「あなた、誰なの?」パーフェクトブルー(1998年)

暑い日には、怖い映画を。
アニメ映画ですね。パーフェクトブルー。
ネタバレしますのでご注意を....



近年公開のCG入り乱れる、美しいグラフィックも素敵ですが、こういう「一昔前の映像だな」と無意識に感じるアニメーションもいいものです。

「自分」って何か、ってすごく難しくて、曖昧で、
「自分」の定義に「自分以外の人間」は入るのか?とか思ってしまう。
「自分」を位置付けてるのが自身の考えだとしても、その考えの根拠には「自分以外の人間」が作った評価が混ざっていたりする。

アイドルという虚像。
ひとりの人間の形をした(アイドル)の器に、いろんな人間が色んなイメージを詰め合わせている。
その器に詰め込みたいひと、綺麗に磨いていたいひと、器になりたいひと、器から抜け出したいひと、壊したいひと....消費される少女。

アイドルの虚像性と人間の精神狂気のはざまの映画。

「オタク」(内田と言うんですね、彼は)のイメージも、これまた一昔前の、という感じ。
序盤~終盤近くまで、オタクが妄想によりすべてを行っているかのようにストーリーは進んでいきます。

ミマ自身も、何者かわからない「何か」に追い詰められながら、少しずつ自分自身の調和を乱していくわけですが、ミマが視る幻覚は、オタクの内田とアイドルのミマなんですよね。

この映画は1998年のものですが、この当時からオタクのイメージに「気持ち悪い、得体が知れない、何かをしてきそう」と思わせるものがあったんですね。

濡れ場からヌードまで、もう行くとこまで行っちゃったミマにとっては、もはや自身の心を守るためにしがみつけるのは「女優」という肩書きしか残っていないわけですが、
親を泣かせる覚悟で晒け出した身体を、顔もわからない「誰か」に見世物にされるストレスはいくら「自分は女優だから」と納得させようとも、消すことはできない.....
そして、清純なアイドルの「ミマりん」の幻影が彼女を揺さぶる。

アイドルにも自分が思い描いていた女優にも、何にもなれない私・・・
こんなに消費されているのに?こんなに磨り減っているのに?「私」はどこに行ったの?「私」は何になりたいの?あなた、誰なの?

ラストシーンはある意味典型的というか、すごく様式美的という感じです。
アイドル衣装を纏った巨体のルミちゃんが、「あちら側」から語りだすシーン。
「生きてる人間が一番恐ろしい」のアノ感覚をアニメーションで感じて、観ている者の精神がビリビリします。

そしてここから急加速というか、スタントマンさながらに逃げるミマと、アイドル衣装で追いかけるルミちゃん。
ポッチャリのルミちゃんが素早く武器を振り回しながら、キツキツ(だと思うんですけど)の衣装で動き回って、あんなに破片が刺さったら死ぬんじゃないの?とか「現実的に」思うんですが、あの現実にも幻想にも居られない生き物が、「何か」になった感は堪らないです。
(ルミちゃんは「何か」というかアイドルになりたかったんですが)

「その後」のシーンも典型的で気持ちいいんです。
ミマが「ミマ」を失わなかったことにも安堵を覚える。
ここまで来たんだから、ここまでやったんなら、もう後戻りできない、というあれだけ追い詰めたミマの気持ちが「本物の私」を繋ぐ鎖になったのでしょうか。

サイコスリラーアニメ、とても良いですね。
こういう作品をもっとたくさん知りたい。


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