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【Legacy Ocean Report】#03 蠢く館と傾城の怪物

トッシャーシティから沖合に50km。目印無き絶海の中にあって、ポツンと海上フロートが集まった一角がある。その名もフローティングマーケット、レガシーオーシャンにおける数少ない海上拠点の一つだ。元々、海面から突き出ていた岩に接岸していた数隻の調査船を始まりに、最終的には20隻余りの船舶と4つの大型海上フロートからなる拠点へと成長…していた。

あの日までは。

海底遺産区画「20世紀都市」崩壊に伴う大規模泥流の影響は、このエリアを直撃した。フロートそのものは海上に浮かんでいるものの、起点となっていた岩の塔が根元から崩壊。切り離す間もなく接岸していた船舶数隻が巻き込まれ、海の藻屑と化した。また、海底に打ち込まれたアンカーユニットの大半が破壊され、フロートユニットが大きく損傷。最終的に見積もられた被害はエリア全体の45%、コスト760000。これはトッシャーシティ全体の被害の10倍以上に達し、存続が危ぶまれる数字である。

「見通しが甘かったと言えばそこまでだがな。」
フローティングマーケットの臨時指揮官、グローベルは背もたれに寄り掛かった。彼がいるのは現在マーケットを構成する中で最大の船、サカマタ号のブリッジ。マーケットの機能回復と修理の為、船ごとこの海上街にやってきた。
「確かにレガシーオーシャンの地形は変わりやすい。だが、時限爆弾たる20世紀都市の場所はあの場所で確定していた。経路上に泥跳ねを設けるくらいの真似はできただろうにな…。」

「ハイハイ愚痴はそこまで、もうすぐ潜水部隊が来るから、沈んだ資材を少しでも回収するわよ。」
扉を開けてやってきたのはイライザ、球体関節の人形のアバターで、この船の副長である。1mほどの小さな体に抱えているのは書類のホログラム。これを空中に展開すると、周辺のマップに各種情報が追加される。

大規模破損前と比べて、水上区画の面積は半分弱。それも、サカマタ号の甲板を含めての数字だ。失った区画にあった資材は今や大半が海底に沈み、デブリに呑まれつつある。そこで電子潜水の専門家、潜窟家の募集をかけて資材の回収を試みようとしていた。本当はサブポータルを使えるとよかったのだが、完成間近にしてこれもまた海の底へと消えた。

「……来たな。」
小さなクルーザーほどの船が外縁区画、ヴィジャヤ号に接舷するのが見えた。フロートユニットはどれも修理中で、修繕botが上面を蟻のように走り回っている。人間たちは現在、被害を免れた船の上を拠点としており、外部からの乗り入れも大型船が担当する。

船から十数名の潜水要員、それに修理業者が機材を抱えて降りてくる。フロートの修理が完了した時点でサブポータルを早々に建て、水平線の彼方にある港から資材を投入可能にする。そのためにも、高価で代替が効かないコアユニットを回収する必要がある。事前調査で、瓦礫の下敷きになっていることが判明しているポータルの心臓部を。

「ご苦労様、よく来てくれた。」
グローベルは先程までの斜に構えた態度を正し、援軍を迎え入れた。
「ご覧の通り、先日の崩落の余波でこの水上街は半壊状態にある。喪失した船舶やフロート、そしてその上に乗っていた資材は我々の足下、海底でダストに埋もれている。その中にはポータルコアなどかなり重要なものも含まれる、回収には君達潜窟家の力が必要だ。」
グローベルは精一杯士気高く語ったつもりだったが、どうも相手が乗り気に見えない。
「…すまない、何か、悪いことを言ってしまったか?」
ダイバーの中から一人が歩み出た、ツーサイドアップの黒髪を揺らす少女のアバター。『水面下の音楽家』カティアだ。

「ご存じだと思うんですけど、港ではトレジャーハント自体が大幅に衰退してるんです。その関係で、潜窟家という呼び名もあまり使われなくなって…。」
潜窟家というのは元々、トッシャーシティがバラバという小規模な港湾型コンティネントだった頃の住人の呼び名だ。それが電子海洋におけるトレジャーハントの勃興に伴い、意味が完全にすり替えられてしまっていた。それが今、元に戻りつつあるのだ。

