甘い夢を

気を抜くとつい、うつらうつらしてしまうような褒められない大人である。もともと多く睡眠を欲する体質で、大人仕様の時間で生きていると、絶対的に寝が足りなくなってくるのだ。夜更かしを覚えた学生時代は、午後の授業を大海に漂う流木のような覚束なさで過ごしていた。聞き慣れない単語の羅列の波にさらわれて、ふっと意識が遠のいてしまうのだ。いまでも、会議や慶弔ごとなどの大事な場面で、波に飲まれやしないかとひやひやしてしまう。

ところが、上の子に比べずいぶん繊細な我が家のあかんぼをみていると、眠るというただそれだけのことにも、それなりの経験値が必要らしいということに気がつく。絶対にひとりでは眠らない。寝付いたあとも、誰かがそばにいる気配がないとだめみたい。おまけに、抱っこでとんとんと身体をさするリズムを背景に、ひと通りむずがってからでないと眠りに入れない。わたしの身体の中にせせらいでいる眠気を分け与えて、そっと包んであげられるとよいのに、と思う。

赤ちゃんには、眠ることと起きることのつながりがまだ分からない。だから意識が遠のいてしまったが最後、二度とこちら側の世界に戻れない不安があるのだと、ものの本で読んだことがある。たしかにわが子は、あらんかぎりの力を振り絞って泣き叫び、背中をそらせ、必死に眠りに抗っているようにみえる。おまけに、波打ち際でちゃぷちゃぷと足を濡らすくらいの浅い眠りにしかならないで、ものの20分もすれば再び抱っこからやり直すこともしょっちゅう。

世の多くの母親が経験している通過儀礼ーーそれでも、自らの反射に驚いては目を覚まし、月齢がすすんでもしつこく夜中に乳をねだるあかんぼと暮らしていると、どうしてこんなにも眠るのが下手くそなのか、とくらくらしてしまう時がある。寝ることに得手不得手もなく、日が沈めばおのずと身体が休む態勢に入るものではないのか。体力のない子どもには昼寝も欠かせないと思っていたのに、目をとろんとさせるのは我ばかり。あかんぼは手足をばたばたさせて、電池の切れかけた大人に憤慨する。

夢に出てくる人は、自分のことを想っている人ーーそれを耳にしたのは、古典を学んでいたときだっただろうか。眠りの向こうにあるもう一つの世界は、こちらの世界で果たせなかったことの続きを繰り広げられる場所ーー自分の願望もところどころに織りまぜつつーーであるらしい。明け方、乳児がふんふんと鼻を鳴らしはじめるまでのわずかな微睡みに、わたしはソフトクリームを舐める夢を見た。きちんと冷たくて、なめらかで、まるい甘さがあって。このところ、夢に味覚をともなっているのは、昼夜を分かたず世話に追われる日々へのご褒美かもしれない、と思う。

まだ夢のはじっこをぎゅっと握っては、ぶんぶんと振り回すことしかできないあかんぼ。早くたのしい夢が見られますように。

#エッセイ #似非エッセイ

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