金言201:サポータ卒業、そうだ京都行こう

他ではあっても自分が勤める一部上場企業は落日はないと自負していたに違いない大きな会社が何とかショックとかパンデミックでマーケットから退場しています。

例によって、評論家は結果についてコメントし身の程知らずにも敗れた経営者の市場動向の判断ミスとかあの時こうしていれば事業崩壊はなかったとか私見を述べます。経営者が誤った経営判断をしているまさにそのとき、その経営会議のメンバーとして意思決定に違和感をもったとか、従業員の立場で改善の提案をしたとかいう人物なら話は別です。IFの世界で、あのとき歴史が動いたといえるかもしれません。

結局、従業員はサポータです。経営者という主力プレーヤの活躍を期待し、勝てばおこぼれをもらえることを信じ、負ければ仕方ないと納得します。しがない勤め人は入社したい会社を選ぶことはできますが、採用後は、配属先でそれなりに励むことになります。中には成果をあげて自分自身が経営者に抜擢される人もいますが、ほとんどの勤め人は退職する日までだれかのサポータという限界を突き破ることはありません。
特に創業者一族が健在のファミリー企業では、入社したときから従業員は経営幹部のサポータ以外の何者でもありません。(非上場の某飲料会社社長は、『ファミリー以外の幹部は安心して仕事ができる。なぜなら絶対に彼らは社長にはならないからだ。
』と社外の管理職向け有料セミナーで漏らしました。)

販売管理費削減というとコストセンターで働くサポータは不安になります。業績下方修正とか事業再構築とかが話題になると上級管理職は給与と人員の削減が気になります。事業に失敗したときのリスクをプレーヤが負うのは当然ですが、サポータもノーリスクといえるほど甘くはありません。一方、成功したときのリターンの大半はプレーヤのものです。山分けはしません。いままでローリターンで実はリスクは山分けという雇用条件で働いてきた人が多いと思います。そしてこの人たちのほとんどが、山分けになるかもしれないリスクは、支給されるリターンとは比較にならないほど低いと思い込んできました。それが、有名な上場企業が市場からいなくなるといういままでなかった環境が身近に出現し、レアケースとはいえないほど増えてきました。ノーリスクといわれていたからサポータをやってきたのですが、ローリターンでさらにリスクもそれなりにありでは、あまり美味しい立場ではなさそうな気がします。

「電車男」という大昔のドラマで、主人公の電車男さんが目標達成と書き込みをしたとき、それ(スレ)を読んだヲタク(おまいら)のひとりが「望みを叶えるにはサポータを卒業しなければいけない」と叫ぶシーンがあります。
それを見て、「そうだ京都行こう」と同じような感動(思いつき)を覚えました。

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