この数ヵ月の間に、文化と共に言葉さえもどんどん変わり始めていた。
「成る程、気を害したものがいたらすまない。ともあれこれは重要な仕事だ、このプロジェクトの成功が、立場が急速に揺らぎつつある君達の将来を照らす道標となってくれることを願うよ。」
グローベルは何とか繕った。実際今回の参加者の中に、最早専業でトレジャーハントをしているものなどいない。この街の現実は皆よく知っている。ならば、未来のために動くだけだ。

船舶周辺に設定された4つの沈潜ポイント。その中でもポータルコアが眠っている3番ポイントが最優先だ。ダイバーたちは水中に泡の柱を立てながら、潜っていく。透き通った水の感覚が全身を満たしていく。この疑似水圧感は海洋型電子空間における活動にとって、非常に大きな意味を持つ。水中エリアを自在に動くためには、周囲に水の疑似感覚を捉えておく必要があるからだ。

海底に真っ先に降り立ったのはナターシャ、水中行動に適したイカ型のアバターだ。
「やっぱり水中のほうがいい感じ、最近は丘の上ばかりで。ダイビング体験ができると聞いてバーチャルダイバーになったんだから。」
続いて10名余りのダイバーが次々と降り立つ。

「全員海底に到達、回収作業を開始します。」
「了解、コアメモリー回収用の浮揚ポットを降ろす。」
ヴィジャヤ号のクレーンからポッドを抱えた小型フロートが吊るされ、ダイバーたちの真上に転回する。
「あの瓦礫の下で光ってるのがポータルコアだな。あれを回収してポータルを復元しない限り、港からここに来るのにいちいち船を飛ばす必要がある。」

「ヴィジャヤ号、クレーンを止めろ!」
制御ルームに突如アラートが飛び、オペレーターは慌てて手を離す。サカマタ号のブリッジでは、グローベルが高深度パネルで水平線近くを凝視していた。
「拡大はこれで限界か…。」
高深度パネルに映っているのは、一見水上に浮かぶ残骸の山に見えた。


「グローベル、何か見つけたの?」
イライザは足場によじ登って高深度パネルを自分の高さまで引き寄せる。
「これはエルドラアイランドだ、暗礁のようにも見えるが電子生物だ。」
「……画面表示に全長120mとあるんですが、これが生き物と。」
グローベルは頭を片手で揺すった。

エルドラアイランドは巨大な貝型の電子生物で、殻の表面に膨大なメモリーセルを固着している様から名付けられた。ただし、その大半は機能を失った劣化メモリーセルのため価値はなく、夢の島と揶揄されることもある。性格は温厚だが、水面下では常に伸縮する触手が象の鼻のように海底を探っており、下手に刺激すると激しい抵抗を受ける。

「……本来この種は、活性の強いメモリーセルを嫌う傾向がある。だからポータルコアのような反応の強いものを見つけるや、一目散に去っていくはずなのだが…。」
「でもこの子、近づいてきてません?」
イライザは高深度パネルの映像をグローベルに向ける。そこには、小さく波を立てながら確実に迫りくる、生ける小島の姿があった。

「まずくないですかこれ。」
「ですかじゃなく普通に危険だ、突っ込んでくるぞ。」
グローベルはコンソールを立ち上げ、対抗シーケンスを起動させる。
「トライデントをお呼びしますか?」
「間に合わない、こんな僻地まで来るのを待っていては潰されてしまう。」

「どうした、船の上が騒がしいぞ。」
バーチャルゲンゴロウのイギーがブリッジに通信を繋ぐ。
「ダイバー達に次ぐ、回収作戦は中止だ。今すぐ浮上せよ。」
顔を合わせるダイバー達。
「何があった、こちらからは何も見えないが。」
水中の視界は300m程、かなり澄んでいるが果てまで特に障害物は見えない。

「フローティングマーケットから800mの地点に超大型の電子生物を確認。
カテゴリーB、エルドラアイランドだ。既に危険な距離まで接近している、浮上し退避せよ。」
青のカーテンの向こう、見えない危険を一瞥しながら海底を蹴って水面を目指す潜窟家達。
「エルドラアイランドは、活性の強いエリアには近づかないはずでは。本来船乗りが通らない暗礁海域を、波任せに漂っているだけと聞いたわ。」
ナターシャは疑念を込めて呟いた。

