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枕元のルート・ブリュック

ルート・ブリュックという人を知らなかった。肥後橋のCalo book shopで西岡潔さんの写真を見に行った帰り、たまたま手に取った、小さな図録。まだ実物も見る前に、なんだか離れがたい感じを受けて、優柔不断な私にしては珍しく、そそくさとレジに持ち込んだことを覚えている。

そこからその年は、彼女の影を追いかけて、東洋陶磁美術館・アートエリアB1・そして伊丹市立美術館へ。伊丹ではガラスケース越しではない作品と、静かに向かい合うことができた。つたない言葉で作品を解説するのは、なんだか野暮な気がしてはばかられるが、彼女が母について残した言葉で、印象に残っている一節を紹介したい。

『母は、自分の作品についてはとても几帳面だったけれど、日常生活ではボヘミアンと言えるほど、大きく異なっていた。

たとえば、母がアラビアに行かない日は、「あなたも学校に行かずに家にいてほしい」という言うのだった。他の母親たちはそんなことは言わなかった。そして私たちは一緒にすばらしい一日を過ごした。私がアラビアにって土だらけになって過ごすこともあった。』

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