バナナを断るのに理由なんかいりますか?

とある人に「バナナ食べる?」とすすめられたんです。
僕は食べたくないので「いらないです」と答えました。
その人は「え、なんで?」と続けるのです・・・
僕はこういう無意味なやりとりが大嫌いで消耗してしまう人間です。
バナナ1本でこんな思いはしたくないんですけどね。

「え、なんで?」と聞くことに対して逆に「え、なんでそんなこと聞くの?」という気持ちがおさまりませんでしたが、説得は無理なので諦めました。

そもそも理由なんかないよ。今は食べたくないただそれだけのこと。
その人からしたら「バナナ美味しいじゃん、食べようよ」という感覚なのでしょうが、食べたくないから食べないという当たり前のことが受け入れられないらしい。

1 俺はバナナを食べている
2 これは美味しい
3 相手も食べたいに違いない
4 勧めてみよう
5 え?なぜ食べないの?

脳内ではこんな思考が行われているはずなのですが、3以降は明らかに不要です。
2で自己完結させていれば誰も不幸にならなかった。バナナはバナナとして幸せに生きていけたのに、面倒臭いものだと烙印を押されてしまった。

この人は自分が料理を作って他人に振る舞うのが好きな人なんですが、他人がそれを食べないと不機嫌になるんです。和食が嫌いな人にわざわざ和食を作って、食べないとぶちぎれる。そんな人です。マーケティング能力ゼロ。

好きな人はそれを食べるし、そうじゃない人は食べない。
自分と他人が違うのは当たり前のこと。それがわからない人はとにかく人と摩擦を起こす。こんな感じの「主観しかない人」ってけっこういるんですよ。

1 私は手編みのマフラーを愛用している
2 これは暖かい
3 あの人も手編みのマフラーで暖まりたいに違いない
4 編んでみよう
5 え?なぜつけてくれないの?

これも実話なのですが、信じられないことに相手を攻撃し始めるんですよ。
ホントめちゃくちゃな理屈がまかりとおってます。編み物を始める前に相手のニーズに興味を持ちましょうよ。

物事を客観的に見れない人って、とにかく理由を聞きます。
そしてそれは理由を知りたいのではなくて、「私には理解できない」という意味です。
だから答えるのも意味がありません。

■「なんで?」が引き起こす悲劇
自分と人が違うことを受け入れられない人って必ず強要する傾向があってそれを断ると不機嫌になるんですよ。ネット上でのクソリプなんかはその典型です。クソリプで済めばいい方で最悪殺し合いとか戦争すら引き起こします。

1 私はとある宗教・思想を信じている
2 これは素晴らしい
3 相手もしあわせになりたいに違いない
4 勧めてみよう
5 え?なぜ信じないの?

人間はこれだけのことで簡単に人を殺します。歴史を見れば明らかです。
2で終わっておけばよかったのに3以降に突き進むから、人は不幸を引き起こしてきた。
基本的に「WHY?」は悲劇しか生まないと僕は思っています。
相手を理解するための「WHY?」ならいいですが、その割合は非常に少ない。
僕とあなたは違うんですというスタンスでいないと最終的には必ず戦争になるよ。
人間にとって価値観の強要ほど不快なものはない。

読み物の素晴らしいところは価値観の強要ではないこと。会話とは違って、読むをのやめる(拒絶する)自由がそこにはある。ページを閉じればそれで完結するのに、わざわざ著者を攻撃する意味が僕には全くわからないです。

無邪気に「なんで?」と聞くのが許されるのは小学生まで。
大人は自分の頭で考えましょう。
本当に理由を知りたいのか、それとも理解したくないだけなのか。そこも明確に。

「バナナあるから食べたかったら食べてね」
「鬼滅の刃面白いから観たかったらアマゾンプライムで観てね」
誰も不快にならない勧め方も世の中にはあるのです。
食べたかったら勝手に食べるし、観たかったら勝手に観る。そうしなかったとしてもそこに大した理由なんかない。

人にむやみに理由を聞かない方がいい。
それが僕の中での結論です。

ありがとうございます。有意義なことに使います。