「マモリビト」とは、私たちのことでもある——櫻坂46三期生「新参者」
体感5分。リアルと配信2公演の計3回観た一番の感想がそれだ。
以下、各楽曲・メンバーの印象と、欅曲について。
『夏の近道』『Anthem time』
『夏の近道』はさすがに安定感というか定番曲の貫禄が出てきた。『Anthem time』は文字どおり、三期生のアンセム。櫻坂チャンネルの密着動画では、本番前にいっぱいいっぱいになってる様子の中嶋が映っていて、それを抑え込んでのあのパフォーマンスだったと知ると、体感5分の理由がちょっと見えてくる。彼女たちはMCも煽りもまだそんなにうまくない。そんな自分たちがBuddiesを満足させるものは何だろうか。その思いがこの2曲に凝縮されている。
『思ったよりも寂しくない』『なぜ 恋をして来なかったんだろう?』『偶然の答え』
課題解決型のキャスティングとなった的野と谷口。ラップと糸という二大トリッキーなミッションを与えられた的野は最後まで苦戦した感じだが、彼女の声がハマりまくってた。ハイアベレージな谷口は、そのなかでも苦手分野の楽曲が当てられた感じがする。今回どのぐらい達成できたかは、今後のパフォーマンスに表れてくるだろう。
『それが愛なのね』『Deed end』
三期の二大エースうさねこが煽り担当。イントロや曲中の煽りは、パフォーマンスだけでなく会場全体の意識をリードするとともに、本人にも自分が引っ張っていくんだという意識を持たせる役割があると思う。タイプの違うエースの存在が頼もしい。
『君と僕と洗濯物』『Microscope』
向井は真面目で素直なキャラクターがそのままパフォーマンスにも表れていて、清らかなオーラに包まれてる。石森のよさは地でやれるかわいさ。一人称が「僕」の曲でも、石森がやるとすべて女の子主役の曲に変換できそうなガールパワーがある。
『ブルームーンキス』『Nobody's fault』
村井は向上心とポテンシャルのモンスター。やりたいことやれることがありすぎて底が見えない。この貪欲さと、冠番組で徐々にバレてきた独特のセンスが絶妙なバランスをとっている。
『桜月』
ある意味、小田倉は舞台に佇んでいるだけで様になるような雰囲気がある。でもそれは、まだ意識的に自己演出できているわけではないだろう。バックスライブでもう一度『桜月』に挑戦してほしい。これからどのように変化していくか楽しみなメンバーである。
『五月雨よ』『静寂の暴力』
山下のすごさは「違和感のなさ」だと思う。おもてなし会で『五月雨よ』を観たとき、『静寂の暴力』がMV配信されたとき、『桜月』で小林の代役に入ったとき。私たちは、そのクオリティに度肝を抜かれつつ、違和感なく受け入れているのだ。山下がセンターになったとき、その曲が最初から山下センターの曲だったかのように錯覚してしまう。Wアンコールで『語るなら未来を…』がその最たるもので、メンバー全員の意識が山下に集中していく。逆に『静寂の暴力』は山下がやはりすごくて、山下と山下にくらいついていくメンバーとの緊張が強烈な一体感を生み出してる感じがする。
『半信半疑』
中盤の山下センター、村井のアイソレーションなど見どころの多い楽曲にあって、村山のセンターは圧巻。初期にあったやりすぎ感がどんどん洗練されてきてるので、徐々に変化していくのだと思う。
『流れ弾』『BAN』
センター対その他メンバーの構造をもつ『流れ弾』は、センターの力量が楽曲のパワーに直結する。遠藤にも表現する「個」はある。それを表現できるスキルを身につけるのはもう少し未来だ。石森の『BAN』は格好の先行事例となる。
『マモリビト』
舞台上ではメインMC&リハーサルの挨拶などを中嶋が担当しリーダーっぽいけど、ライブ前の円陣は小島が音頭をとっており、グループのまとめ役として機能しているように見える。つまり、ラストソングはキャプテンのセンター曲で大団円を迎える。これまでのライブでは『BAN』がラストパフォーマンスだったが、本楽曲はその続きを描く。
冒頭に感じた「体感5分」は正確にいうと『Overture』から『BAN』までが体感5分で、ほぼ楽曲とダンスのみでストーリーが構成された濃密なプログラムをくらったあと、小島のMCで解放されていくように我に返り、体感時間は正常化していく。「ここからは私たちの番です」という小島の言葉は、メンバーだけでなく私たちBuddiesにも浸透し、彼女たちと私たちの間に同じ時間が流れ始める。そう、「マモリビト」とは、私たちのことでもあるのだ。
