勝手に平成を振り返る 平成八年

平成8年・1996年。

1月YahooJapan開設
アトランタオリンピック
7月20日海の日施行
9月野茂ノーヒット・ノーラン達成
9月オリックス2年連続パリーグ優勝
10月オリックス、日本一
たまごっち発売
PUFFYブーム

震災で元気のなかった神戸に優勝をもたらしたオリックスとイチロー。メジャーリーグでは昨年に引き続き野茂が活躍。
あの頃すでにYahooJapanが存在していたとは知らなかった。

ギャル系はアムラー、かわいい系はPUFFYと女性のファッションは2つの系統に分かれていた。僕はPUFFY系の服装の方が好きだった。
アムロ、PUFFY、どちらを選んでもポケットの中にはたまごっち。
予約しても買えないほどの大ブームを巻き起こした。

■人生最初の海外旅行
1996年2月、人生初の海外旅行、ドイツへ。
留学していた当時の彼女の寮を拠点に電車でいろいろな場所へ連れていってもらった。

アウシュビッツはポーランドだが、ドイツ国内にも似た様な収容所がありそこも訪れた。表向きは身長を測るための器具だが、実は穴が空いていて裏から銃で頭を撃ち抜く。
人間は時にそんな残酷なことを考えつく。

まだベルリンの壁崩壊から6、7年の頃。東は暗く、西は華やかという印象だった。今はどうなのだろうか。
ドラクエに出てくる様な中世の街並み、ローテンブルクは何度訪れても楽しいと思う。

約3週間の滞在だったが、人生のうちでベスト5に確実に入るほど楽しい想い出。
ドイツではビールも美味しかったが、露店で売っているソーセージがとにかく美味しい。

結局あれ以来、海外に一度も行っていない。このままどこへも行かない可能性もある。そういう意味ではあのタイミングで行っておいてよかった。

■気乗りしない就職活動
ドイツから帰ってくると、やらなければいけないことが山積みだった。
そういえば僕はその春から大学4年生になるんだった。

就職活動、この4文字を見ると今でも嫌な気持ちになる。
ハガキを書いたり、一般常識を勉強したり、「やらなければいけない」という義務でやっていた。一緒に馬鹿騒ぎをしていた友人たちも人が変わった様に自己PR用の原稿を書いている。
「わたくしは、〇〇のサークルに所属しており、その活動を通じて〇〇を学び・・・」
「御社の業務内容に大変感銘を受け、わたくしも・・・・・」
個人的に馬鹿騒ぎは卒業していたが、あちら側の人間になることはできず。就職活動に本気になることはなかった。

「今頑張った者が人生の勝利者になる」みたいなことを言って脅す人が多かったが、決してそんなことはないと今は断言できる。
勝利者になる方法は多種多様。感性さえ死ななければ楽しく生きていける。

他人の敷いたレールに一度乗ってしまうと、結局どこかに連れて行かれるという選択肢しか残らない。
そういう人生を送っている人が大多数だと思うが、やはりそういう人の言動はつまらない。何もかも全て他人のせいにする傾向が非常に強いと感じる。

■NINTENDO64登場
3月22日 バイハザード(PS)発売
3月29日 鉄拳2(PS)発売

6月23日 NINTENDO64 発売

11月23日 スーパードンキーコング3(SFC)発売
12月6日 ドラゴンクエスト3(SFC)発売
12月6日 クラッシュ・バンディクー(PS)発売
12月14日 マリオカート64 発売

スーパーファミコンさえ持っていれば主要ゲームソフトを遊べた時代は完全に過去のものになり、話題作をプレイするには様々なハードの所持を義務付けられた。貧乏学生の極みだった僕は脱落することになる。
NINTENDO64を初めてプレイしたのはここから12年以上も後。

96年秋、就職活動からも脱落した僕は、なぜかこの時期にスーファミ本体を買っている。NINTENDO64が発売され安くなっていたのもあったし、発売されたばかりのスーパードンキーコング3をやりたかったのもある。そのスーファミ本体は今も手元にあり現役だ。
誕生日の数日前に家の近所のゴミ捨て場でエレキギター(レスポール)を拾った。
神の啓示なのか。いや、ただ単にギターを捨てる人がいて、それを拾う男がいただけの話だろう。

初めてライブハウスでライブをしたのもこの頃。ギターだけでなくボーカルを始めたのもこの頃。そちら側の人生へ舵を切ることになる。
もちろんそのギターは今も手元にあり、ピックアップ等は改造され今も音は出る。

安いレスポールとスーパーファミコン。
あの時代の僕を支えてくれた貴重な宝物。

ありがとうございます。有意義なことに使います。