金言279:人生の黄金期

若い時に、勘違いをしたことがあります。
明け方まで酒を飲み、2時間ほど仮眠をとった後に車を運転して帰宅しました。幸い何事もなく帰宅できたのですが、運転前に仮眠したため感覚的に日付がかわりました。物理的に2時間しかたっていませんが、主観的には翌日に運転したことになり酔いは醒めたと勘違いしました。酒気帯運転でした。

当時、仕事は尽きることなく、毎年秋から年末にかけては、毎日終電を過ぎるまで残業しタクシーで帰宅するハードな仕事が数年間続きました。明け方まで残業して、2時間仮眠した後、翌日定時の始業時間から業務を再開するのは違法ではない時代です。2時間前までの残業の疲れは残っているはずですが、定時出社という就業規則にしばられ、午後出社は許されません。二日酔いの体調不良で午前半休をとるのは論外の会社では、徹夜明けの翌日でも平常勤務は当然のことです。緊急の呼び出しがなければ、職場長のお情けで、徹夜明けの当日夜は残業2時間程度で帰宅が黙認されました。

こういう時代、こういう職場で「うつ病」に苦しむ従業員はいませんでした。年功序列に加え、本社と子会社採用の違いで公務員のようにキャリアとノンキャリアの暗黙の区別がありましたが、すべての従業員が来年は今年より給料が上がることを疑っていませんでした。事実、毎年昇給があり、若手登用などという株主対策もなく、年長者=上司というエイジグループが維持されていました。まじめに長く勤めればえらくなって給料も増えるということがお約束でした。
中には、不慣れで不得意な管理職の仕事に悩む年長者もいましたが、時間が解決しました。就業時間内に処理できなければ、翌朝までにやればすむことでした。できの悪い管理職は、要領の良い管理職より体力が要求されますが、とにかく、当日の定時までに処理できない管理職は翌朝までに処理すれば問題はなかったのです。体力勝負をする「とろい」従業員は、夜遅くまで仕事をするハードワーカーでした。

昔、本社4階の社員食堂で同じ釜の麦飯を毎日食べ、体力のある経営幹部に翻弄されながら、苦楽をともにした先輩の悲報が届きました。今年は年賀状が届かなかったので気になっていましたが、奥様から一報をいただきました。
先輩の晩年がどうであったか不明ですが、五木寛之著の「林住期」によると、50歳からの25年は黄金期と古代インドでいわれたそうです。この黄金期の真っ只中で旅立たれました。ご冥福をお祈り申しあげます。
先輩が使い残した黄金期をご遺族には勝手に無断で譲り受け、毎日一歩ずつ精進を重ねてしばらく旅を続けていきたいと決意を新たにした次第です。

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