ライブ後、日が経つごとに、三期生のドキュメンタリーで『BAN』を観た偉い人が「一瞬だよねぇ」とぼそっと言った、あの感じが腑に落ちてくる。各坂道の新期生による連続公演「新参者」は、彼女たち自身がいうように、多分こんな公演ができる機会はもうない。最初で最後のかけがえのない日々である。
その「一瞬」に賭けた時間と空間は、彼女たちと居合わせた私たちに「永遠」に共有される。
『語るなら未来を…』
まずいえるのは、卒業セレモニーのときサプライズでメッセージを送ってくれた土生への感謝の気持ちと餞であること。その意味で、欅坂46のラストライブで土生がセンターを務めた『語るなら未来を…』は最高の贈り物だ(『エキセントリック』は流石にエキセントリックすぎるだろう)。今後、欅坂曲をやっていくのかどうかわからないけど、一期生の卒業時に後輩たちが欅の楽曲で送り出すというパターンもあってもいいと思う。
実際問題として、欅坂から櫻坂になって、メンバーや歌詞の主人公の年齢が上がったこともあり、かつての欅曲は今のメンバーたちには合わない曲が多くなってると思う。櫻曲でも『Dead end』は歌詞的(職質されて親が呼ばれるとか)に三期生のほうがしっくりくるものがあったりする。ならば「三期生たちに欅曲をやらせてみたらどうなるか?」と運営が考えるのも頷ける。「新参者」Wアンコールは、格好のテストマッチとなった。
一期生の生まれ変わりのような彼女たち。欅曲と三期生の親和性は想像以上に高い。何より衣装が似合っている。三期生が先輩たちの歴史を引き継ぐなら、欅坂時代の楽曲をやるのは意味があるし、資格も実力もある。彼女たちは自らのパフォーマンスでそれを証明した(と思う)。
視点を変えると、アニラ2日目でセットリストから『Nobody's fault』から『Cool』に変更していたのも象徴的だった。櫻坂はキャプテン交替時を移行期として、『Nobody's fault』『Buddies』に代表される櫻坂第一章、『Start over!』『ドローン旋回中』からはじまる第二章に分けることができる。第一章は内省的でメンバーやBuddiesとの絆を確かめる期間であり、第二章は新しいBuddiesたちへ展開・拡散するフェーズとなる。その転換点にあたるのが、ほぼセルフタイトル曲『桜月』、欅曲のような主人公を再導入した『Cool』であり、第一章の総括、第二章の新展開を表している。
「新参者」は、まさに第一章を総括するセットリストであり、最終公演では1stシングルの衣装で登場し『Nobody's fault』をパフォーマンスしている。一・二期が歩んできた道を丁寧に三期生に辿らせているのがわかる。
「明るさ」がもたらす希望
3公演観たなかで印象的だったのが、最終公演終盤のMCで村山が「力尽きるまでがんばります」というようなことをいって、(いや、力尽きちゃったらダメでしょ)と思ってたら、本人も気づいたのか、暗転の中で思わず吹き出すような声が聞こえてきたところだ(ただの咳払いかもしれないけど)。その直後に、あの『静寂の暴力』がはじまるわけだが、その一瞬の切り替わりというか、楽しいときは思いっきり笑うし、悲しいときは大号泣するような、感情がストレートに表現に直結している感じが、とても稀有なことだと思う。
三坂道の「新参者」裏側密着ドキュメントを観ると、どの坂道も相当なプレッシャーを乗り越えて舞台に上がっている様子が映し出されているのだが、櫻坂三期は、乃木坂5期や日向坂四期が抱える周囲の重圧や比較から離れたところで、純粋にいいパフォーマンスを目指すことに全振りできているように思う。大真面目なことを言ってる側から自分で受けて吹き出しちゃうような、素直な「明るさ」があるのだ。それは彼女たち本来の明るさかもしれないし、経験不足からくる楽観かもしれないし、ペタペタさわりながら労ってくれる藤吉みたいな先輩たちがいてくれるおかげかもしれない。
この「明るさ」はアイドルをやっていく上であまりに無防備かもしれないが、この「明るさ」だけがもたらす希望というものがある。
全体的なステージングは乃木坂・日向坂のほうが舞台慣れしているだろう。でも、不器用な彼女たちの思いはストレートに響く。その笑顔、その涙に嘘がないことがわかるからだ。