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アイドルの私生児——櫻坂46 6th Single『Start over!』

初見で、ラストの藤吉の笑みに背筋が凍る。MVは『黒い羊』『アンビバレント』『ガラスを割れ!』等の欅楽曲のオマージュが挿入され、私たちギャラリーに「これこれ!」と思わせながら、最後の最後で「こんなんで満足してるんだ?」と不気味な笑みで突き放す。このドSっぷりに彼女たちの本気度が伝わってくる。そう、鼻血が出るほどに。
前作『桜月』『Cool』で、すぐそこまで藤吉夏鈴が来ていることを書いたが、恐ろしいほどの強度をもって彼女は帰ってきた。

MVでは、小林・土生が物語の主人公で、藤吉がトリックスターの役割を果たす。
スマホを見つめ自己に閉じこもったように見える小林は、『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』における、本当の思いを口にしない彼女の姿に重なる。たぶん、小林のこの姿勢は一期生全員に共通する特性だと思う。現在は一期から三期まで壁がないように見えるけど、実は最後まで破れなかった壁なのではないか。この壁を打ち破り、火花散る熱い世界(これは『摩擦係数』の世界だ)に連れ出すのは、やはり藤吉しかいない。本作は一期二期全員選抜じゃなく、一期生が全員選抜されていることが何より重要なのだ。ここまで残ってくれた一期生たちを労わるんじゃなくて、さらに煽ってくる。最初は拒絶の意思を示す小林も、やがて晴れやかな笑顔を見せる。
もうひとつのラインでは、グループ内の戦いが描かれる。3rd以降エイト落ちが続く土生は、バックス曲でもセンターの座を奪われ忸怩たる思いがあるだろう(今回、大園もカップリングセンター&エイトから3列目後退となりブログで思いを書いている)。ここからどう這い上がっていくか。グループには先行者がいる。今シングルでシンメとなる小池だ。土生のカットを挟むようにして、「まだそこにいるつもり?」という視線を投げかける(彼女自身リップシーンはないのだが)。そこから土生の覚醒がはじまり、唯一無二のかっこよさに昇華させる。ちょっと無理がある解釈だけど。

『Start over!』1'49"あたり

テレビのインタビューでは、ラスサビのダンスは心臓を表現しているという。となれば、イントロとサビ前の足踏みは鼓動を意味する。TAKAHIRO先生のツイートの「生きる」というワードと絡めれば、昔読んだあの小説を思い出す。

僕は母親から受けた心臓の鼓動の信号を忘れない、死ぬな、死んではいけない、信号はそう教える、生きろ、そう叫びながら心臓はビートを刻んでいる。

村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』

コインロッカーから保護された二人の「孤児」の物語。彼らは過剰なまでの衝動に突き動かされるが、それがまさに「生きる」ということだった。
かつて欅坂時代に「反撃の狼煙」と題された雑誌の特集(「BRODY 」2018.8)があったが、彼女たちはずっと戦い続けている。そして、2nd TOURにおける菅井の最後のあいさつでも「グループを守るために戦ってきた」と。彼女たちはいつも戦場にいる。何と戦ってきたのか。それは“世間”とか“空気”とかいうようなサイレントマジョリティーだ。それはほぼ勝ち目のない戦いであり、事実、彼女たちは何かとよくわからない誹謗中傷の対象となってきた。社会の目には、10代かそこらの彼女たちが忌避すべき「孤児」「私生児」に見えたのだろうか(このメタファーはよくないかもしれないが)。
5th収録の『魂のLiar』『無念』は、ライブアクトを観た上でもやっぱり好きになれないけど、スタートオーバーするために、必要な楽曲だったことは確か。かなり不恰好な形だが、自分たちが戦う集団であること、グループが誕生したときから戦うことを運命づけられてることを否応なしに自覚させられる。
昨年多くの卒業者を出しながらも、三期生も入っていよいよ一致団結して坂道を登っていこうというときに、トリックスター藤吉が突如反乱を起こす。周囲の反応は様々だ。すぐに呼応する者、それに追随する者、煽られて立ち上がる者、まだ半信半疑の者……。これらが土生の覚醒に引きずられるように、鼓動の高鳴りとともに一つの心臓にまとまっていく。

『Start over!』3'36"あたり。森田はずっとメガネ!

暴れ回る心臓は、そのうち『エキセントリック』を彷彿させる動作に移っていく。しかし、欅時代とは表現のベクトルが逆になっていることに気づく。
彼女たちにとって「戦う」ことは、ともすれば自分への破壊衝動として表れることもあった(『黒い羊』)。でも、今の彼女たちは「自分たちが生きること」「(自分も含めて)対象をエンパワーメントすること」につながっている。「夢や理想が思うようにならな」いことがわかった上で、「生きろ」と声を上げ続ける。本作『Start over!』では、それがドSなまでに振りきっててBuddiesをも煽りまくってくるのだ。彼女たちは決して「絶望」なんてしない。「絶望」=「死に至る病」ではなく、「生きる」ことの衝動が彼女たちの原動力だ。でも、それは不可避的にマイノリティのものなのである。


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