密教・心理ケア入門講座第三回目
本日は密教・心理ケア入門講座第三回目
前回までは心理カウンセラーによる心理ケアについての話でしたが、今回からはがっつりと仏教・密教の講座。
弘法大師空海が恵果和尚から伝授された密教の教えを、どのように理解し、それを教え、伝えていったのか。
第一回目から断っていますが、僕自身の理解の仕方とか考え方を綴っていますので、おかしなところがあるかもしれません。ご了承くださいませ。
講師は土居夏樹先生
高野山大学ホームページから拝借
https://www.koyasan-u.ac.jp/info/teacher/natsuki_doi/
最初に始まったテーマが、成仏って何か?と言うものでした。我々が認識してる成仏とは亡くなった方と思うものですよね。
しかし、仏教の世界だと、亡くなった方ではなく、悟りを開いて目覚めた人(仏陀)に成る事を言います。
釈迦は成仏した人なので、するにはどのように修行すれば良いかについて、輪廻の話や修行の方法(初転法輪)を説きました。
生きとし生けるものは6つの世界をぐるぐると巡って生きています。これを六道輪廻と言って、迷いの世界を表しています。その世界から外れると涅槃=成仏となります。
成仏できる道というのは絵の右上にある指差ししてる仏様のところからしか行けません。
その道は人界からなのです。
人界にいて初めて成仏への道を修行し理解することができるのです。
じゃあその成仏はいつ達成できるのか。
これは釈迦が悟りを開くまでは我々と同じ修行僧だったのだから、何をもって成仏したと言えるのか疑問だったわけです。
実際にそれを問うた僧がいたとかなんとか。
答えは、悟りを開く前から、生まれる前から、既に成仏していたというものでした(笑)
これ、仏陀としてみんなに認知されている時に言ったからまだマシですが、認知されてない人が言うと大丈夫か?と思われてしまう説明ですよね。
でも、この部分を理解し、教えができていったのが密教です。空海はこう言いました。
「即身成仏」
今の生きているこの身のまま仏と成る。
ちなみに僧が穴とかに閉じこもってミイラに成ったものがありますよね。あれは何なのかって言うと。
「即身仏」といいます。
違いは、仏になったと自覚したままの僧か、自覚してないままの僧かなんです。
空海は死後奥の院に入定しましたが、今でもずっと生きているといいます。これは、死んでから仏になったわけではなく、生きている時から肉体が死するその瞬間も、自分は仏である事を自覚している僧だからです。釈迦も即身成仏なので今でも生きているという認識です。
即身仏というのは生きているうちに二度と出れない穴とか場所に閉じこもって死にゆくまでひたすら仏になりたい、仏に会いたいと願って、祈って、死にゆく僧の事です。
そういう世界観が理解できなかった僧は、釈迦の教えた悟りを開く修行方法を実践しながら改良に改良を重ねて、たどり着いた答えは
「三劫成仏(さんごうじょうぶつ)」
1辺20キロの巨石を3年(または100年)に1度天から降りてくる天女が羽衣でひと撫でし、巨石が擦り減って無くなるまで。
生まれ変わりながら修行を続けていれば、いつか仏陀となり成仏できるだろうというものでした。
原始仏教とか、上座部仏教というのがこの系統です。昔スリランカの僧の祭りに行った事がありますが、教義もダンマ・パダという1番古い経典と言われているものがベースでした。
でもま、人間はゴールの見えない修行ってうんざりするし、どうなのこれ?って思いますよね。
仏陀釈迦がいなくなってから、また次の仏陀が誕生し、しかも会えるかどうかって考えるとかなり絶望的な心境になります。
現代みたいに世界のあらゆる情報をもらいに行かなくても家で得られるような時代ではないですしね。
そこで、できたのが修行僧は全ての生きとし生けるものが成仏するまで、成仏しません!(衆生無辺請願度)と誓いを立てて、色んな修行の方法を研究したりして生み出し、実践を続けていった。
これが大乗仏教です。
日本には韓国経由で大乗仏教が入ってきました。
