勝手に平成を振り返る 平成七年

平成7年・1995年。

阪神淡路大震災
地下鉄サリン事件
マイクロソフトWindows95発表
コギャル出現
野茂大活躍
9月13日スーパーマリオブラザーズ発売10周年
ちびT・ヘソ出しルック
アムロブーム
プリクラブーム

このまま世界が終わってしまうのではと思わせるほどの災害・事件が続いた。
どこをどう見ても怪しかったあの教団。テレビの影響は恐ろしく僕の身の回りにも「じょーゆーさんかっこいい」とのたまう女子が何人かいた。ある意味、地震よりそちらの方が恐ろしい。

コギャル・アムラー・プリクラ。テンプレートどおりのファッションで個性を主張する時代。同じ衣装に身を包み、誰が誰だか判別不能な若者の集団が街を闊歩し、公衆電話を占拠し、恐ろしい勢いでポケベルにメッセージを送りあっていた。
時代も変わり今はそれがLINEに変わっただけで、猛烈なスピードでメッセージを送り合う文化は今も続いている。それが若者の特権だろう。

■中型自動二輪免許取得
あいも変わらずアルバイトはしていなかったが、正月を含んだ冬休み、新潟の越後湯沢のスキー場に住み込み、ウェイターのバイトをした。
新潟のブランド米、魚沼産こしひかり。まさにその産地だったので本当にお米が美味しかった。その職場にどういう人がいて、どんなことがあったかあまり覚えていないが、そのお米の味だけはよく覚えている。
年明けてすぐに風邪でダウンした。若者の回復力は素晴らしく、数日後にはすぐに仕事に復帰。なんとか予定の日数をやりきった。
期間は短かったが時給が高かったので、結構な金額を溜め込むことができた。

都会に帰ってから人生初の教習所通いを始めた。車ではなく、バイク。
「よりによってあんな寒い時期にバイクの免許を取らなくても」と今は思うが、若者は猪突猛進。寒さなど関係ない。免許代を稼ぐため、わざわざ寒いスキー場まで出かけるし、本当に元気。
すでに所持していたライダースジャケットをまとい教習所の送迎バスに乗り込むハタチの青年。膝の上にはフルフェイスのヘルメット。あの頃の情熱を忘れたくないものだ。

原付すら乗ったことのなかった僕は教習所で苦労した。運転のセンスが皆無で、ハンコを押してもらえないことが何度かあった。
半クラ、ウインカーに気をとられすぎて、どうやら右側車線を逆走してしまったらしい。教官の逆鱗に触れ、そのあとずっと外周を走らされた。
急制動(急ブレーキ)の教習の日に限って雨が降り、案の定ブレーキをかけたときに車輪がロックし転倒。教習所でそれを体験できたおかげで現在まで路上で激しく転倒していない。

春休みを終え、学校が始まる直前に免許取得。そして段取りもよくその日に納車。
国道は怖くて走れず、なるべく右折のない道を通って家まで帰ってきた。
4月の桜の咲き乱れる道をバイクで走り抜けるあの爽快感はたまらないものがあった。

大学3年、4年はバイク中心の生活となった。

■野茂の活躍
前年近鉄を退団した野茂。
メジャーリーグのドジャースに入団し、日本での鬱憤を晴らす破竹の快進撃を続ける。
あの頃の野茂フィーバーは本当にすごかった。
そして11月9日、ナショナルリーグの新人王に選ばれる。
震災・オウム事件後の暗い日本での唯一の明るい話題だった。
あの野茂の活躍に救われた人も多いのではないだろうか。

■徐々にアウトドア人間へ
3月11日 クロノトリガー 発売
8月5日 スーパーマリオ ヨッシーアイランド 発売
11月21日 スーパードンキーコング2 発売
12月9日 ドラゴンクエスト6 幻の大地 発売
スーパーファミコン・セガサターン・プレイステーションと3つのハードがしのぎを削っていた時代。まだスーファミが強く、話題作はほとんどスーファミで発売された。

ドラクエ6は定価が10000円くらいしたので買えず、自分でプレイしたのは数年後。受験生時代のど真ん中に発売されたドラクエ5から、わずか3年。6作目にしてようやくドラクエを我慢できる大人になった。
友達の部屋に赴き、プレイするのをただただ見ているだけのエアプレイでしのいだ。

この数年後プレイステーションの時代が到来し、ドラクエもついに任天堂の手を離れることになる。

ゲームに興味がなくなったというよりはバイクのローン、保険の支払いに追われてそれどころではなかったという実情があった。
21歳までは任意保険の値段も恐ろしく高く、月に一万円以上保険代を払っていた。それにバイクのローンも加えて月に3万円ほどが銀行の口座から勝手に消えていった。それプラス一人暮らしを始めたため、家賃光熱費食費もかかる。

男子寮でのお気楽な暮らしから一転して、支払いに追われる身分となった。
そりゃあドラクエも買えなくなるのは当たり前の事。

そのぶんありあまる時間をフル活用してバイクを乗り回した。
あの時代しかできないことをあの時代にやっておくことは大事なことだと今は思う。
今同じことをやりたくても体がついてこない。体はついてくるかもしれないが、精神がブレーキをかける。

無駄なことをやり尽くしてもあまるほど時間があった。

ありがとうございます。有意義なことに使います。