その「美しき時」を閉じ込めた瓶の流れ行く先に

父と母は離婚した。

僕らは長年住んだ家から離れ、散り散りになって生活をしている。とにかく、僕たち家族の形は「間違っていた」という烙印を押され、終了したのだ。

そんな父から今日、仕事終わりに電話が掛かってきた。新たに自分の店を出すのに、その物件が決まった事や、店名が決まった事、新たに始めるコースの内容など、嬉々として喋っている。

そうして、病気のせいで強力な睡眠薬を飲まないと寝れない父は段々と呂律が回らなくなってくる。夜更けになると薬が効いてきて、いつもこうだ。

「お前、子供とか欲しいと思わないの?」

意識が沈みかけている父からは意外な言葉が漏れ出た。そんな事を父から初めて聞かれた僕は戸惑ってしまった。

「まあ俺はやりたい事があるからね」

そうポツリと返す。既に父は微睡みの中で、ボロボロのマットレスに沈み込んでいるのだろう。返事はない。

おやすみ、と言って通話を終える。新しい彼女とその娘との話をいつも通りしていた父に、今日は何だか自分でもよくわからない感情を覚えてしまった。

憎しみでも、怒りでもない。だがそれは少しだけ哀しく、新緑の葉々を落とす空っ風に身を震わした時の孤独に似ていた。

それに適した言葉が見つからない様な孤独を感じる時、僕はいつも母との思い出が頭に甦る。

僕と母は近所の「こどもみらい科学館」という施設の公園で良く一緒にバドミントンをしていた。僕がきっと小学校低学年の頃だったと思う。

その他公園には様々な形の自転車に乗れるアトラクションや、それこそ科学館の中で色々な遊びがあった。だが僕は何の変哲もない、あの小さな丘のある公園で、ただ母とバドミントンをするのが好きだった。

お金のなかった僕達は、DAISOで買ったバドミントンセットを大切にずっと使っていた。中学校から僕は少しグレてしまってそれから母とはずっと妙な距離感になってしまっている。離婚や父からの暴力、浮気、そして父方の親戚からの嫌がらせ、母はずっとそんな事に耐えていた。そう離婚した日に僕に話していた。

だから僕が本当に幸せそうな彼女を見たのは、僕とバドミントンしている時が最後だったと今になって思う。そして僕らが何の遠慮もなく、心から笑い合えたのもその時が最後だった。

父は次に進んでいて、母は今でも孤独だ。

これまでも良いことは殆どなかったし、私の人生って何だったんだろう。そう母が一度僕に言ったことがある。

今でもその事を思い出す度に、心が苦しくなってしまう。それでも僕は、母と二人で無邪気にバドミントンをしていた頃の様に無邪気に笑いかける事ができない。

僕らの家族の形を「間違っていた」と彼らは決定した。だから僕も、こんな日々があったね、という話はしないし、話したくても話せない距離感にいる。

まるで時を止めた瓶の中に詰めた様なその記憶の断片が、僕の頭をよぎる度に僕は言葉にできない細やかな孤独と、母に対する哀しみを持って、少し涙を流してしまうのだ。

未だに上手く言葉にできないが、それでも僕はバドミントンの記憶を捨て去ることは出来ないだろう。崩壊した家族関係しか知らない僕は、その思い出に最も暖かみを感じている。

ふと溢れた哀しくも暖かく、美しかった時間の断片を今日も僕は記憶の瓶に閉じ込めて、流せずに持っている。そしてこれからも持ち続けるのだろう。

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