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金言258:争覇相乗から

「フランシーヌの場合」を覚えていますか。3月30日にパリでというフレーズがありました。この歌の設定状況は、カルチェラタンから始まったフランスの学生運動であったような気がします。前後して、日本では安田講堂などで「砦の上に我らが世界を」を絶叫していました。機動隊にバリケードを破られる時、悲壮感漂うなかで歌っていたのが印象的でした。

当時、「限界を突き破った地平にあらたな可能性を見る」をキーワードにして、団交、自己批判、総括など今振り返れば凄惨なシーンが繰り返されました。60年代はまだ仲間意識があり、切磋琢磨して自己研鑽に努めることを美学として実践していた若者が多数いたはずです。バプテストの牧師先生が、当時、仏教から引用したという「争覇相乗」を説きました。一言でいうと、互いに競い合って自己を高めるというような意味だったようです。学生が自分の限界を知り、それを乗り越えさらに高いハードル超えを目指していくことを肯定的にとらえた説教でした。

新宿騒乱罪が適用されるような天下大乱の一時期、某全学連のリーダーは、ゲリラ戦を嫌いました。デモを始める前に決起集会をし、そこで当局の監視を知りながら、当日の攻撃目標を宣言していました。デモ隊が機動隊と衝突する場所は、警備の壁が最も堅固な重要拠点でした。警備の手薄な場所は目標にしませんでした。彼らが目指したのは、相手に被害を与えることではなくて、自らの存在感を訴える効果的な意思表示でした。昨今のイスラム系テロリストとは少し違います。その後、京浜安保共闘、日本赤軍、浅間山荘などという悲惨な道を歩んだ若者たちによって、三島由紀夫とトロツキーで争覇相乗する美学が駆逐されてしまったようです。

いまでも、そしていつの世にも、人は精進するにつれ、壁にぶちあたります。壁の薄いところを狙って突き破るか、それとも、もっとも厚い壁を必死に乗り越えようとするか、どちらを選びますか。身体能力向上というよりは、老化を少しでも遅らせるために、容易に越えられる壁ではなく、それなりに手応えのある壁を乗り越える工夫をし続ける人が勝者になります。まだまだ、人生、退陣表明はいたしません。

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