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三期生たちの“サイレントマジョリティー”——櫻坂46『静寂の暴力』

ギリギリまで隠された曲名『静寂の暴力』は、英語にしたら「サイレントマジョリティー」となる。静寂の暴力は、無言の圧力、暴力的に沈黙を強いる力。雨に打たれ濡れ髪の彼女たちが、その暴力に抗うように踊る。「おもてなし会」のときにも思ったけど、山下瞳月は、ダンスはいうまでもないが、やっぱり声がいい。自己紹介で、本人も周囲も「歌だけはやめておけ」みたいに言われてたらしいが、歌の上手下手と声質は別のものだ。『五月雨よ』や『Buddies』のソロパートで、ハッとさせられたように、本作でもたぶん山下の声と思われるところに心が動かされる。歌は上手いに越したことはないけど、「声がいい」ことは才能だ(もちろん好き嫌いはあるけど)。

MVが描くのは『夏の近道』前夜というか、三期生Episode.0といったところだろうか。思春期なら誰もが経験するだろう突発的な孤独感。呼吸さえ苦しくなるような無の空間に閉じ込められる。『Start over!』がどこか『黒い羊』を想起させるように、『静寂の暴力』もまた、欅坂の楽曲を呼び起こす。

誰にも気づかれず
どこかに消えてしまいたいよ
影もできない まだ薄暗い街

欅坂46『夜明けの孤独』

あ、Episode.0だから、『月曜日の朝、スカートを切られた』のほうがしっくりくるかもしれない。スカートを切られた彼女たちが、最後『サイレントマジョリティー』の衣装をまとい戦いを始めるところで終わるように、三期生たちは「思考を停止させる」暴力に抗うマニフェストとともに円陣を組む。
多分、最後の台詞パートは曲の頭にあるほうがしっくりくる。本来は、円陣〜台詞〜楽曲という流れだと思うけど、逆にすることで、楽曲=孤独から、台詞=マニフェスト、円陣を経て『夏の近道』へつながるようになっている(ドキュメンタリーなどでも見られる「ウィ〜!!」っという掛け声は『夏の近道』と強くリンクする)。

『Start over!』が設定する再スタート地点は『黒い羊』から平手脱退までの時期といえる。だからこそ(だいぶ人数が減ったけど)当時在籍していた、新二期も含む全員による楽曲となった。そして、三期生たちは、平手友梨奈なのかなと思う(お互いに迷惑な解釈だと思うが)。MVのインサートで描かれる彼女たちは、欅坂MVの登場人物のようだし、山下はそのまま平手に通じる。
少なくとも「サイマジョ」をひねったタイトルの楽曲で、こんなMVを見せられたら、本気で欅坂を再スタートさせようとしているのかと思ってしまう。

といっても、亡霊を甦らせるわけではない。

誰もいないだろうと思った真夜中
路地裏ですれ違う人がなぜいるの?
独り占めしてたはずの不眠症が
私だけのものじゃなくて落胆した

欅坂46『角を曲がる』

欅坂の主人公の孤独は相対化され、誰もがもつ普通の悩みにされ、『最終の地下鉄に乗って』でも描かれるように、この先明るい未来が待っているわけでもない。「夢や理想が思うようにならなくっても」生きることを歌ったほぼセルフタイトル曲といっていい『桜月』を経て、もう一回あの時期からやり直してみよう、という意図があると思う。
→このへんの意識の流れはもう少し複雑だと思うけど、結論としてはこうだろう。

自分から 叫びたいよ
泣いてもいい
声を枯らし ここにいると知らせたい

『静寂の暴力』

おそらく山下の声からはじまる大サビの部分。あの時、自ら「黒い羊」になることを選択せず、「私」が「私」であることを叫ぶことができれば、違う未来があったのかもしれない。一・二期生たちはありえた未来を、三期生たちは未だ見ぬ未来を生きはじめる。

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