。再検証や次期調査計画のためにも、他人には任せたくないのだろう。
「八分経過。バイタルサイン異常なし。離脱の準備を進めてください。」
「うげっ、あっという間だな。」


彼らは観測用ビーコンキューブを境内の中心に置き、撤退を始めた。
「午前十一時五十五分。観測を終了、撤退を開始する。」
その時だった。地鳴りと共に島全体が揺れ始めたのだ。
「空間異常じゃない、地震か!?」
「とにかく脱出だ!」
電脳都市で地震なんて普通なら笑われる話だ。君の物理的な家が揺れてるんだ早く逃げろと。だが彼らのヘビィプレイヤールームは、非常事態が起こればすぐにアラートが飛んでくる。それに実際目の前で、島の大半を占める崖が崩れ始めている。

階段を悠長に一段ずつ降りている時間はない。ホバーブーツを起動して急階段を一気に滑り降りる隊員たち。その背後で大木が倒れ、手すりを叩き割った。不時着を覚悟で最後の大階段を一気に滑走する。
「なんだなんだ!?」
ヨルヤの足元にいた小動物が一斉に逃げていく。
「どけぇ!」
隊員達が大量のダストとくすんだ宝石のような小石を巻き上げながら突っ込んできた。そしてその背後。

Kaboom!
島の上層建築物や樹木を吹き飛ばしながら、鳥居島が大爆発した。地震や崩落はただの前兆だったのだ。破片が弾丸の嵐のように周囲に飛来し、緊急展開された隊員のバリアに次々と衝突した。
「緊急事態発生!!アメツチ鳥居で大規模な崩落を確認!隊員を退避させた直後、島全体が爆発した!」
「こちらからも見える、何なんだこりゃ。……いや待て、崩壊した中心に何か見えるぞ。あの色…ポータルだ!」
そこには、石竹色のリングが強くぶれながらも確かに鎮座していた。

次の瞬間、ポータルから大量の光と共に、金属質のドラゴンとそれに掴まった幾つもの影が飛び出してきた。
「ポータルから何か放出されました!こっちに来ます!」
「どいてくれぇ!」
津波のような水しぶきと電子ダストが作り出す濁った霧、虹のように舞う無数のシーグラス、島の残骸。それらが混然一体となった諸々が晴れたとき、隊長は震える手で飛び込んできた塊を指差していた。

「隊長!オオムラ隊長!何が起こった!?応答せよ!」
「あ……ああ……。」
「こちらヨルヤ!ポータルから射出されてきたのは……行方不明になっていたヨルムンガンド十一番調査部隊『アヌビス』だ!」


その日のうちに、都市アプリコットに関係者が集められるだけ集められた。同時に都市間メッセージが発令、カヴンチェイン所属都市リブレスのキャピタルマスターも同席した。シュミット以外の魔術大隊員はフラットラインにより全滅。唯一生命反応の残っていた彼の帰還は、まさに僥倖だったのだ。

「時々夢に見ていたのですよ、あの世をさまよう彼が呪ってくる夢をね。神経接続端子を改良した脳波測定装置で解析を試みたのですが、成果は上げられなかった。組織としてはどうあれ、私にとってはほっとしますよ。」

会見が開かれた。壇上の生還者達に様々な質問を浴びせる各地のキャピタルマスター達。ヨルムンガンドの暗闇の冒険。大規模構造の底にある海。それらを生み出すスターダストの循環。未知の文明圏…。どれもこれも、それまで知られていなかったものばかりだ。

スクリーンには襲い来るアラガミやラタトスク、アナザー・オーシャンの星空、ヴォーテックス王国の城内を映した写真が投影された。
「まるで異星にでも行ってきたみたいだな…。」
「でも実際、電脳都市のフレームワークは地球観測装置って話なんだから、ある意味近しいかもしれないぞ。」
「厄介な話だな。こっちでどうにか出来る相手じゃないんだろう?」

「だからって、電脳都市を捨ててもどうにかなるわけじゃないんだろう?」
「何だってそうさ、毒にも薬にもなるものと上手く折り合いをつけていかなければいけないんだ。少なくとも今回は彼らを帰してくれた。」
様々な感情が入り混じり、笑い始めたオケアノス。この長い旅を送り出した張本人として、彼女も責任を感じていたのだ。

「さて、次は何を見られるかな?」
スクリーンに視線を戻した彼女は、ボストークの外部記憶領域から再生された映像に目を見開き、言葉を失った。周囲の人々はざわめき、彼女に視線を一斉に向けた。

「お元気ですか、ヴァルハイ王女様。我々オケアノス家は、いまだ健在であります!」