【Legacy Ocean Report】#08.5 魔女の都と概念の火
電脳都市3211番、マギカパレス。
煙突を大きくしたような建物が無秩序に生え、常夜の都市を窓から漏れるオレンジ色の光や道沿いの松明が照らす。よく目を凝らすと、闇の中に真っ暗なアバターが歩いているのを見ることが出来る。男性はみな燕尾服にシルクハットを被り、女性はとんがり帽子の魔女服を纏っている。その傍らには黒猫やコウモリが鎮座し、あるいはせわしなく飛び回る。これはVRソーシャル初期に存在したサポートbotが独自に発展したもので、一般には出回っていない。
それでもまだ表通りは比較的観光客の姿も見え、物珍し気にウィッチクラフトについて解説を受ける人々を見ることが出来る。ここは魔女宗の特殊な一派によって作られし都市連合、カヴンチェインを構成する13の都市の一つであり、閉鎖的な同連合において唯一外部に限定的ながら開かれている。実際ここにいるのはネオペイガニズム的な活動とは距離を置いた、ウィッチクラフトの技術的研究に重きを置いた人々であり、それゆえ外部との折衝を担当する。
「なるほど、ステレオタイプなデザインも外向けって訳か。他の都市はどうなっているやら。」
ローブを引きずりながら歩く若い魔女の横で、箒に乗ったとんがり帽子のネズミが周りをきょろきょろ見渡す。botではない、ラットのバーチャルアバターをここ向けにカスタムした電子探検家のドレイクだ。案内人のウィッチに、都市にふさわしい姿をすべきとまんまとマントと帽子、それにフライトブルームを買わされた。
「他の都市は…まさに魑魅魍魎だよ、なるべく政争を起こさないことを登録条件として課しているけれど、姿にまで干渉することはできない。『その宗派にふさわしい姿をすること』の解釈によってはそりゃもう…。」
案内人のウィッチはあまり具体的な言葉を発しない、禁止事項があるのか、それとも知識が軽薄で迂闊なことを言えないのか。上空を紫色に怪しく光るサメが飛んでいく、この街はまだ、カヴンチェインの本質を見せないまま外向けに宣伝する場なのか。
「メガロチェインは広大だなんて言うがね、閉じ籠った都市も結構多くて全体像はなかなか見えないのさ。コミュニティサロンが去年発表したアクティブユーザー総数600万てのも、実態を反映してねぇとか揶揄されてたっけ。
レッドチェインの外がどうなってるかなんて、実際俺もよく知らなかった。」
ウィッチは視線を静かに流し、空飛ぶラットを睨んだ。
「ここでレッドチェインの名前は出さない方がいいよ、あまり表立って口に出していないけど、ここの方々はレッドチェインを敵対視してるんだ。まあ現状相容れない存在としてみている、という程度だけどね…。」
「そりゃまたどういう訳で。」
ドレイクは屋台でキャンディーを買って開封し、舐めてみる。甘い、甘味の疑似感覚は中々見かけない。
「レッドチェインは勇み足過ぎるんだ、怖いもの知らずというか、メガロチェインの性質についてあまりにも知らなすぎる。そしていざ自らを無知と気づいたと思えば、恐れも知らず踏み込んでいく。管理者たちはそれに対してただ口を紡いだままで、金になるのか動こうとしない…。」
そこまで行ったところでウィッチは口を閉ざした。
「失礼、我を忘れるのは魔女としてはよろしくなかったね。」
ドレイクはベンチに座り、この街の成り立ちについてガイドを受けた。
「…なるほど、ここは概念研究の拠点でもあるのか。」
「元々、概念物質について疑念を持ったウィッカンが同志に呼び掛けた結果誕生した経緯がある。このままメガロチェインを『なぜか動いている』ままにしておくわけにもいかない、と。」
ウィッチは街路沿いの松明の一つを指さした。
「あれに手を伸ばしてごらん、くれぐれも触らないようにね…。」
ドレイクは短いネズミの手を翳す…。
「あっちぃ!」
ドレイクは信じられないというような顔でウィッチを見返す。周りが一瞬ざわめいて視線をドレイクに集中させ、数秒かけてまた元に戻していく。
「なんだこりゃ、まるで本当の火じゃないか!」
「静かに、これは我らが生み出した技術の結晶『概念の火』。
どうですか、まるで本物の炎の様でしょう。」
ドレイクは再度今度は慎重に松明に手を近づけ、ほのかに熱を感じるのを再確認した。
「すげぇ、まさにここに火が点いてるみたいだ。」
ドレイクは頭から一旦ゴーグルを外し、自分の家が火事になっていないことを確認した。
