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コミュ障で社会に適応していない私が今までの人生を振り返る壮大な自分史(24)

前回まで7回にわたって趣味史を書いてきました。
今回は久々にメインの自分史に戻ろうと思います。

高校時代の部活や委員会について書きましたが、今回は高校時代に買ってもらったスマホについて書こうと思います。

スマホを持たないことへの誇り

私がスマホを買ってもらったのは高2の時です。クラスメイトの9割以上は高校に入学した時から持っていたようで、スマホを持っていない私は稀有な存在でした。

恐らく、多くの人は高校に入学するタイミングでスマホを買ってもらっていたのでしょう。当時、中学生でスマートフォンを持っている人はほとんどいませんでした。携帯といってもそのほとんどが折り畳み式携帯、いわゆるガラケーであり、スマートフォン自体今ほど普及していませんでした。

入学当初の自己紹介はLINEグループで行われていたようで、私は一歩出遅れた感がありました。しかし、友達など作れなくてもよいと考えていたので、そのことに対する焦りはありませんでした。

高校に入学したタイミングでは、周りに合わせていないと不安という気持ちはなくなっており、むしろ周りと違うことに誇りを持っている時期でした。そのため、休み時間にスマホに没頭しているクラスメイトを見下しており、読書や勉強をしている自分の方が優秀だと思っていました。

暇な時間が辛い

もちろん、欲しいという気持ちが全くないわけではありませんでした。
スマホが欲しかった最大の理由は、SNSをやりたいわけでも動画を見たいわけでもなく、暇をつぶしたかったからです。集会での待ち時間や、ちょっとした空き時間など周りがスマホをいじっている時間に手持ち無沙汰になるのが嫌でした。

高1の時、祖母から進学祝いでもらった電子辞書を使っていました。電子辞書には漢字や英語だけでなく有名文学も収録されており、暇なときには電子辞書で読書をしていました。

高校2年生に進級するタイミングでスマホを買いに行きました。携帯ショップで1時間以上説明を聞かされた記憶があります。なんで携帯の説明はあそこまで長く、複雑な料金システムを導入しているのでしょうかよく分かりません。
何はともあれ、スマホをゲットしました。

誘惑に勝てなかった自分

スマホを買って操作に慣れると、いろいろなアプリをダウンロードするようになりました。
将棋や麻雀と言ったアプリをどんどんダウンロードしていき、ついにYouTubeもダウンロードしました。
これ以来ゲームや動画視聴にハマるようになり、すき間時間だけでなく家での勉強時間も侵食するようになりました。
スマホを買う前は、くだらないゲームや動画視聴には絶対使わないと考えていたのですが、欲求に打ち勝つことはできませんでした。
動画やゲームはよくできているもので、意識しないうちにどんどん時間を浪費させられてしまいます。自分は意志の強い人間だと思っていましたが、結局のところ楽な方に流れる人間だったのです。

世間の趨勢に流されたくない

私の性格上、世間の流行やデファクトスタンダードに流されるのが嫌で仕方ありません。そんな性格のため、スマホの流行も快く思っていませんでした。
そんな私ですが、現在の生活には欠かせないものとなっています。
仕事でも使いますし、電気代等各種料金の払い込みや確認にも使います。

恐らく、ほとんどの若者にとってスマホは必要不可欠な存在でしょう。しかし、30年前にはスマホと言うものが存在すらしなかったのです。当時の人がどのように連絡を取ったり娯楽を楽しんでいたのか分かりませんが、もはやスマホのない時代には戻れないでしょう。

便利の代償

スマホを持ったことによって、利便性を獲得しました。しかし、その代わりに10代の貴重な時間と集中力を奪われてしまったように感じます。中学生の頃と比べて明らかに集中力が切れやすくなったと実感しています。いろんなことをやろうと考えても、結局中途半端になってしまうことが増えました。

便利の代償は大きいと思います。現在でも、YouTubeの動画を見たりゲームをしたりしています。本心としては有益な情報を得るためだけに使いたいのですが、なかなかうまくはいっていません。

スマホとの向き合い方

持たなければよかったかと聞かれれば、それも微妙です。スマホを持ったことによって知れた情報や繋がりも数多くあるからです。エコノミクス甲子園やオセロ大会だってスマホで知りました。今一度、スマホとの向き合い方を考える時が来たのだと思います。

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