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しかがみさま 第一章 第九夜

第九夜 思ひ出

昨日見た筈の、見慣れていた筈のその山は何故か初めて見る様な感動を覚えさせる。
俺の家の近くにも山はあるが、ここまで立派な山では無い。あのみすぼらしいはげ山と比べて、これはもう山というか何というか、昔の人がダイダラボッチだのなんだのを信じてた理由が分かる気がした。
「美緒ぉ、早く行こうよぉ。俺あちーんだけど」
詩的な事を言ったって、夏の暑さは消えてくれない。半袖半ズボンの俺でさえジリジリと生き物を蒸し殺すようなこの暑さにうんざりだと言うのに、美緒に至ってはデニムの長ズボンに辛うじて薄手の白いワンピース。見ているだけで暑くなってくる。
「えー、健太は思い出とか気にしないの?私なんかここ歩いてるだけで懐かしくて中々進めないのに」
「そんなノスタルジックに浸れる程俺は能天気じゃないの」
「私の事馬鹿みたいに言わないでよハゲ健太」
俺はムッと美緒を睨み付ける。明楽ならまだしも俺はハゲてない。
「禿げてねーっつの」
うだうだうだうだ言いながら歩いていると、視界の端に美緒のスニーカーが見えた。顔を上げると美緒はいつの間にか隣に来ていて、目が合うと、ベッと舌を出した。とことん可愛くない。
「健太!川!」
不意に美緒が大声を出した。何事かとそちらを向けば、そよそよと流れる懐かしい清流に目をキラキラさせてはしゃぐ美緒が居た。あっちへ行ったりこっちへ行ったり忙しい奴だな。
でもそんな無邪気な姿が、川の魚を捕まえようと試行錯誤していた無知な子供の頃を思い出されるのはなぜだろう。
「健太ー、入ろうよ」
「水着持ってきてねーよ」
「でもそんなに深くないよ。くるぶしがすっぽり隠れる位」
「靴濡れるじゃん」
美緒は呆れたように大袈裟に首を振った。
「脱げばいいでしょ?馬鹿なの?」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんだぞ」
「健太って小学生だったっけ?」
「どういう意味だよ」
「自分で考えなー」
ムカつく。こんな奴が従兄妹だと思うと何だか気分が悪くなる。きっと口の悪さで言えば俺もどっこいどっこいなんだろうけど。
川へ入ろうか入らまいか俺が考えている間に、美緒はなだらかな山道を滑り降りて行く。川へ行くためにわざわざ整備された道を戻るなんて事はしないのだ。背の低い雑草に交じって、腰程まである草がにょきりと顔を出す事がある。そんなのもお構い無しに、美緒はズンズン踏んずけて行った。
「早く来なよ!ホントに入らない気?」
下まで降りた美緒は、そのよく日に焼けた手をぶんぶん振って早く来いと催促する。
ええいここまで来ればもう何も怖くない。半ば投げやりな気持ちで靴と靴下を脱ぎ美緒が歩いた場所を辿って降りた。
「なんだ、入るんじゃん」
「お前が入れって言ったんだろ」
「別に私は強制してないしー」
ツーンと冷めた口調で言い放つ美緒に少々ムッとしながら靴と靴下を河原にそっと置いた。

ちゃぷん

小魚が揺蕩う澄んだ川に足先を入れる。ジメジメ湿っぽい纏わりつくような暑さに水が冷たくて気持ちいい。
もう片足も入れれば、透明な水に足が揺らめいて見える。
「やば、超楽しい」
美緒がそう囁く。そちらを見れば美緒がしゃがみこんで両手で煌めく水を掬っていた。
「見てよ、いっぱい魚いる」
殆どが手のひらにも満たないちっぽけな奴らだったが、身体を懸命にうねらせて泳ぐ姿に太陽光が反射して鱗が閃いて美しい。
「こんなに綺麗だったっけ、ここの川」
美緒はなぜか哀しげな笑顔を形作った。
「私達が汚れちゃったんじゃない?」
「それもそうかも」
俺達が汚れた代わりと言わんばかりに輝く川がなぜだか羨ましい。

「えいっ!」
見れば美緒が水をかけようとする真っ最中だった。避け切れる訳もなくTシャツはビシャビシャになる。
「何すんだよ!」
「何って遊びだよ。彼女居ないから分かんないかなぁ?」
あームカつく。言い返す代わりに俺も水をかけてやる。
「隙あり!」
「きゃっ冷たっ」
美緒はなぜこんな事をするのか理解出来ないという風な目で俺を見つめた。そんな目をしたいのは俺だ。
「大人げないよ!健太アンタ本当は小学生とかじゃないの?」
「先にした方が悪いだろ!」
「だーかーら!そういうのが子供っぽいって言ってんでしょ!」
美緒と目線を合わせると、その強い意志の籠ったツリ目気味な目と目が合った。
じっ、と硬直状態が続き、その目と顔を見つめているとなぜだか可笑しさが込み上げてきた。
「「ふふっ」」
お腹の底から笑った。何が面白いのか分からなくても、なぜだか楽しくて、なぜだか笑える事が嬉しくて。水に濡れた俺達を燦々と輝く太陽が照らして、これぞ『青春』って感じがした。
ひとしきり笑って、声も出なくなった頃、美緒は笑いすぎて目に浮かんだ涙を拭いながら言った。
「ねぇねぇ、今度はさ、彼処あそこ行ってみない?」
美緒が指さした先にあったのは、俺達が下ってきた山道よりも少し小高くなって張り出して棚のようになった所だった。
「彼処に?何で?」
「楽しそうじゃん。服濡れちゃったし。乾かそうよ」
確かに、張り出したそこは日光が照りつけて暖かそうで、日光浴にはぴったりだ。
「行くとしてさ、どうやって行くんだよ。結構高い所じゃん」
「道なりに行ってたら着くでしょ。」
そんな事で目的地に着いていたら遭難者は出ないと思うが。それを言っても今の美緒には届かないだろう。仕方なく俺達は歩き出した。

そんなに適当でもきちんと着いてしまうのが美緒だ。きっと七不思議か何かの1つに違いない。

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