聖徳太子ら崇仏派と物部氏の神道派と戦いが起こったのは歴史でも残っていますが、聖徳太子が四天王に加持を願い、勝ったら四天王寺を建立すると約束し、実際に崇仏派が勝利して四天王寺が建立されました。
でもね、聖徳太子は大乗仏教をしっかり理解していたので、神道を絶やさず、大事に扱って、神社を建立したりしたわけです。
そこから空海が密教を持ち帰って来るまでの間、成仏の定義はみんな一緒に成仏を目指して生きていきましょう୧( •̀ㅁ•́๑)૭✧というものなので、即身成仏という考え方はさぞかし受け入れ難かったと思います。
奈良の僧が空海に迷いの世界にいる人々をおいてけぼりにして、自分一人だけ成仏するっていうのは、慈悲がないのでは?と質問したそうです。
これについて空海は明確に答えてはいないそうですが、仏教の世界は我々人間は、経典とかに載っている実在した仏陀釈迦を見習ってその教えを修行し、苦から離れて成仏をする事が目的です。
密教は、仏陀釈迦という存在も大日如来という名前を持つ「全ての根源体」が、「あらゆるところにあらゆる形で現れて存在している」現れの1つであるという認識から始まり、生まれ持ったこの自分自身は、仏陀釈迦と同じく大日如来の1つの現れであると自覚しながらこの世を生きていくのが目的です。
なので、密教では「既に仏に成っている身」なので、自分だけが成仏してるとか、成仏してないといった概念はそもそもないのです。
実は仏陀釈迦も悩み苦しみ修行をしてきたわけですが、なぜその時も成仏していたといえるのか。
その答えは、そのような姿も、全て大日如来の現れの1つであり教えであるというのが密教の世界観なんですね。
悩める時も、苦しんでる時も、自分は仏である事を忘れずにどう生きているか自覚していくこと。どんな状態でも自分の身の回りの環境や人やモノをどう観じ、どう接しているか自覚していくこと。
教えを伝えていたけれど、理解できる人が少なかったのでしょうね。
さて、恵果(けいか)和尚は大日如来から受け継がれてきた継承者七番目の弟子で、空海は八番目の弟子として日本に密教を持ち帰りました。
しかし、これも恵果和尚が伝授したあとに早く日本に持ち帰りなさいと急かさなければ、空海の帰国は33年後もしくは帰国できなかった可能性がありました。
なぜなら当時羅針盤そのものが無いまま航行に出ていた遣唐使は、毎度どこにたどり着くかわからなかったのだとか。実際空海もたどり着いた所は唐ではなく、福州長渓県赤岸鎮という台湾海峡の辺りだったからです。絵の1番下の場所。海賊と間違われてそれが解けるまで50日かかったとか。
また出航後に難破して多くの命が失われたりしていたので遣唐使を廃止にしようという話が出ていたからです。
もしも空海が恵果和尚の言葉を聞き、20年の留学条件を破って2年で帰国しなければ、最澄の持ち帰った密教のみが日本に残る形になっていたかもしれないのです。
ちなみに天台宗の祖、最澄が持ち帰った密教というのは、空海と同じ系統ですが、継承者ナーガルジュナ(龍樹)が教えていたたくさんの弟子の中の1人のルーツが最澄にたどり着いていました。最澄は十番目の弟子として学び、帰国しましたが、歴史にもあるように、空海の持ち帰った密教と比べてはるかに不足している事が判明して、最澄は空海に書物を借りて勉強したりしていたんですね。
空海の帰国が33年後だったかもしれないというのは何故かというと、最澄は空海から密教を全部教えてもらえなかったんですね。しかし弟子になる事も立場上できない。なので、空海に弟子を一人送り込み、密教の真髄を学んで帰ってくるようにしたけど、その弟子は空海が何故最澄に密教を全部教えなかったのか理解したのでしょう、帰らなかったという。
なので、最澄はまた弟子に空海の学んだ密教を学んできてもらおうと無理やり出航させ、数回失敗の後、ようやく成功したのが33年後。
空海が密教を持ち帰っていなければ、持ち帰った密教が不完全であったことも、完全なる密教の素晴らしさも最澄は知らなかったわけで、もちろん弟子を中国に送り込むことも無く、遣唐使が早く廃止になって空海が帰国できなかった可能性があった。
