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25日間フィビヒチャレンジ!22日目

 全音25曲目(Op.41-Ⅱ-10)。全音ではヘ短調とされていますが変イ長調といって良いと思います。
 アネシカの舌を描いた曲と言われています。con sentimento(感情を込めて)、dolcissimo(とても甘い)、付点のリズム…

 さて、今日の曲にはそぐわないとは思いますが、今日はフィビヒの正妻であった女性たちのたどった運命のことを書こうと思います。アネシカはフィビヒのミューズであり共同作業者でしたが、生涯結婚することはありませんでした。

 1869年(マンハイムに行く前か?)の夏、休暇中のフィビヒは粉屋のハニュス家と知り合います。ハニュス家は3人の息子、3人の娘がいる大家族でした。そのうち次女ベッティは68年1月にオペラデビューを果たしたばかりの歌手でした。しかしフィビヒが見初めたのは末娘のルージェナでした。
 (話は逸れますがフィビヒはハニュス家との日々で山が好きになったのだそう。ピアノ曲「山から」という作品もあります。)
 73年にルージェナと結婚し、リトアニアのヴィリニュスに赴き合唱指導にあたります。しかし、翌74年1月に生まれた双子のうち息子がその日のうちに亡くなり、産後の病状が重かったルージェナの看病に来ていたハニュス家の長女アンナも間もなくヴィリニュスで亡くなり、一家はプラハに戻りますが、ルージェナも娘を残し74年10月に他界、76年には娘も亡くなります。
 フィビヒは亡きルージェナの願いを聞き入れ、75年に姉ベッティと結婚しました。ベッティはフィビヒの4歳上で、彼女との間に息子リハルトが生まれています。ベッティは家庭を落ち着いた雰囲気で包み、フィビヒも彼女のおかげで心静かに作曲に没頭できました。ベッティのためにオペラでの華やかな役を用意したこともあったそうです。仮劇場の副指揮者、ロシア正教会の指揮者、音楽雑誌編集をつとめましたが、音楽院への教授職には生涯就くことがなく、個人教授で生計を立て、作曲に専念し、フィビヒ一家には長く(こう書いてしまうとあっという間に思えますが、本当に長く)幸せな時間が続いたかのように見えました。

 1891年、93年に母、姉を亡くし失意の中にあったフィビヒは、92年ごろ出会った若きアネシカ・シュルツォヴァーに急激に接近し、97年にはついに妻子を残し家を出てしまいますが、妻ベッティとは離婚しませんでした(fibich.czのCVによると妻ベッティが子供のために頑なに離婚を拒んだとのこと)。

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 私は普段からプログラムノートを自分で書きたい方で、自分の演奏で言い切れないことを文章で補完してるのかなあ…と思うこともあります。それはいいことではないのかもしれないけれど、背景の知識が作品理解を深めてくれることは否めません。
 フィビヒに限らずどんな人にもドラマがあり、見えないストーリーがあるものです。私たちは見知らぬ人に対しその背景を想像するには至らずに終わることがほとんどです。
 そして音楽はある時から作者の手を離れます(それが出版された時か演奏された時か、はたまた作者が死んだ時かわかりませんが)。そして聴き手に様々な印象を引き起こします。それが作曲者のどんな経験、どんな環境、どんな気持ちが影響したのかなども考えるでしょう。
 だらだら書き連ねてきましたが、本稿をここまでお読みくださった方、ここまでを踏まえぜひ自由に考えを巡らせていただきたく思います。私も毎日迷い、考えています。

 さて、12/24・クリスマスイブは「気分、印象と思い出」以外の曲から、12/25・クリスマスは全音1曲目「ジョフィーン島の夕べ」をお送りしますので、本編は明日で最後になります。明日は25日間の中でも最も悲しい、しかしとても美しい曲です。残り3日間も心を込めてお送りします。
 それではまた明日。

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