金言237:運動会

「何かおかしい」某市立小学校の運動会。ビフォアコロナ時代の話ですけれど。

1)準備運動
始めにお約束の国営放送のラジオ体操がありません。流行歌にあわせて、ストレッチ体操を全校でやっていました。どうやら、教職員は、マスゲームのような、全員を型にはめるような団体行動がお嫌いな様子です。

2)ユニフォーム
少しおしゃれなスポーツウェアに名入れをしたユニフォームが教職員に支給されたようで、多くの教師が着用していました。ところが、担任の教師で、このユニフォームを着用していない人が複数いました。デザインが自分の趣味と合わないのでしょうか、それとも、お仕着せの同じ物はお嫌いなのでしょうか。憲法に保障された国民の「表現の自由」を主張されているのかもしれません。

3)競争
運動会は紅白戦で、種目ごとにあらかじめ点数が決まっています。午前中は、競り合っていたのですが、午後になると点差がひらき、負け組が挽回できないほどの点数になったところで、点数の表示をやめてしまいました。
現在の義務教育というのは、児童の能力格差をひろげることではなく、平均化してなるべく差がつかないようにすることのようです。それに個人情報保護とかの言い訳もあり、特定のこどもの強弱が目立つようなシーンはつくらないようにしている感じです。校庭には、ヒーローもブービーメーカーもいません。

教職員が一度も経験したこともない未知の実社会では、小学校では弱さが目立たないように保護されて育った者は実社会では弱者で負け組に分類されます。横断歩道はみんなで渡れば怖くないといいますが、恐怖心は消えても、車に轢かれるリスクは消滅していないことを忘れています。赤組全員が弱いので、相手の白組さんは手加減してくれると勘違いしていませんか。スポーツ選手は楽しんで競技をするといいます。圧倒的に優位の立場で楽しむ余裕がなければ相手に勝てないからです、みんなで楽しく引き分けにしようなどとは、思っていないのです。

実社会の団体競技や個人競技で勝利の美酒を味わう場面、国旗に敬意を表し、国歌を歌う勝者たちの感動的なシーンは、子供たちの教育現場には不適切な教材なのでしょう。もしかしたら、勝利の美酒に縁のない人たちや初めから挑戦しない人たちが集まる職場なのかもしれません。運動会では、チャレンジ精神の希薄な、こういう教育労働者たちにはがっかりさせられます。

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