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【Legacy Ocean Report】#23 天文台の島

電子の海に無数の島々のように浮かぶ、煌びやかな電脳都市。謎の侵食ポイントから地下水脈の様に広がっていた電子回廊ヨルムンガンド・システム。そして回廊の出口から広がっていたのは、広大な未知の電子海洋だった。

未知の海洋における進入地点から東に千二百キロメートル。島はほとんどなく、海上に散見されるのは大型海洋生物か、漂流するオールドインターネットの残骸ばかり。電脳クルーザーの前方、水平線の向こうからまた何か見えてきた。

「前方に障害物!かなり大きいぞ、回避用意!」
「対象の詳細はどうだ?何か見えそうか?」
船橋の上に据え付けられた簡素な観測デッキから、レイは拡大ゴーグルを向ける。そこに映っていたのは浮島でも漂流物でもなく、海底から地面が伸びたれっきとした島。そして、その岸辺から島全体を巨大な建築物が覆っていた。

「島だ!しかも島全域を覆うくらいのでっけぇ建物が見える!」
シュミットはスクリーンショットを待たずにブリッジから飛び出し、甲板からはるか彼方を見据えた。まだ昇り切っていない太陽の光に照らされて、まるで海上から突き出た城のようなものが見える。シュミットの脳裏に、昔テレビで見た軍艦島の光景がよぎった。

「おそらくこれも先日見かけたような廃墟だろうね。あっちと違って人影すら見えない。」
電子空間における建造物の劣化は、往々にして物理空間のそれから逸脱した形をとる。照明が灯っていようと、小綺麗に整っていようと年月は計れない。
「建物上部はいわゆる天文台で、本来は空気の影響を受けにくい高山などに建造される。大海原にぽつんとあるものじゃない。」

「だがそれも、物理空間での話だ。この電子海洋ならいくらでも補正が効く。もしここが、何者かが造り上げた何らかの施設だとすればもうけものだ。」
シュミットに代わり舵を取るボストークが首を伸ばす。四本ある腕は本来切り替え操作式なのだが、アバターと一体化して以降すべて同時に操ることが出来るようになっていた。


船は速度を緩め、接岸できそうなポイントを探す。島の直径はおよそ二キロメートル。外周のほとんどは城壁のような壁が波打ち際からそそり立っており、それこそ軍艦島のような様相を呈している。その中で、一か所だけ石造りの短い桟橋が伸びていた。橋の根元からは壁に沿って階段が続き、建造物内部まで続いているように見えた。

「まるで遺跡だな。」
四人は船を降り、桟橋から建造物を見上げた。島の大半はこの要塞のような外壁に覆われて窺い知れない。立てられていた看板には円と線を組んだ文字と思われるもので何か書かれているが、翻訳ライブラリも文脈推定AIもその内容を読み解くことができず、「固有名詞の可能性:67%」という結果に終わった。

「これが島なり建物の名前だとして、読み方もわからねぇな。まあ読み方なんかより、俺たちに必要なのはこの海からの出口なんだけど。」
レイは頭の後ろに手をやり、尻尾でぺちぺちと桟橋を叩いた。島の周囲は波が非常に穏やかで、そそり立つ外壁に時折撫でるようなさざ波が被さった。

「それは『ブラックヒース』って読むんだ。島の名前でもありこの観測施設の名前でもあるね。」
不意に階段の方から声がした。そこには二つのローターと小さな四枚の機械翼で飛ぶ、真鍮製のドローンが浮いていた。中央の大きなカメラがこちらをじっと見据えている。

「あ、ありがと…で、あんたは何者だ?」
相手の喋り方は極めて流暢であり、判断能力があるか、もしくは遠隔で動作しているように思われた。
「僕はこの施設の人形観測士だ。と言っても普段観測してるのは漂流物とかなんだけどね、ひどい話だろう?」
古いスピーカーから発せられるような独特の声は、まるで街角で話すようにフランクだった。

