金言264:そこそこ

「そこそこ」とは、広辞苑によると、少ないが満足できる程度、辛うじてそれくらいの意を表します。この言葉を能力などの評価に使うと、否定的なひびきを感じます。

まもなく、子どもたちの2学期がコロナ禍で始まりました。
某公立小学校の教師が、1年に1回実施されている担任児童の父兄との面談で、その児童の評価を「成績は、そこそこ」との評価を父兄に伝えました。その言葉を聞いた母親は、こんな教師が担任かと思うとがっかりしました。昔の5段階評価の通信簿に読み替えると、4より5のほうが多い評価をしている児童に、「そこそこ」と口にするのは、いかがなものかということです。親は、「そこそこ」の自分の子より成績が上の子が同級生の半数程度いるのかと思います。公立小学校では、一番理解の遅い子のレベルに合わせたゆとり教育をしているようなので、もしかしたら、「あゆみ」という通信簿は、全員「よくできました」の評価になるのかもしれません。私立の進学校に比較すると、公立の児童の成績は全員、そこそこという、厳しい現実なのかもしれません。

父親は、「そこそこ」などという不適切な言葉を無神経に口にする教師に、なめられてはいけないと、子どもに教えます。格下の輩になめられるのは、すきがあるからで、実社会では、不利益をこうむるリスクが生じます。スポーツの試合で、格下の相手に苦戦したり、手加減を加えたりするのは、選手としての寿命を縮めるおそれがあります。勝てるゲームは、圧勝すべきです。常勝を期待される有力選手でも、格下選手と接戦で勝ったときは、疲れが残ってしまい、次の試合では、負けそうになる厳しいゲーム展開になることが多いのです。

いただいたサポートはこれからやってくる未知のウイルス感染対策、首都直下型大地震の有事対策費用に充当します。