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包丁

高校2年の頃

父は働けない体だったので
自宅療養していた

毎日毎日父の介護
学校が終われば
すぐに帰ってきて
やらされる

しないと怒鳴り散らす
手も飛んでくる

母も仕事から帰宅すると
仕事のストレスを
ぶつけてきて、
ご飯も作ってないのか!
となり怒鳴り散らす

父も母も両方
毎日怒鳴り散らし
正座させられ
毎日毎日6時間くらい
説教を聞かされる

家が両親が大嫌いで
家出を繰り返していた

そんなある日の夜
また怒鳴り散らし
包丁を持って
追いかけ回してきた

父「殺してやる!」

マジで刺しにくるのか!?
その時は逃げてしまった

急いで家を出て
原付バイクに乗り
家出したのだ

友人宅に身をよせて
泊まらせてもらっていた

他の日は
缶の長いゴミ箱で
何回も殴られた

また別の日
もういいわ
殺したいなら殺せ!
となったので

父が手に持っていた
大きなハサミが見えたので

私「それで今すぐ刺せや!」

覚悟を決めた

だが刺してこなかった

普段からの母の
理不尽さにも
ブチ切れて
喧嘩になり

母「殴れるものなら
殴ってみなさいよ!」

よっしゃ!と思い
思いっきり
何回も殴ってやった

それ一度きりだけどね

でも初めて女を殴るのって
気持ちいい〜!となる

小学生、中学生、高校生
と女グループ達を
殴ってやれば
気持ち良かったのかなと
思ったし、ボクシングしたら良かったかもとも思った

今まで男ばかり殴ってたので
気持ちよさがわからなかった

まぁ母には怒りがたまり
まくっていたので
あー!恨みを晴らせて
気持ちいい〜!と
そう感じたのかもしれない

私の母はお嬢様育ちだから
そんな体験なんてないから
その後は私の事を
怖がっていた

母は、まず話し方から違う
東京の人なので
私の言葉は大阪育ちの
言葉なので汚い!となる

もう何十年と言われてきたか

私は大阪生まれで大阪育ち
なんだけど、母には
東京の言葉で話さないと
いけないしうるさい。

その為、学生の頃から
大阪と東京と混ざった言葉
だからおかしいと友人に
言われていた

初めて会う人達には
たまにどこの人?となる

しかし、父に包丁持って
追いかけられた時は
逃げてしまった〜!

刺されたら良かった
と後悔したものだ

あの頃死んでも
良かったのに


#創作大賞2024
#エッセイ部門

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