「そう、それゆえ火の概念は悪質な悪戯や感覚ハックへの悪用が懸念された。だから作ったはいいけれど製法秘匿、外部持ち出し禁止でお飾りになっているのさ。」
ウィッチはため息をついた。
「あたしもよく分かってないんだけど管理者レベルが言うには、メガロチェインの本質は電子空間じゃないんじゃないかって。もっと異質な、現行の科学で未解明の事象かシステムで、電脳都市のプログラムはそのUIに過ぎないんじゃないかっていうんだ。それを知らずにここまで拡大を繰り返し、あまつさえスケープゴートさえ市民として活用しようとか言い出してる。」
ドレイクは圧倒された、ウィッチはやはり魔女であった。レッドチェインの常識や価値観はここでは通用しない。万一スケープゴートがここに迷い込めば、どうなってしまうのだろうか。
ドレイクは未開拓前線領域の奥地で見た光景を思い出した。
白甲殻の法師、ワンに諭された概念世界の出来事を。
あの日自分たちに起きたことを知るため、この電子世界に蘇りし魔法の都にやってきたのだ。
「よお、ミッシェル。観光客の相手か。」
背の高い男がベンチに手をかけた。この街の男性の例にもれず、燕尾服とシルクハットに身を包んでいる。金と銀の糸を編み上げたような淡い髪からは尖った耳が突き出ている、エルフだ。大昔はファンタジー系アバターの定番として多数出回っていたのだが、ここ最近はほとんど見なくなった。ドレイクもエルフアバターを見るのは数年ぶりだ、まじまじと美丈夫に見入る…。
「なんだいネズミさん、私の顔にドット落ちでもあるのかい?」
ドレイクは豆鉄砲でも食らったかのような顔をした、ドット落ちとはまた表現が古い。声が若い辺り年は食ってなさそうだが、レガシーテック文化圏の出身か。
「私はシュミット。この姿衣は見ての通りハイエルフだ…もっとも、もはや絶滅寸前の種族だがね。」
見ての通りと言われてもドレイクは上古のファンタジーには疎い。エルフとハイエルフの違いってなんだ。ダークエルフすら色違い程度のイメージしかないっていうのに。ぽかーんとしたラットを尻目に、シュミットはグローブから手品のように長大な弓を取り出した。
シュミットが適当な壁に向けて弓を構えると、弓に紅く光る炎の矢が現出した。蜘蛛の糸のようにか細い光の筋は、引き絞るに従ってよりはっきりと姿を現し、大まかに矢の形をした炎へと姿を変えた。
「どうだ、美しいだろう。概念研究の集大成、炎の大弓だ。ただの見てくれだけの炎のホログラムじゃない、この空間において明確に火として機能する業物だ。」
シュミットは弓を緩めて手の中にやはり手品じみて戻すと、自慢げに語った。ドレイクはこの凄いけど微妙に癪に障る喋り方は確かにハイエルフかもしれないと思った。
「た、確かにすごいっすね。ただハイエルフの旦那、その凄い概念の火弓もカヴンチェインから持ち出し禁止なんだろ?まさかの観光客向けのパフォーマンス用かい?」
ハイエルフの丈夫はシルクハットを支えるように、頭に手をやった。
「だったらよかったんだが、そうもいかない事情があるのだ。ミッシェル、あのことはもう話してもいいだろう?」
「大っぴらに言わなければ。火の大弓を街中で広げることに比べればたいしたことじゃない。」
シュミットは眉間にしわを寄せながらも、サイレントメッセージをドレイクとミッシェルに飛ばした。
「一週間ほど前、ラビリンスガーデンで謎の空間浸食があったという情報が入った。なんでも電脳都市の一部が途切れて、その先が謎の洞窟になっているらしい。こうなれば奴らがやることはただ一つ、『潜ってみよう』だ。」
「え、まさか先んじて調査しちまおうってことかい?でもその区画ってどうせ封鎖されてるんだろう?何か掻い潜れる概念テックでもあるのかい?」
キョロキョロするラットのとんがり帽子を掴んで止めると、ハイエルフの丈夫は首を横に振った。
「廃棄コンティネント63号の地下6層に、同様の洞窟を発見したのだ。既にバディバット数機を送り込んで、敵対的な種を含む新種の陸生電子生物を何種か発見している。63号都市がフルデプス…つまりトラッキング不能になるまで推定10±2日。強行調査を行うなら、もう時間がない。」
そう言うとハイエルフは再び弓を取り出し、淡く光る弓体を撫でるように見つめた。
「概念兵器を含む武装魔術小隊での潜入許可が下りた。明日、突入する。」