7/3の日記

7/3 7:06
起床した。水曜日の経営学部は大学の講義がないため、夕方に起きるのが普通なのだが、今日は9:15からの映画を見る予定があったため早く起きた。

映画のチケットは、昨日ふと思い立って衝動的に購入したものだ。浅野いにおの『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション前章』である。

日記の形式でいいな、と思ったものを真似してみることにした。時間と区切り線を入れると見やすくなる。


7/3 12:06
映画館には観客が10人くらいしかいなくて快適だった。映画内容はとても面白かった。浅野いにおの作品は初めて見たし、原作も読んでいないのだが、作画やキャラクターなどから独特の世界観を感じた。特にキャラクターが、統一されたディテールの描き方ではなく、それぞれにデフォルメされた特徴がある。髪型や服装だけで描き分けていないところがいいと思った。

門出と凰蘭の子供時代の回想シーンは高校生の二人の記憶には引き継がれていないようだったが、どういう仕組みになっているんだろう。門出に関しては性格や口調も変わっていた。
門出がイソベやんのないしょ道具を使って"善行"をするが、段々エスカレートしていき、凰蘭のために世界をうごかすようになる。門出は漫画イソベやんを見て、「なんで世界を良くするために使わないんだろう、私ならもっと上手く使うのに」と考えていた。
まず車の中の子供を助ける。次に踏切で妊婦の女性を瞬間移動させるが、線路が歪み一人死亡させてしまう。その罪悪感を抱えながらも善行を行うために、世の中から"悪い人”を消す作業をする。
門出の正義は彼女にとっての正義でしかなかった。正義に裏附けられた行動は誰にも止めることができない。
門出は凰蘭と喧嘩した後に「イソベやんは遊べる友達がほしかったのかも」と思った。そしてマンションの階段から飛び降り自殺する。

この幼少期の話は浅野いにおが提供する一つのテーマだと感じた。絶対的正義などない。正義や世の為社会の為を掲げていても次第に私利私欲へとすり替わっていく。何かを守ることは何かを失うことである。


7/3 13:30
サークルの友人とマダミスをやりに学校へ向かった。8人くらいの人数で集まるのは久しぶりだった。

14:30から開始して結局終わったのが17:30だった。ゲームの題名は『何度だって青い月に火を灯した』。初めてテーブルトーク形式でマダミスをプレイしたけど思ったよりも面白かった。
時系列を整理したり、勝利条件に従って動き方を工夫したりと、調査フェーズで考えることが多く難しいと感じた。客観的事実を照合していけば真犯人は自ずと推理できるのだが、時間が少ないこともあって曖昧になってしまった。それでも、シンプルに情報を集めて秘密を共有したり推理したりするのが楽しい。


7/3 19:00
帰宅した。最近雀荘にフリーで行かなくなった。今日もマダミス解散後に打ちにいこうかと思ったけど体力がなくて辞めた。
自宅にいるときはPC版天鳳で東風四麻を機械のように回している。そこに意志は介在していない。マウスを持つ手が対戦予約にカーソルを合わせているのみである。


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