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死ねない人間たちへ

幼稚園の頃から家出癖があった。お母さんに怒られて、嫌になると家を飛び出した。四、五歳程度の足で行ける範囲は限られていて、いつも少し離れた後ろをお母さんが付いてきていて、私はどうにかして目の届かない場所に行きたいと思っていた。それでも終いにはいつも家に帰って、泣き疲れて眠りについて、目が覚めるころにはご飯の時間で、私の機嫌も直っていた。

小学生くらいになると、そもそも家にいる時間が減り、家出癖はあまり出なくなった。代わりに自分の部屋に篭って、この窓から飛び降りて死んでしまえばどうかと思うようになった。きっと家族は悲しむだろう、そんなことを思うと自分も悲しくなって、泣いて、それから泣き疲れて眠って起きたらご飯の時間、というのは幼稚園の頃と同じだった。

中学生になった。小学生の頃の癖に加えて、安全ピンでピアスを開けようとしたり、煙草を吸ってみたり、自分の身体に危害を加えることが増えた。大音量で音楽を聴いたり、ドラムを叩いたり、部屋の壁に穴を開けたり、なんとか外に発散しようとすることも増えた。

高校に上がるのをきっかけに、ちゃんとピアッサーでピアスを開け、安全ピンを刺すことはほとんどなくなった。バンドを始め、やけくそにドラムを叩くことも減った。柴犬を飼うようになり、物に当たることも少なくなった。すこしだけ、自分がまともな人間になれた気がした。

大学に入って一人暮らしが始まった。家出をするまでもなく、いつも家には私ひとりだった。飛び降りて死ぬような高さのベランダはなかった。近所迷惑を考えると、大音量で音楽を聴くことも物を投げることもそうそうできなくなった。もちろん部屋にドラムセットはなかった。ピアスには興味がなくなり、左耳にひとつを残してすべて閉じた。寄り添ってくれる柴犬もいなかった。泣き疲れて眠っても、起きるのを待っていてくれる食卓はなかった。だから起きても何も口にせず、そのうち泣き疲れて眠るということもできなくなった。落ち込んだことや悲しかったことを、そのまま数日引きずることも増えた。

酒を覚えた。煙草も自分で買えるようになった。安全ピンの代わりにカッターを手にするようになった。身体の痛みに集中すれば、心の痛みが和らぐ気がした。そのことは周りの人にはほとんど言わなかった。伝えたときには「おかしいよ、病院行きなよ」と言われた。

一度だけ、とても尽くしてくれる人と付き合った。こんなに愛されることがあるんだと知った。自傷癖はなくなった。自分を大切にするようになった分、相手を大切にできなくなった。恋愛そのものに対しても関心が薄れた。付き合っていない相手ともセックスをした。

社会人になった。家にカッターを置くことをやめた。一方で煙草は常習的に吸うようになった。人との関わりが増え、ストレスが溜まった。ミスをして怒られるたびに、自分はダメな人間だと思った。誰か刺してくれないかな、はねてくれないかな、と考えるようになった。ただ、死んでも残せる遺産はなかった。奨学金を借りて大学に行き、教育ローンで留学に行かせてもらったことを思えば、親のためにもいま死ぬわけにはいかないと思った。

死にたいというより、ただ消えてしまいたかった。すべてから逃げ出して、すべての悩みから解放されたかった。嬉しいことや楽しいことが待っているとしても、とにかくこの辛い日々を終わりにしたかった。いつもそうだった。

そんなとき、大好きなバンドのライブを観た。ライブに行くこと自体、高校以来はじめてだった。中学生の頃から憧れていた人間が目の前で歌っていた。生きていて良かったと、こんなにも強く感じたことはなかった。

ほとんど時を同じくして、自分が本当にやりたかったことは何だっただろうと考えた。自分が楽しいと思えることは何だろうと考えた。心の中にずっと抱え続けていた夢に思い当たった。これをやろう、そう思った。

仕事をやめて実家に帰った。煙草も酒もほとんど手を出さなかった。金も恋人もいらないと思った。男遊びどころか友達とすらも遊ばないような日々が続いた。寂しいときには柴犬がいた。自分のやりたいことを、自分のやりたいようにやった。充実感も手応えもあった。

ふと思った。こうして自分の人生を優先して、大切な人達との関わりを失っていくのだろうか。本当にそれが自分にとっての幸せなのだろうか。怖くなった。

東京に出てきて、ふたたび社会人になった。それから一年ちょっとが経つ。昔に比べると、悩むことや落ち込むことは減った。それでも死にたいと思うことは今でもある。二十年以上かけて積み重ねてきた逃避癖が姿を見せるたび、本当に逃げることなどできないと知っている私は、居場所を失ってただひとり部屋で塞ぎ込んでいる。

何故こんな人間になってしまったのだろうと時々考える。温かい家庭で育ち、人に恵まれ、それほどの苦労も挫折もなく生きてきた。なのになぜ、死という存在は幼い頃から私の頭を離れないのだろう。

死ねない理由があるから生きている。ならば、その理由がなくなったら私は死ぬのだろうか。その時はきっとまた死ねない理由を探すのだろう。死ぬのは怖い。死にたいのではない。私はただ、苦しまずに生きていける方法を知りたい。

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