海面に浮上し、ボートを目指す一同。その頭上を、ズンと低い音を立てて何かが通過していく。電子銃砲特有の重低音、威嚇のためのサカマタ号からの発砲だ。
「これで怯んでくれればいいんだが…。」
電子衝撃弾頭はエルドラアイランド上部の残骸塊を直撃し、捥げ落ちた一部を海に叩き落す。だが、全く怯む様子はない。


「ちょっとちょっと、何勝手に攻撃してるの?」
「今ので確信を得た、『クラーケン』だ。」
グローベルの表情は明らかに焦っていた。次の瞬間、彼はフローティングマーケット全域に対しアラートを発する。
「クラーケン?何か別種なんですか?」

「一年余り前、トッシャーシティ沿岸域をエルドラアイランドが突如襲撃した事件があった。沿岸域には当時、水上建造物群や船舶が数多く停泊していたのだが、これらが大きな被害を受けた。あの時は港の迎撃装置で追い払ったが、野郎生きてた上にさらにでかくなってやがる。」
グローベルはエルドラアイランドの頭部についた傷を見て確信した。例外的に非常に攻撃的で、クラーケンの名前で呼ばれた個体のことを。

リーダーの脳裏に、外湾停泊中の船舶が次々と沈められる光景がフラッシュバックする。護衛船舶のハッチが開き、対危険電子生物用のスクリプト誘導弾が次々と打ち上げられてゆく。ドラゴンのように高速で飛翔する標的と違い、動きの鈍いクラーケンは格好の的だ。だが、相手は全く意に介する様子がなくどんどん接近してくる。

「やばいですよこれ、激突します!遠くにいるうちにドローンを飛ばして遠くに誘導しておけばよかったんじゃないですか!?」
「無駄だ、あいつ最初からこの基地を狙っている。ありったけの弾頭を撃ち込んで戦意を喪失させ、追い払うしかない。」
イライザはパネル越しに巨大な怪物を睨む。スクリプト弾が着弾するたびにグリッチが火柱のように上がるが、効いているようには見えない。


「おいおいあいつら戦争を始めやがったぞ、何なんだ!」
潜水チームを乗せたボートは射線の真下を避け、迂回していく。この規模での電子兵装の使用は、電脳都市でもそうそうお目にかかれない。恐慌状態の潜窟家達、だが一人だけ全く違う目で海の魔物を見ている者がいた。
「……奴が来た」
ボートの甲板からVRゴーグル風の双眼鏡をかけ、髪をなびかせる乗員が一人。カティアだ。

「おい、何をしている!振り落とされるぞ!」
カティアは右手に電子弾頭を構え、重装スーツを着込んだ。
「あいつは初代クマサカ号の仇、ここで決着をつける!」
「何言ってる馬鹿、よせ!」
イギーが手を掴もうとする間もなく、黒い影は砲弾飛び交う海に飛び出していった。

頭を下げながら海上に浮かぶ瓦礫を八艘飛びし、まるで海面すれすれを飛行するかのように迫りくる浮島に肉薄する。決して潜ってはいけない、足元ではクラーケンの名にふさわしい屈強な腕が待ち構えている。本体まで300…200…足場がない。左腕のフックロープを発射し、遠方の残骸に縋りつく。それは先ほどの威嚇砲撃で落下したものの一つ、本体はすぐそこだ。

その直後、背後で海面を突き破って触手が伸び、叩き潰しにかかる。だが海上の狩人の姿はすでにそこにはなく、代わりに折れたポールに括り付けられた電子機雷があった。機雷を殴りつけてしまった腕は痺れるように怯み、海面に倒れこんだ。その時カティアはというと、既に本体に到達し外殻を探っていた。