「なるほどね、これだけの施設がありながら君は要するに見張りな訳だ。ということは、他にも君みたいなのがたくさんいると思っていいのかな?」
シュミットはゆっくりと浮遊するドローンの機構部を見つめながら尋ねた。
「そうだよ。僕と同じ飛行型、君たちと同じ二本足の人形、床に固定されて動けない人形…あと、少し前に来たベルトみたいなのを転がして進む這う奴が一台。」

「機械人形の島か…ここも望み薄かな?」
その時、レイの脳裏に十日ほど前の深夜の記憶がよぎった。他の皆が寝静まった真夜中に遭遇した意思をもつ霧、リトとの邂逅。

あの時リトは確かに言った、自分達の航路上に「天文台の島」なる場所があり、そこにこの海の管理人を名乗る人物がいると。もしや夢でも見ていたのかと思っていたが、確かに島は存在した。


「なあ、その人形達を束ねているリーダーみたいなやつは居ないのか?」
クルーザーに戻ろうとする仲間を引き留め、レイは真鍮のドローンに尋ねた。ドローンはしばらく黙ったまま数秒間浮遊したのち、口を開いた。

「…もしかして、ゴードン様の事を言ってるのかな?リーダーというか、この施設全体の管理人だねえ。」
妙に人間臭いドローンは急にしどろもどろになった。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。
「そいつと会うことはできるかい?」
後ろからぬっと出てきたシュミットは、真鍮の機体から伸びたアイカメラの目の前まで顔を近づけた。

「うわぁビックリさせないでくれ!ゴードン様は人見知りが激しいというか、あまり他者と話したがらないんだ。もっとも、このだだっ広い海じゃ訪問者なんて滅多に来ないけどね!」
ドローンはゆっくりと後退していく。客人を迎え入れるのが余程億劫なのか、何とかして引き払いたいようだ。

「そのゴードンって奴に通信は繋げるか?可能なら『リトから紹介された』と伝えてくれ。」
レイは奥の手に出た。いきなり押し掛けられてもと言うのなら、紹介があったとなれば話が変わるはずだ。
「リトとは誰だ?」
「夜中みんなが寝静まってる間に遭遇した、人工知能の成れの果てみたいなやつさ。ここの主と顔見知りだと言ってたんだけど、眉唾物だからずっと黙ってたんだ。」
シュミットは顔をしかめた。そんな訳のわからない奴がこの海には他にも漂っているのか。しかし今は、その魑魅魍魎が状況打開の鍵だった。

「うーんわかりました、一応聞いてみます…。」
ドローンのアンテナの先が青く点灯し、しばらく黙りこくった。機体が空中に固定されたように動かなくなり、ラムネ瓶の透明度を上げた様な物質に置き換えられていく。

十秒ほどそれが続いたのち、ドローンは不意に浮遊する金属の機体に復帰した。
「おかしいですね、思考接続は出来ているのに回答を貰えません。」
「対応を使用人に任せて門前払いか。大層なものだな。」
ボストークは皮肉を込めて言い放った。フライトコンポーネントが動作してさえいれば、こんな壁軽く飛び越えて見せるのに…待て、そういえばこの真鍮の飛行人形はどうやって…。

その時だった。なんの前触れもなく、階段前のゲートが開き、ガス灯に火が点った。
「…どうやら、入っていいという合図のようです。」
金色の機械鳥に率いられ、一団は観測島「ブラックヒース」の内部に踏み込んでいく。


高さ十メートルはあろう城壁に張り付くように設けられた石造りの階段。手摺無しでは不意の風に煽られて足を滑らせそうだ。シュミットはジャスミンの手を繋ぎ、一段一段ゆっくりと登っていく。さらに難儀なのがボストークで、機体の幅が階段に収まらないため、体を斜めに傾けて左側の足で壁を、右手で手摺を掴みながらほとんど段に頼らず進んでいく。

