【Legacy Ocean Report】#05 ヨルムンガンド・システム
電脳都市No.34、アプリコット。都市の主であるキャピタルマスターの蒸発によって長く忘れ去られていた都市である。唯一の住人はマスターによって作られし電子知性体ミスタリレ。建物の一室に固定された少女型のアバターで、動くことは出来ないが思考回路が都市のシステムと接続されていて、アプリコットのほぼ全ての機能を自在に操ることができる。
一ヶ月ほど前にアプリコットは「再発見」された。そしてミスタリレによって、この都市はおよそ20年にわたり無人だったこと、そしてその間に電子生命体とも異なる、未知の敵性オブジェクトの攻撃を受けていたことなどが明らかとなった。
ミスタリレは熟慮の上で、都市間連合「レッドチェイン」への参加要請を受諾。自らが管轄する建造物群を拠点として提供することとなった。それ以来、アプリコットには定期的に周辺都市からレッドチェインの関係者が来訪し、未解決案件の調査や事象のシミュレーションを行っている。
さて、今日は特に大人数がこの都市を訪れる。電脳都市群メガロチェイン内における様々な未知の事象に関する報告会のため、複数の都市から関係者がアプリコットに来ることとなっていたのだ。会場は都市北西部にある、外観は教会に似た建物。ただし内部空間は大幅に改造され、大人数対応型の多目的ホールとして使えるようになっている。
「…皆様、本日はお集まり頂き誠に有り難う御座います。」
壇上で開会の挨拶を行うのは老齢の魔法使いのアバター。電脳都市ユグドラシルのマスターにしてレッドチェインの発起人でもあるジャックだ。彼のカリスマと統率力の源は、実は今なお彼の心に深い傷となって疼く軍人時代の経験の賜物なのだが、多くの者はそんな事知る由もないし、知っていたとしてもそういうセンシティブな事で揶揄しない。今この場には、もっと重大な議題が幾つもある。
末席から神妙な面持ちで議会の進行を見守る一団があった。両腕に刻まれたタトゥー、ヒレのついた尾、レイだ。彼は何名かの人員に付き添われる形で臨時ポータルを通り、この街へやって来た。ただ、彼自身自分が連れてこられた理由がイマイチピンと来なかった。恐らくやスケープゴートの稀少例として見世物にされるのだろう。テーブルの斜め向こうに見える、物珍しげに辺りをキョロキョロしている数名も同じ境遇か。まず、会議の参加者にしては落ち着きが無さすぎる。
「ラビリンスガーデンのマスター、ハルシオンです。」
華奢な男が登壇した。アカデミックな服装にローブ、モノクルの出で立ちは場所が場所なら大学の講義のよう。しかしここは未知の事象の情報交換会。彼もまた、"何か"を見たのだ。
電脳都市No.1258、ラビリンスガーデン。
比較的古く寂れた都市だったが、ハルシオンがキャピタルマスターとなって以来大幅な近代化を果たし、デプスを免れた。デプスとは、忘れ去られ情報の海に沈むことである。それこそレガシーオーシャンの海底遺跡のように。
ラビリンスガーデンは電脳都市としては比較的小型であるが、無数の蔵書を収めたシェルフが壁のように立ち並び、迷路のように視界を塞いでいる。コンソールからライブラリー内の書籍データを一瞬で呼び出せる時代にあって、敢えて中世風の図書館を徹底的に再現することに価値を見いだした。ファンタジーな衣装に身を包んだ人々が居座っていることが多く、時折ここ限定のブックデータが有志によって制作され、膨大な蔵書に紛れ込ませることもある。
「…といった感じで、私の都市は要するに大きな図書館な訳です。」
スクリーンのずっと後方、サブモニタと視線を行き来させながらレイは他所の都市について興味深げに聞いていた。その度、二つのモニターの間で視界に映るのは、テーブルの向こうで半分寝ている少女。恐らくや彼女も亜人型スケープゴート。裾から手とは別に細い蔦のようなものが何本も伸び、テーブルの上を探っている。頭についた花飾りも呼吸と同調して微かに動いている辺り、体の一部と思われる。
「シンバシ、あいつもスケープゴートか?」
レイはサイレントモードでメッセージを飛ばした。
「そうだ、最近見つかった奴でまだ社会活動への適応が弱い。多少の粗相は許してやってくれ。」
シンバシはプレゼンの内容を聞き逃さないようにしつつ、回答した。
「それよりラビリンスのあんちゃんの話題が、大事な所に入るぞ。」
レイは正面モニターに向き直す。
「これを見てください、これはラビリンスガーデン第4区画の奥側を写したものです。」
スクリーンには延々と続く薄暗い書庫が映っていた。ただし、それは途中で唐突に途切れていて、その先はまるで煉瓦造りの壁で覆われた庭園のようになっていた。煉瓦は蔦が這い、地面には草木が茂っている。木々は風でなびいているようにも見えるし実際疑似感覚もあるらしいのだが、どこから風が吹いているのかわからない。そして庭園の一番奥には、どこまで続くのかわからない洞窟が伸びていた。
「先に言っておきますがこういう仕様ではありません、この前日までは区画の奥まで書庫が伸びていたのです。さらに言うならデータ構造を管理画面で見る限り、この区画データその物に損傷や破損は見られません。しかし実際には、この空間がまるで切り取られたように別の空間に接続しています。」
場内はざわついた。これまで電子生物やグリーンマンのような未知の存在はリスト化、体系化されてきたがコンティネントシステムそのものが侵食された例など無かったためだ。
ある一事例を除いては。