そういう、奇跡的な流れで空海の密教は今日まで連綿と伝えられています。
さて、空海は「即身成仏義」という書をしたためて、密教でいう即身成仏というのはなんぞやについて説きました。
その中にあるニ頌八句(にじゅはっく)という詩文があります。(漢文らしい)
六大無礙(ろくだいむげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり
四種曼荼各々離(ししゅまんだおのおのはな)れず
三密加持(さんみつかじ)すれば速疾(そくしつ)に顕(あら)わる
重々帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身(そくしん)と名づく
法然(ほうねん)に薩般若(さはんにゃ)を具足(ぐそく)して
心数心王刹塵(しんじゅしんのうせつじん)に過ぎたり
各々五智無際智(おのおのごちむさいち)を具(ぐ)す
円鏡力(えんきょうりき)の故(ゆえ)に実覚智(じっかくち)なり
訳すると
六大はさえぎるものなく常に結び付きあっている
四種類のマンダラは互いに離れることが無い
身体・言葉・心の作用が感応すればたちまちに出現する
無限に重なり合っているさまを〈この身のままで〉という
ありのままにさとりの智慧を備え
心の作用と心そのものは数えきれないほど存在する
それぞれに五つの仏の智慧と限りない智慧が備わっている
完全な鏡のようにすべてを映し出すから真実の仏陀である
前半四句が「即身の頌」後半四句が「成仏の頌」を説明しています。
まずは「六大無礙にして常に瑜伽なり」
六大というのは「地・水・火・風・空+識」の事で、それらが「全てに行き渡っている」という意味の「大」がつきます。
六大という言葉は元々「人間が何でできているか(構成要素)」を示す言葉でした。
地大→固体、肉
水大→液体、血液、体液
火大→熱、体熱
風大→気体、呼吸
空大→空間、体腔
識大→精神、心
空海はそれを「人間は何であるのか?(本質)」を示す言葉として解釈し、書き記しました。
地大→本不生(ありのままに存在する)
水大→離言説(言葉では表現できない)
火大→無垢塵(汚れなく清らかである)
風大→離因縁(原因や条件を離れている)
空大→等虚空(全宇宙の全空間に等しい)
識大→我 覚(識→覚・智)
無礙というのは、「妨げるものがない」という意味です。
瑜伽というのは「yoga(ヨガ)=結びつきあっている」事です。
「〈私〉はありのままに存在し、言葉で表現できず、汚れがなく、原因や条件に左右されず、全宇宙に遍満(へんまん)する、と覚(さと)る」
「故に仏、六大を説いて法界体性(ほうかいたいしょう)したもう」
法界とはさとりの世界の事。体性は真理・本質の事。
冒頭の方で、「全て大日如来の1つの現れである」と書きましたが、我々ひとりひとりの本質は六大=法界体性=私の本質=大日如来の現れであるということを言っているのです。
ややこしいんですが、我々は色んな構成要素が集まってできているわけで、本来は「わたし」とか「自分」とか「自己」というそれそのものが単独でこの世に存在しているものはなく、どれだけ調べても探しても、「構成要素が集まった存在」という答えしかないんですね。
なので、自分と他人を識別するために、名前がつけられているだけで、全員、構成要素が集まった存在であり、それを密教では大日如来が変化して存在しているものだから、私もあなたも大日如来の化身であるとするのです。
六大が生み出す全てのものとは
①自性法身(じしょうほっしん)→大日如来
②受用法身(じゅようほっしん)→四仏
大日如来の周りを取り囲んでいる仏。
金剛界は,東に阿 閦 (あしゅく) ,南に宝生,
西に阿弥陀,北に不空成就の四仏,
胎蔵界は,東に宝幢 (ほうどう) ,南に開敷華
(かいふけ) ,西に無量寿,北に天鼓雷音 (て
んくらいおん)
③変化法身(へんげほっしん)→釈尊
④等流法身(とうるほっしん)→導く相手に合わせ
た姿の仏陀たち。
それを絵で現したものがマンダラです!
