金言235:神の名前

某ソフトウェア会社(SIer)の話。
この会社は親会社が2つありそれぞれの会社から代表取締役が送り込まれ、経営責任の所在は明確になっていました。

違和感があったのは、従業員が代表取締役社長と代表取締役副社長を呼ぶ際に、肩書きの前に苗字をつけて個人を特定していたことです。通常、社長と副社長は各1名なので、その方々を特定するための「肩書に苗字を加える」ことはしません。(社内で、幹部社員の会議の席で、経営者に向かって、例えば塚本社長・藤谷副社長とはいわないでしょう)
同じ肩書きが複数存在する場合は、姓名を加えて区別する必要がありますが、各1名の社長と副社長に対して、XX社長・XX副社長と呼ぶのです。

全盛期の某同族会社では、オーナーの姓名を口にする従業員は本社にはいませんでした。直系構成員は、オーナーとか大将と呼びました。新入りの社員に、先輩が口頭で経営者の呼び方を教えます。ダ・ヴィンチ・コードが言及する特定宗教でも同様なことがありました。神の姓名を人間が口にすることを禁じたため、人間は神の名を忘れてしまったそうです。

話をもどして、この会社の次のような状況が、営者の呼称に影響を与えたものと推定します。
1)経営者は、親会社からの派遣で、任期が短い。すぐ替わるので氏名で特定しておく必要がある。
2)重要な経営判断は、両親会社間の調整で決定される。
3)実質的な人事権は親会社がもっている。
4)従業員にとって、社長・副社長とは親会社の経営者のことで、出向先である現在の職場の経営者のことではない。

上記のような理由で、親会社から出向してきた幹部社員は、子会社の経営者を苗字+タイトルで呼ぶようにしていたのでしょう。

さらに意思決定の過程にもこの企業風土が影響を及ぼします。
経営者は、重要案件・要注意案件については経営会議で徹底的に議論し、意思決定は、閣議のように、全会一致でします。代表取締役の強権執行も一任もありません。幹部社員はいずれもどる親会社で用意されるポストが、期待はずれにならないよう、出向先で悪い結果を残さないように、できることは何でもやります。
一方、経営者は、幹部社員にあとで取り消されることがないよう、全員にきっちりとコミットメントを求めていたのかもしれません。

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