その一事例こそ、遺産の海、レガシーオーシャンだった。
「……ご存知の通り、これと似た事象を私たちは一つだけ知っています。トッシャーシティ沿岸からまるでそのまま海が広がるように空間が拡張され、少なくとも250km彼方まで続いていることが分かっています。レガシーオーシャンと我々が呼ぶこの海洋型電子空間にはいまだ未解明な点がいくつもありますが、その一つに、『旧時代の電子遺跡群がどこから漂着するのか』というものがあります。」
その通り、レガシーオーシャンに数多く存在する電子遺産がどこからやってくるのかは、いまだ未解明案件として残されたまま。沿岸部で観測された記録でも、突然ポータルが出現して巨大な電子建造物が吐き出され、ポータルはそのまま崩壊する。botを使ったポータルへの進入は何度か試みられたがことごとく失敗、進入そのものは出来た場合でも通信が途絶えてその先に何があるのかは一切掴めなかった。
「私たちは仮説として、コンティネント群の底にジャンク化した電子情報が流れる未知のデータストリームが網の目のように存在し、その出口か少なくとも接続口がレガシーオーシャンであると考えてきました。ならば、この洞窟はその未知の底層流に通じている可能性があります。あるいは底層流そのものへの入り口かもしれません。」
コンティネント下層に存在するとされる未知の電子ストリーム。それはメガロチェイン内部における最大の謎の一つであり、メガロチェインの全体構造のカギを握るとされていた。この小さな洞窟が、それを解き明かす手がかりかもしれないのだ。
「その洞窟は安定しているのか、突然消えたり構造が変容したりすることはないのか。」
キャピタルマスターの一人が声を上げた。この洞窟型空間を調査するには空間の安定性は重要な項目である。
「発見されてから2か月が経過していますが、外部から見る限り変化は見られません。また既に不具合という体でこの区画を閉鎖し、botによる潜入調査を開始しています。現時点で判明している状況をお見せします。」
ハルシオンはスクリーンに新たな地図を映し出した。そこに映し出されたのはまるでアリの巣の断面図。
「最奥まで一番遠い所で10km、総延長100kmといったところですか。中々の広さですな。」
ジャックは目測を立てた。広大な領域ではあるが、電脳都市にはもっと広大なエリアはいくらでもある。
「いいえ、これはまだbotの到達地点にすぎません。botの破損や通信断絶、あるいは通行不能地形によって阻まれるなどの結果調査終了を余儀なくされているだけで、ほとんどのルートはまだ先が存在します。全体像はいまだ不明です。」
議場は再びざわついた。彼らはみなコンティネント設計や運営にかかわっている者達。自分たちの管轄エリアにこのようなアリの巣が掘られたらと思うと、ぞっとしない話だった。
「…待ってくれ、botの破損と言ったが内部には何か危険な存在でも見つかっているのか?」
手を挙げたのはオケアノス、レガシーオーシャンを管轄下に持つトッシャーシティのキャピタルマスターであり、ドラゴンを筆頭とする危険な電子生物の対処に長年手を焼いてきた。電子戦闘部隊「トライデント」の構想を提言した人物でもある。
ハルシオンは複数のホログラムを展開した。そこには、ウサギや鳥、魚に似た未知の生き物の図像が映し出されていた。
「この洞窟然としたチューブ型電子空間の内部では、未知の電子生物が多数確認されています。その中には、相当に危険と思われる種類も確認されています。中でも我々が注目しているのが…。」
追加で登場したホログラムを見た一同は言葉を失った。それは、かつてアプリコットを襲撃したゴーレムだった。
「…これは、ゴーレム…!」
ホールが静まり返り、互いに目を合わせる中、場内のカメラを通じて会議の行く末を見守っていたミスタリレがついに口を開いた。スピーカーに視線が一斉に集まる。
「はい、サンプルを照合しましたが96%以上での一致が確認されました。ゴーレムはもともとこの空間に存在していて、アプリコットに通じたポータルから雪崩れ込んできたと思われます。ただし、他に出現報告が無い事から彼ら自身の意思というよりは、偶発的に出現した通路に対して反応したものである可能性が高いことに注意してください。また、現在のところトロイは確認されていません。」
偶発的だろうとなんだろうと、厄介なことが明らかになった。
あの洞窟からアプリコットに通じたという事は、あの空間は電脳都市に地下鉄網のように根を張っていることがほぼ確定視されたからだ。今まで我々が平和に暮らしてきたその下に、ゴーレム達が巣食う階層が存在しているのか。
「困ったな」
一通りの調査報告を聞き終え、ジャックが端的に呟いた。
「薄々気づいてはいたが、メガロチェインの全体像は我々が想像しているよりずっと広いのではないか。もっと言うなら電脳都市はメガロチェインの全体から見れば一階層に過ぎないのではないか、そんな気がするのだ。」
場内カメラがジャックの方を向き、スピーカーからミスタリレが返す。
「感傷に浸っても何も始まりません。我々に出来ることは、この地底回廊を調査し、コンティネントへの干渉のメカニズムを把握することです。運が良ければ、メガロチェインの全体構造に繋がる手掛かりが得られるかもしれません。」
「回廊……そうだな、本格的調査に先立って、あの空間に正式に命名しよう。あの洞窟型チューブ空間網の名前は…“ヨルムンガンド・システム”だ。」
それは、その場にいたもの全員に自分たちの足元を走っていることを自覚させる名称だった。