左が金剛界マンダラ、右が胎蔵界マンダラ
大きな仏様が大日如来です。
金剛界マンダラはそれぞれの世界に分散された大日如来の智慧があり、修行の過程となっています。胎蔵界マンダラは外側から六道の衆生達や他宗教の神々や修行者など大日如来の全ての姿が描かれています。
おなじみの神仏がいますね。
この曼荼羅、金剛界マンダラは上が西になってて、胎蔵界マンダラは上が東になっています。
何故かはこれといった情報が得られませんでしたが、土の上に描かれて儀式が終わると消される運命であったマンダラが、中国にて消されないマンダラになった時、中国の思想が融合されていったのではないかというもの。
中国には易経という万物の理があるので、その理と融合してそのようになったのではなかろうかと思います。易経では温かいものは上に上がり、冷たいものは下に落ちるという自然の働きから人間関係の働きまで書かれているのですが、温かいものは上にという理屈で温かい所は南として位置づけられているものですから、東西南北の位置が変わりますよね。
南が上、東が左、西が右、北が下なんですけど、この理屈で考えると、胎蔵マンダラは右(西)にかけられています。と言うことは、我々が胎蔵マンダラを拝むとき、如来は東を向いていることになります。なので絵の上が東と位置づけられたのかと。
同様に金剛界マンダラは左(東)にかけられているので、我々が拝むとき、如来は西を向いている事になるので、絵の上が西と位置づけられたのかと。
勝手に想像しています。
1つの壁に設置する時も、両壁に設置する時も、右が胎蔵界、左が金剛界ですしね。
密教では3種類の世界で考えています。
①智正覚世間(ちしょうがくせけん
仏・菩薩たちの世界
②衆生世間(しゅじょうせけん)
人間・生物の世界(六道)
③器世間(きせけん)
自然環境(非生物の世界)
全て大日如来の現れであります。
一神教と混同しやすいですが、一神教は「創造神という単独で存在するものが、この世の全てを創った」という前提になってますが、密教は「この世の全てが大日如来の現れである。したがって大日如来が特別にこの世を創ったわけではない」という事が前提です。
なので、本当は何の差別もなく大日如来の現れとして生まれているのですが、大日如来のどんな構成要素を集めて、どんな世間に生まれて、仏としてどんな事を表現してこの世に在るのか。
その規模が様々なため、悩み苦しみや差別を感じやすくなってしまいます。
全てが仏であるというベースですから、当然生まれ変わったら何に生まれ変わるかは、わかりません(構成要素の集まりだから)
だから十善戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見)という己の悪業を意識的に戒める教えがあったりするのです。
次の「四種曼荼各々離れず」というのは、マンダラに描かれた真理の表現では、仏以外の者も描かれています。
でもこれも大日如来の現れの1つです。
マンダラを眺めては、自分や自分の観じている世界は一体どこか考えてみるのも良いかもしれませんね。
四種曼荼羅というのは曼荼羅には四種類あって、1つが大マンダラ。
仏・菩薩の姿を絵画で現したもの。
また、修行者が即身成仏した姿。
次に三昧耶マンダラ
仏・菩薩をシンボルで現したもの。
修行者が手に結ぶ印。
手を合わせるというのもそうですし、仏様の手印というのも三昧耶マンダラです。
次に法マンダラ。
仏・菩薩を梵字で現したもの。
真言や経典。
最後に羯磨(かつま)マンダラ
仏像で現したマンダラ。
立ち居振る舞い。
次の「三密加持すれば速疾に顕わる」
三密行→密教の修行方法。
身密(しんみつ)→仏の身体的活動
修行者が手に結ぶ印
口密(くみつ) →仏の言語的活動
修行者が誦える真言
意密(いみつ) →仏の心的活動
修行者が心に思いえがく本尊
仏の三密が修行者の三密に結びつくことが三密加持です。
修行者の身密は手印ですから三昧耶マンダラ
修行者の口密は真言ですから法マンダラです
「速疾に顕わる」というのは三密を行った時、マンダラを生み出し顕わしている=仏陀であるということになります。
次に「重々帝網なるを即身と名づく」
即身の「身」とは、
我身(がしん)→私の身体
仏身(ぶっしん)→仏の身体(自性法身、受用法身、
変化法身、等流法身)
衆生身(しゅじょうしん)→他者の身体
「かの身 すなわちこれこの身、この身 すなわちこれかの身、仏身 すなわちこれ衆生の身、衆生の身 すなわちこれ仏身なり。不同にして同なり、不異にして異なり」
私の身もあなたの身も仏の身も、同じじゃないようで同じ。違わないようでいて違うとこもある。という事ですかね。
一瞬仏にもなるし、仏とは思えない時もある。異なるところがなさそうで異なってるところがあるっていうことでしょうか。
「重々帝網」というのは帝釈天の宮殿に飾られた網の宝珠だそうです。一つ一つに全てが映りこんでいるのだとか。
何となくトンボの目を思い出してしまいました(笑)あれ、なんであんなに目ができてて、どんな世間の見え方してて、どう認識のより分けをしてるんだろって思いますね。
密教の世界というのは、釈迦の教えから始まり、般若経で空を理解した後に学ぶという順番を経て、ようやく誤解なく世界観が理解できるようになってきます。
秘密の教えである密教。
実は即身成仏義の前半四句(即身の頌)しか講座がなく、後半の四句(成仏の頌)は高野山大学の難波オープンキャンパスの講演で話すと言う事で、中途半端にここで終わります。
大学行かないけど、難波オープンキャンパスへ行ってきますよ。(2月ね)
レジュメがないかもしれないので、アップの中身はどうなるかわかりませんが、勉強してきます。
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