勝手に平成を振り返る 平成四年

平成4年・1992年。

サッカー日本代表監督にハンスオフト氏就任
4月25日 尾崎豊26歳で死去
国家公務員の週休二日制スタート
6月27日 本田翼生誕
松井秀喜甲子園で五打席連続敬遠
11月1日 SONYがMDプレイヤーを発売
12月1日 気圧の単位がミリバールからヘクトパスカルに変更

個人的に気になった出来事はこれくらいです。

ウィキペディアには出てませんでしたが、この頃うちの高校ではUNOが劇的に流行っていて学校の休み時間みんなで普通にUNOをやってました。
学校でUNOをやるって、アナログな時代だなあと懐かしく思います。

■尾崎豊死去
高校3年生、受験というものが具体的に見えて来たけどやる気はない。
なんとなく文系志望、なんとなく日本史、地理選択。
そんなビジョンも何もない学生でした。

「尾崎が死んだらしいよ」とクラスの女子が騒いでいました。
僕は熱心に尾崎を聴いていたわけでなかったのですが、大ニュースでした。
26歳という若さで死ぬということの重みをよくわかっていませんでしたが、やはり26歳は若すぎる。
感性が繊細だからこそ偉大な作品を残せたのですが、繊細すぎると悲劇も招く。残念です。
詞が今でも刺さるのはそれだけ深いことを言っているから。精神の年齢は50歳くらいに達していたのではないでしょうか。
既読スルーだ、塩対応だ、インスタ映えだと騒いでいる人種にはとうていたどり着けない領域で生きていたのでしょう。
あの若さであれだけの作品を残せること、ただただ脱帽です。

■怪物松井秀喜の伝説
甲子園での五打席連続敬遠。
勝負には負けたけど伝説が残った。今はそう思います。

当時は社会問題になったし、大学進学後明徳義塾高校出身の同級生から当時の話を聞きましたが、クレームの電話が鳴りつづけて大変だったらしいです。

当時の投手と松井秀喜が再会するというテレビ番組をたまたま観ましたが、同い年にも関わらず、投手側が松井秀喜に対して敬語で話しかけ、松井はそれにタメ語で応じていました。それが全てなのではないでしょうか。

我々はなかなか松井秀喜にはなれない。どうすればよいか。
他人の五打席連続敬遠くらいのことで我を失い、わざわざ高知県の学校にクレームの電話をかける様な愚かな大人にならなければいつか道は開けるのではないでしょうか。
人生において大事なのは感情のコントロールなのです。

■カセットテープの時代は終わらなかった
MD登場はかなり画期的な出来事でした。

・デジタルのままダビングできる
・曲を飛ばせる
・カセットテープよりもさらに小さい
・タイトルを表示できる
・A面B面という概念がない

カセットテープではできないことが全てできる。そんな魔法のアイテムでした。
ここから10年間くらいはMD天下の時代が続きましたが、CDRやiPodの登場などで現在は生産は打ち切られています。デジタル機器の栄枯盛衰の見本的存在となっています。

僕がMDを手にしたのはこれから4年後のことですが、あの時すでに手に入れていたYくん。決して裕福な家の子ではなかったけど、新しい電化製品を積極的に導入していた。iPhoneの新しい機種が出るたびに必ず買い換える、そんなおじさんになっているような気がします。

MDに手動でアルバム全曲のタイトルを入力するのに5分くらいかかるんですよ。あの頃の僕はそれをまったく面倒だと思わず一生懸命やってましたね。
今でも我が家にデッキはあるのでいつでも再生可能です。

■ドラクエの誘惑
スーファミの天下は続いており、勢いはまったく衰えません。

8月27日マリオカート発売
マリオカートの伝説はここから始まりました。今でも続編が作られ続ける名作中の名作、みんなで盛り上がる大定番のソフト。
今でもコースごとの攻略を覚えているのはこの初代マリオカートだけですね。それだけやりこみました。

9月27日ドラゴンクエスト5天空の花嫁発売
受験生にも関わらず予約して発売日に買いました。今見ればグラフィックはほぼファミコンでプレイしようとは思えませんが、やはりストーリーが面白い。モンスターを仲間にできるという画期的なシステム。人生の究極の選択。今でも名作という評価を受けているのも納得です。

ドラクエの誘惑を退けた人が第一志望に合格し、そうでない人は第一志望以外・もしくは浪人生。世の中はそういうふうにできている。

いつかあの時代受験生だった人にアンケートをとってみたい。

あなたはドラクエ5を発売日に買ってプレイしましたか?
あなたは自分の希望する大学へ進学できましたか?

両方ともイエスだった人。それは真の勇者です。

ありがとうございます。有意義なことに使います。