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しかがみさま 第一章 第五夜

第五夜 田舎

お腹がぐるるると鳴り始めた頃、新幹線は目的地に停車した。母さん特製弁当を食べようか食べまいか迷っていたから、ある意味ちょうど良かったのかも知れない。
それでも食べそびれた弁当を惜しみながら下車して、駅のホームを出た。差してくる陽の光が眩しくて目を細めていると、遠くから

「おーい、おーい」

と声がする。声の主を探してみれば、遠くに陽炎のように揺らめく人影が見える。一人の心細さに耐えかねて声のする方へ駆け寄った。
声の主はじいちゃんだった。前会った時から随分と老けたように思う。そりゃそうだ。前会った時から3年は経っているし、去年にはばあちゃんも死んでしまった。小さい頃からよく見てきた筈のその顔には、母さんがみせてくれた写真に写る若かりし頃の男前さを面影に残しつつ、深い皺が刻み込まれていた。
「おう、健太!よく来たな!」
ガハハ、という笑い声が良く似合う豪快なじいちゃんからは、隠しきれぬ喜びを感じた気がした。
「じいちゃん!急にごめんね」
照れたような笑顔で軽く謝る。
「はぁ?こんなジジイじゃいつ死ぬか分かんねぇんだ。いつでも来ていいんだぞ!」
バン、バンとそのでかい掌で肩を叩かれる。ワッハハ、と大きく口を開けて笑う様子は俺が小さな時から少しも変わらない。
「健太ぁ。昼飯食ったんかぁ?」
「いや、それがさ、食べそびれちゃったんだよね」
困ったように笑って言うと、じいちゃんは眉を跳ね上げた。
「お前は若いんだから食わんと損や!いっぱい食わんとじいちゃんみたいにでっかくなれんぞぉ」
大袈裟にそう言うと、じいちゃんは近くのベンチに俺を案内した。ここで食べろという事らしい。
俺がベンチに座ると、じいちゃんも隣に腰を下ろした。
リュックの中から、ビニール袋に包まれた弁当を取り出す。ビニール袋を開けると、中はまだハンカチで包まれていた。その固く結ばれたハンカチを四苦八苦しながら解くと、みっちりと中身が詰まったプラスチックの容器が輪ゴムで締められているようだ。その輪ゴムを解くと、弾けるように容器が開かれる。
照り焼きチキンだ。照り焼きチキンが入っている!
鶏肉は俺の大好物だ。息子の喜ぶ顔が見たいとワクワクしながら弁当を詰める母さんの顔が目に浮かぶようだった。
「うわ、うまそう」
思わず感嘆の声を漏らすのとほぼ同時に、じいちゃんも
「おっ、うまそうな弁当だなぁ。華江は昔っから料理が上手かったからな」
どこか満足気な雰囲気でそう言った。あ、ちなみに『華江はなえ』とは母さんの名前だ。
母さんを褒められて、俺もなぜだか鼻が高い。添えられていた割り箸を手に取るとそのまま手のひらを合わせる。
「いただきます」
いつもよりもやや小さな声で、これまたいつもより小さな仕草でそう言った。そして、まずは一切れ、チキンを箸でつまみ上げる。舌に乗せて口の中へ引きずり込んでゆっくりと味わった。甘めの味付けにこってりとした濃厚さに思わず舌鼓を打つ。鶏肉のぷりっとした弾力とタレによく絡んだ皮が頬がとろけそうな程に美味しかった。
勿論野菜も入っている。ポテトサラダだ。ポテトサラダは、俺が唯一と言っていい程好きと断言出来るサラダだ。それに箸を入れようとしたその時、じいちゃんが不意に問いを投げかけてきた。
「そういや健太ぁ。お前なんで急に来るって言ったんだ?そりゃあいつでも来ても良いがよ。お前が来たいって珍しいやんな?」
そう思うのも無理は無い。だって3年も来てないし、来ようとも思わなかったからだ(その頃の俺は所謂いわゆる反抗期という奴だったのだ)。
言葉を選ぶように慎重に口を開く。
「あ、えーと…夢に、おっきい鹿が出てきて、母さんに聞いたら『そりゃ鹿神様だよ』って。じいちゃんが知ってるらしいから会いに行けって言われて…」
結局全てを言ってしまった。口から心臓が出そうな程緊張した一瞬を、じいちゃんの笑い声が遮る。
「ガッハッハッハ!お前そんな事でこっち来たんか?『鹿神様』の事なんぞ俺でもそんな知らねぇがよ」
それを聞いて肩を落とすのを取り繕うことが出来なかった。
「…あー、しかぁし、お前よりかは知ってるぞ!ちょっと位なら教えてやれるからよ」
励ますようにそう言葉を継いだじいちゃんに、俺は思わず安堵の混じった笑みを浮かべた。
「そうそう、しかがみさまと言えばな、…華江に聞いたかも知れんが、しかがみさまってのは2人居るんだ」
じいちゃんがそこまで言ったところで、ふと、俺は疑問を呈した。
「じいちゃん、母さんもさぁ、しかがみさまの事を『〇人』って人みたいに数えるんだけど、なんで鹿なのにそう数えてんの?」
じいちゃんは目を丸くする。
「はぁ、なんでか?俺もそんな事考えた事無かったわなぁ。俺の父ちゃんもそう数えてたからな。
…もしかすると、しかがみさまってのは『心』そのものって言われてるからなぁ。それが関係してるのかもしれんな」
曖昧なその答えは正直役には立たなかったが、ちゃんと考えてくれたのがなにより嬉しかった。
「さっきの話に戻るがな、しかがみさまってのは2人居るんだ」
その言葉に今度は俺も真っ当な質問をする。
「その2人ってのはさ、なんか違うの?姿とか、性質とかさ」
俺の発言にじいちゃんはにやりと意地悪っぽく笑う。
「あぁ、違う。大違いだ。鹿神様は、言うなれば善の心だな。まぁでも、表に出てる感情全てと言っていい。もう1人はそう、悪の心だ。裏の感情という事だな」
俺は問うてみた。
「その『もう1人』にも名前はあるの?」
じいちゃんは意地悪っぽい光を目に浮かべたまま、急に真面目な顔になった。



「あるさ。あるに決まってる。その、もう1人。表以外の全てを担うのが、『死鏡様』だ。」

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