【読切現代ファンタジー小説】ヒスイサマ
これは僕が、小学校の低学年ぐらいのころ、大晦日のときの話だ。
朝から車に乗せられて連れてこられた祖父母の家は、かなり雪が積もっていた。祖父母の家はかなり古い古民家。軒下にはいつも、干し柿やら凍豆腐やらが目の粗い紐に括り付けられて何本も吊るされている。
「よう来たなあ」
僕の祖父が、声をかけてきた。
「ただいま、父さん」
父が言葉を返す。眼鏡越しに、優しそうな目が祖父を見ている。
「友樹、お前もよう来たなあ。ずっと外で話すのも寒かろう。さ、中に入りなさい」
祖父に名前を呼ばれ、玄関に向かう。母と兄の姿はない。どうやら寒さに耐えかねて早々に中に入ったようだ。
玄関に入って、靴を脱ぎ、スリッパを履く。祖母が出してくれていたらしい。
「いらっしゃい、友樹。よくきたねえ、外寒かったでしょう」
祖母が僕の顔を一目見るため、部屋から出てきた。微笑みながら、ぼくに声を投げかける。
「本当よく来てくれたわねえ。毎年楽しみにしてるのよ、友樹達が来てくれるのをね、そうだ、ジュースを用意しようねえ、ほら、友樹が好きなやつ」
僕は祖母の言葉に頷きながらとある部屋に向かう。こたつの部屋だ。
開けっぱなしのドアから部屋に入る。もう既に、兄が剥いたみかんも食べ終わらぬままこたつに突っ伏して寝ていた。母はそこに居ない。台所辺りで物音がするので、祖母の手伝いでもしているんだろう。着ていた上着を脱ぎ、そこらへんに置く。兄を起こさないようにこたつに入った。ぬくぬくと暖かく、非常に居心地がいい。リモコンを取って、テレビのチャンネルを変える。僕がいつも見ている子供向けアニメのチャンネルだ。リモコンを置いて、みかんを一つ取る。当時の僕の好物の一つだ。黙々とみかんを剥く。剥くといっても、この時の僕はみかんを剥くのが下手くそだったので、手はみかんの汁まみれになっていたうえ、みかんの果肉も不格好な形で出てきたのを覚えている。それでも美味しかった。
「友樹、遊びに行こうぜ」
いつの間にか起きていた兄が、後ろに突っ立っている。手には僕がさっきまで着ていた上着。兄はもう防寒着に身を包んでいる。顔には、満面の笑み。しかし、僕の顔を見た途端、むすっとした顔つきになってしまった。
「なんだよその顔〜。どうせこのままテレビ見てても、母さん達に手伝えって言われるしさ、ほら、行こうぜ!絶対楽しいから!ほら!」
兄は僕をこたつから出そうと、脇腹ぐらいの部分の服をひっつかんでちょいちょい引っ張ってくる。僕は、少し待って欲しいということを伝えた。
「おう!わかった!玄関で待ってるからな!」
兄は玄関へと走る。先ほどの満面の笑みが、顔に戻ってきていた。
「母さん!友樹と遊びに行ってくる!」
僕は上着に袖を通す。母の声が台所あたりから聞こえてきた。
「夕飯までには帰ってきなさいよ!」
「はーい!おい友樹!早く!」
兄の声にせかされ、僕は玄関に走った。
兄とやってきたのは、一面雪で真っ白の広場。何人もの子供達が、それぞれ自由きままに遊んでいる。
「お〜い!みんなで雪合戦しようぜ〜!」
兄のよく響く声が、子供達を集める。僕より年下の子もいれば、中学生くらいだろうか、僕よりも頭二つぐらい背が高い大柄な人も。気づけば、兄がもう二つのチームを作っていた。
「いくぞ〜!!よ〜い、スタート!」
兄の叫び声のような大声と同時に、雪でできた弾丸が四方八方から飛んでくる。僕はさっきすくった雪を固めて、前もろくに見ずに一直線に投げる。どうせ当たらないと思っていたのだ。しかし、投げた先から音がした。僕は正面を向く。当たったのは、なんと兄の後頭部。兄が振り向いた。にやにやしながら、僕に向かって叫ぶ。
「お、友樹、やったな〜!俺のカウンターを食らえ!」
四つ上の、しかも力加減が絶望的に下手な兄が握った雪の塊が、僕に向かってかなりの速さで飛んでくる。とっさに避けようとしたが、もう遅いと、頭の中で悟った。
そのときだった。
ベチャッ
球が当たった音がした。しかし僕ではない。当たった際に感じるような衝撃も、雪の冷たさも感じなかった。
雪は、僕の前方の方で、まるで誰かの頭にぶつかり、そのままくっついたような形で浮いていたのだ。ふとその雪玉だったものの下の方を見ると、人間の足跡のような跡がくっきりついていた。こんなことありえない。一歩、二歩、後ろに後ずさりしてしまった。雪が落ちる。まるで人間が雪を拭い落とすかのように。
さらにそれだけではない。雪が、浮いたのだ。形が崩れた雪玉の方ではない。地面にあった雪だ。ちょうど僕が両手ですくえるくらいの量が。空中で丸く成形される雪を見て、僕も、兄も、ポカンと口を開けたまま、動けなくなってしまった。世にも不思議な雪玉が、ぐわんと動く。扇の弧のように。人がボールか何か、丸いものを投げるときのように。
ドチャッ
僕ははっとした。ふと前を見る。そこには口を開けたまま雪まみれになった兄が固まっていた。顔が雪で真っ白になった兄は、ハッとして顔の雪を拭う。
「…な、なんだったんだ?今の…」
いつも元気な兄が、かすれ声で呟く。
ぺた、ぺた、ぺた…
音がした方を見やる。ぺたり、ぺたりと音を立たてながら、足跡がどこかへ行こうとしていた。
「ねえ!」
思わず、声が出る。すぐ、まずかったかもしれない、と自分を責めた。相手は、人間ではない。何をされるか
分からない。
空気が、ふわりと動いたような、そんな不思議な感覚があった。次の瞬間、僕は目を見開いていた。
そこには、「眼」があった。
僕の目と同じくらいのところに、目が浮くようにして空気にくっついていたのだ。地面には、さっき見たものと同じ足跡。瞳は、まるで緑色の宝石のよう。色は翡翠とか、そういう宝石の色なのに、キラキラと透き通っていた。白くて長いまつ毛の片側には、溶けた雪で出来た露が、冬の太陽の光を溜め込んで輝いていた。
その眼は、首を傾げるように傾いてから、くるりと前を向く。翡翠色の瞳は消えて、僕が呆然としている間に、足跡はもうかなり遠くにまで行ってしまった。
それから、僕が何をしたのか、全く思い出せない。あの年の三が日の記憶だけ、すっぽり抜け落ちているのだ。あのときからも、毎年祖父母の家やあの広場に行くが、あの宝石のような眼にまた会うことはなかった。これからも会うことはないだろう。寒い季節になると、たびたびこの記憶が脳裏をよぎる。
あれは、一体何だったんだろう。
一生、分かることはない。なんとなく、そんな気がするのだ。
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