「(一般的には知られていないっすけど、電子生物にはパルサーセルという心臓部がある。虹色サザエやシミーでは小さくて分かりづらいっすけど、ドラゴンだと相応な大きさになる。なら、こいつにはでっかい心臓があるはず…)」
片目をつむり、空間上を走る独特のパルスを“見る”。スケープゴート特有の、特殊な空間情報把握力だ。頭上では轟音が走り、極彩色のグリッチが絵の具をぶちまける様に色彩を撒いている。
「(エルドラアイランドは劣化メモリーセルを飲み込む過程でその性質を微かに吸収する。長く生きた個体は、対抗スクリプトを取り込んでいる。あれでは倒せない)」

手甲鉤でしがみ付きながら反応を探る。巨大な体の内部から発信されるパルスの道…その先。
「ここだ!」
それは水面すれすれ、上部からは甲殻で巧妙に隠された噴水孔。鰭の類が見当たらないこの生き物は、ジェット噴水で移動していたのだ。カティアは鉤爪を噴水孔の内壁に突き立て、大量の水を押しのけて内部に進入する。

「うおっとぉ!」
噴水孔を抜けると、それまで抵抗していた水圧が突然消えて、不意に空洞に投げ出された。
「何すかこれ、内部は空洞…?」
それは、肉質の壁で覆われた大きな部屋だった。生き物の消化管にも似た薄赤い内襞を、青い血管と思われる器官が縦横無尽に走っている。そして足元では、太さが水道管ほどもある水管が何本も伸びていた。そして、部屋の中央で脈打つ4つの発動器官。その中心に、淡く発光するサッカーボールほどの結晶体が輝いていた。頭上では、なおも轟音が肉の天井越しに響いている。
「こいつを叩けば無事では済まない筈、覚悟!」
狩人は、瓦礫破壊用に持ち込まれていた圧壊装置をクリスタルにセットする。
「3…2…1…くらえ!」


「距離、150!」
「まずい、直撃する!」
巨大な浮島は、もはやその全長ほどの距離にまで迫っていた。全く意思を感じさせず、本当に操舵を失った船のように突き進む。その巨体は、数十発のスクリプト弾頭の直撃を受けても残骸をこぼれ落とすばかりだった。フローティングマーケットから避難命令が発令され、ボートが船員を乗せて船から離れ始めていた。

その時。

小島ほどもある巨体が突如として大きく旋回すると、体を捩じり、もがき始めた。水流を噴き上げ、激しく外殻を軋ませながら、体を左右に激しく揺さぶっている。クラーケンはその名にふさわしい長大な触手を慌ただしく動かしていたが、やがて巨体全体が傾き転覆した。痙攣していた触手の一本が最後に10m近くまで高く持ち上げられたのち、崩れ落ちるように海中に没していく。

離脱態勢にかかっていたサカマタ号の船長は、その一部始終を見ていた。
「何があった…?」
ブリッジの窓から見えていたのは伝説の魔物の渾名にふさわしい、無数の触手を伸ばした化け物の亡骸。その内部から、人影が出てくるのを彼は見逃さなかった。
「ダイバー……ダイバーが出てきたぞ。あいつがやったのか。全くまさかだ。内部からの撃破とは恐れ入った。」
グローベルは眼前の信じがたい大捕物に、大分興奮しているようだった。

「感心している場合じゃないですよ。」
妙に冷ややかな視線がグローベルに刺さる。
「え?」
「ずいぶん自慢げに怪物退治してるのはいいですけど、間もなくあの“小島”は沈むでしょう。そうなれば、ポータルの上にまた大量の瓦礫が沈むことになるじゃないの。」
「タグボートを回す、あいつをエリア外まで押し出すんだ、急ぐぞ。」
「やれやれ。」

フローティングマーケットは間一髪壊滅を免れた。事後調査でこの個体がかつて沿岸を襲い「クラーケン」と呼ばれた個体であることが正式に確認され、港の組合から出た報奨金で多少の埋め合わせをすることができた。工期は予定よりもさらに遅れることになったが、今度こそ軌道に乗ってくれるだろう。

「いやぁ、まるで映画みたいな活躍だったじゃないか。もしかして元トライデントかい?」
「違うっすよ、ただの売れない音楽家。今回は特に個人的な仇があって、何とか決着をつけたかったんすよ。」
「はぁー、おっそろしいねぇ…てっきりヴァリャーギにでも所属してるのかと思ったよ」

「…ヴァリャーギ?」