エリザベスとジェレミー

人間の中心人物は感情じゃないのか   そうか

ふと流れてきたマカえんのブルーベリー・ナイツを聴いたら、大好きで仕方ないマイブルーベリーナイツをもっともっと観たいな、あと何回観ようかなと思ったし、ブルーベリー・ナイツもまだ何回も聴きたいよなと自然に感情が出てきてしまった。死にたがりのわたし、かくれんぼかな?蒸発かなあ?わざわざ自分で作る感情じゃなくて、こういう気持ちになるのは、すごく久しぶりみたいだな。なんか、ビビットカラーの新鮮であって、初めて澁澤龍彦に出逢ったときのような衝撃を伴っていたから、ちゃんとわたしの感情だと知れて嬉しかったな。マカえんの曲は他にも好きなものいっぱいいっぱいあって、すごいヒットみたいな曲じゃなくても、ハートロッカーとか、零色とか、サウンドオブサイレンとか、もっともっと、しぬほどリピートしたものたくさんあるのに、なんだかわたしにとってブルーベリー・ナイツは異色だな。そうなんだな。手のひらで掴んでずうっと持っているような、じんわり広がる感触とぬくもりを手のひらから通して、そして血管やリンパの中を通っていく、チリチリした、誰も知らない電流のように、さわやかな紅々しい刺繍糸のように、体内っぽいところを縫いながら通ってゆく、それ。愛している。愛しているんだね。わたしを愛しているような心でこの音楽を愛している。頭蓋骨に刺繍された深パープル色のこの曲のなにもかもが、この曲を愛させてくれる。ふわふわ浮かんでいた愛しさを、今日も心臓に挨拶させることが出来て、目に見える目に見えないものに出来た。
私は嬉しい。嬉しいが愛おしいと、一緒だといいな。

人間の中心人物は、感情だね。間違いでも、私はそれを、甘味の一種である人間の本質だと思う。白いお砂糖がたっぷりのブルーベリーパイを、かじらせて。

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