やっとの思いで上がりきった先にあったのは、小学校のグラウンドほどもある、タイル張りの広場。なるほど、観測士の言うとおり同型のドローンや二足型の機械人形がくつろいでおり、物珍しげにこちらを見ている。

「なんかみられてる…。」
「客人が珍しいだけだよ。…な?」
「ですね。ご安心を、あなた方がここに滞在する間は私が案内しますので。」
「そういえば、お前名前はあるのか?」

「飛行型人形観測士A63と言います。生憎芸のない名前で申し訳ないですね。」
「長いし、ロスでいいかい?」
「またずいぶん削りましたね、無駄のないネーミングで悪くは無いですが。」
「表記次第では損失という意味になってしまうがな。」
「またそういうことを言う、ゴードン様相手にそんな話し方してると、嫌われてしまいますよ!」

一行は広場をあとにし、島の中心部に向かう。広場の外れにある階段が建造物への入口らしい。通路は真っ暗だったが、踏み込もうとすると橙色の照明が点り、十九世紀のヨーロッパを思わせる懐古趣味的な装飾が浮かび上がった。
「実を言うと私はあまりここは通らないんですよ。」
「そりゃまたどうして?」
シュミットは壁に飾られた、名画の精巧なレプリカを覗き込みながら尋ねた。
「ここは二足歩行型の人形の通路なんですね、私達は普段もっと奥にあった天窓から入るんですよ。」

「迷路みたいに見えて、色々と考えて作られてんだな。で、そのゴードンって奴は何型なんだ?蜘蛛型は勘弁してくれよ?」
「あのねあなた方、私達の主人を何だと思ってるんです。あなた方と同じ人間ですよ、まあ見た目はの話になるんですけど…。」
そこまで言ったところで、ロスは振り返った。四人の客人はどれも姿がバラバラな亜人で、一人はそもそも生物の姿をしていない。

「そういえば先ほどから私聞かれてばかりで、あなた方が何者なのか全く教えてもらってませんよね?アンフェアはよくないです、それに連れてきた相手の事を全く知らないのも流石にまずいです。あなた方…結局何者なんです?」

「うーん…。」
シュミットは頭を掻いた。
「説明するのは構わないけれど、どこから話せばいいんだろう?」


シュミットは地球文明の発展とインターネットにはじまり、バーチャル空間と電脳都市の事、レガシーオーシャンやヨルムンガンドといった異常サイバースペースについて語った。

「えぇと…よくわかりませんが、あなた方は元々別の空間の住人で、この世界に来たまま出られなくなっていると。」
「一つだけ違う。」
ボストークが首を伸ばした。
「厳密に言うと、現状生身の人間はその耳長の男だけだ。我々は仮想空間活動用の肉体に、未知の原因で意識が発現、自ら動くようになったものだ。この海から出られない事に変わりはないが…。」

「ちなみにこのまま出られないとどうなるんです?」
シュミットが眉間にシワを寄せた。ロスのカメラは一瞬でそれに気づき、まずい事を聞いてしまったとわずかに後退した。
「彼の生命活動は、依然物理空間下にある。昏睡と意識の断絶が長引けば生命の危機、あるいは…今の私のように、アバターに取り込まれて、二度と出られなくなる。」

「なるほど、つまり手がかりがない上に急いでいるわけですね、わかりました。わかりましたからそんな怖い目で見ないでくださいよ!」
真鍮のドローンは四枚の小さな羽をじたばたさせた。
「詳しい事については、私の理解が及びません。しかし、ゴードン様なら何かご存じだと思います。日々、この海やよく分からない場所の地図とにらめっこしていますからね。」

「そこの角を右に曲がった先、客室に案内するように指示が来ています。一応私も一緒に行きますね、先ほどからあなた方は歯に衣着せぬ言い方ばかりで心配でしょうがない!」

通路の先、レイは重厚な扉に手を掛け、ゆっくりと開いた。