でもやるんだよ


人と人とのコミュニケーションは、それぞれが持つ役割を当人同士で納得した擬似貨幣の使用の元交換し合う事がすべてだと思っていた。

小岩の街外れの(小岩と街外れは既に等価なのでそれは街外れの二乗になってしまうがさておき)一杯390円のバーで僕はマスターに管を巻いていた。

「きっとその人が望む物を僕が与えられなければ、その人は僕の望む物もくれないし、僕を愛してくれないと思うんですよね」

そう伝えると安酒場のマスターである彼は
「それはビジネスだからさあ、友人ってそういう関係じゃないじゃん!じゃあ君はこうやって僕に相談するけど、何をくれるの?」

「酒代ですね」
と間髪入れずに言った後に“だからそれ、ビジネスじゃーん!”と聴こえた気がした。

それはより強固に僕が思っていることを僕に信じさせる出来事であったが、最近“それは違うんじゃないのかい?”と問われることも多く、僕は揺れていた。

それはきっと僕が商いの家に生まれ、“何か役割を持って、それを行使し我がイエの発展に寄与できる人物しかここには要らないんだ”といった環境によって育てられ、得た生来的なコミュニケーションの方法であるため、それを否定されれば僕はたちまち往来の中で立ち尽くしてしまうのだ。そうでないのなら、僕は何を語ればいい?教えてくれよ!ぽつねんといじけるのである。

その上で、僕はそれを都合良く扱っていたと思う。
それは、相手が“①インスタントに欲しているが、それそのものはお互いの未来にとって良い影響を与えないモノ”を無慈悲にも差し出し、相手が”②真心を込めて私に与えようとしてくれているモノ“を無慈悲にも貪るという行為である。

加えて、僕は“くれるだけくれよ!”と言い放ち、“俺はあげれるモノは何も持ってないけどな!ガハハ!”と叫んだ上で②を無償で奪う事すらしている。

また①に関して、僕はこれを無限に生成できるのでもはや価値の交換という視点では渡していないのと同義である。
そうして僕はたくさん貰い、時にたくさん奪ってきた。
それでも僕は無限に、際限なく欲しがり続けるのだ。僕が“ほんとうに望むモノ”を彼らが渡してくれる事を待ち続けて。

これについて、“僕は渡していないのに、なぜ人々はくれるのだろう”と薄々感じてはいたものの僕にとってとても都合がいいので無視していたのだ。

だがある日起きた諍いを紐解いて行くと、僕はそれについてとても再考させられたのだ。

それはまた街外れ二乗のソウルバーで友人が僕に語ってくれた事である。

「僕は既に世界からそれを受け取っていて、返礼したいんだ。君は無限に欲しがり、奪い、また受け取れる様都合良く偽る事さえする。それでも君が望むものが渡されないと嘆いているのは、君が既に受け取っている事に気付いていないからだよ。」

ジョージベンソンのブリージンが流れる。

我々は競争と演劇、欺瞞と少しの劣情により疲弊し、
仲違いしていた。少しの気まずさの中、彼は語った。

「君はより良く生きようとしているが、その心がそれを阻害している。人々は誰かに何かをもらった時、くれた人に等価でまた返し与えようとしなくても良いのだよ。その人もまた別の働きで、別の力から既に返礼されているのだから。」

「じゃあ皆んなが僕にくれたモノへの返礼として、僕が世界に音楽をもたらす、という事をしても良いんですか?」

「もちろんさ。君がその構造を理解した時、それは言い換えれば君が今より少し救われる時、君の周りも救われるんだよ。君が罪滅ぼしの様に誰かに対して苦しんでいるのなら、その返礼はその人に直接するのではなく君が成長しそれを世界に還すという働きでも構わないんだ。」

全く持って僕のOSとは異なる考え方であったので、とても混乱していたがなんだか僕は腑に落ちたのだ。

そして僕らはお互いの気持ちを伝え合い、仲直りをする。

「僕が傷付けてしまったあの子は、ひとりぼっちなんだ。どうか彼女を救ってあげて欲しい。あの子にわからない様な形でね。」

「わかりました。彼女が救われる様に、僕は僕のやり方で世界に還すよ。」

お話は一段落つき、僕らは少し安堵の表情を浮かべていた。

「色々話してくれてありがとう。僕は僕の心が招いた誰かの苦しみや傷を少しだけどわかったよ。〇〇さんが僕に抱いている感情や、〇〇さんが思っている“ほんとうのこと”は〇〇さんにしかわかり得ない。今日話してくれた事は実際には僕を救う事を願ってでは無かったなんて事があったとしても、一度〇〇さんが善とするモノや価値を信じてみてもいいと思えたから、僕は変われる気がするよ。」

「それに、きっとそれが上手くいったのなら、つまり僕の成長が皆んなを救ったのであれば貴方は正しかったのだと思う。いや、正しくなかったとしてもそれがどこで返礼されるのかは分からないけどね。」

困惑やこれからの苦しみの想像であったり、そんな事を思いながら僕らは少しの抱擁と共に駅を後にした。

僕は帰り道、もしそれが有用であっても無くても皆んなの幸せに寄与できる様に頑張ろうと思えた。

この決意で僕の中にある贈与と返礼システムが、最終的に上手く公転してくれれば良いな、と思ったのだ。

何かが少しだけ上手く行き始める様な、良い予感がある日だった。

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