カープの黄金期形成におけるブラウン時代の役割

皆さんはブラウン監督というと何を思い浮かべるでしょうか?
ベース投げは上位に入るでしょうし退場劇ってのも思い浮かべる方が多いのではないかと思います
しかし、実際にブラウン監督がチームに施した改革という面では中々語られないのが現状です
かくいう僕もブラウン政権の時はまだ幼く記憶があまりありません
今回はその記憶がないということを利点にしてブラウン政権を客観的に評価していきたいと思います

その前にブラウン監督の簡単な経歴を紹介します

ブラウン監督は1992年に外野手としてカープに入団しました
しかし、成績はイマイチで2年で自由契約になりました
その後ブラウン監督はアメリカに戻るも結局すぐに引退して指導者としての道を歩み始めました
選手としてはあまり結果の出なかったブラウン監督ですが2006年にマイナーリーグ最優秀監督に選ばれるなど監督としてそこそこの実績を積み上げていきました

その後カープにラロッカなどの優良外国人を送り込んだことが評価されてカープの監督に就任しました


1当時のカープの状況
ブラウン就任以前ののカープは所謂暗黒期の真っ只中で優勝どころかAクラス入りすらままならない状況でした
また、ブラウン就任前年には最下位に沈むなど暗黒期の出口が遠くチームとして何か変革を必要としていた時期と言えるでしょう

2ブラウン監督の改革
ブラウン監督は就任してからすぐにチームの大幅な改革に着手しました

まず取り入れたのは先発の球数制限です
ローテーションを中4日とし、100球を目処に交代させる仕組みを作り上げました
翌年ローテーションは中5日6日に変更されますがおそらくカープの先発陣の駒不足を考慮して中4日としたのでしょう
中4日100球を目処に交代はMLBで行われているものでありブラウン監督はメジャーの仕組みをカープに当てはめ先発の投げすぎを防ぐ一方でリリーフ投手の活用を推し進めようとしたことがわかるでしょう

実際2005年に212イニングを投げていた黒田が2006年には189.1イニングとイニングを減らしている一方で永川を始めとしてリリーフ投手の登板数は増加しています

この理由としてブラウン監督は後に黒田の完投の増加をあげています
ブラウン監督は「黒田が完投することは優勝したいならば賢明な考えたかではなく投手陣に自分の役割をはっきり理解させる必要があった」
と述べています

また、ブラウンはリリーフ運用に関しても優れた枠組みを作り上げています
まず、リリーフにもローテーション制度を適用し三連投以上を防止するとともに一回の登板当たり2イニング30球までという制限を設けることでリリーフの酷使を防止しようとしています

このようにブラウン政権ではメジャーリーグを参考にした投手運用に関する枠組みが形成されたことが分かります

また、打線においては出塁率重視の姿勢をとり2番に前田智徳を置くなどの改革を施しました
前田を2番に置いたのは送りバントの多用を無くそうとする意図もあったのではないかと思われます

これはマネーボール革命でMLBにおいて従来の打率を重視する姿勢から出塁率を重視する姿勢に変化したことの影響を受けてるでしょう
ここでもブラウン独自の試みが見られます

しかし、この改革は上手くいかなかったようで得点力不足に悩まされて結局元の打線の形に戻しました
しかし、結果的には良い結果には繋がりませんでしたが打率より出塁率、送りバントの多用の禁止というメジャーの姿勢をカープに吹き込んだのは事実です

守備面では際立った改革はありませんでしたが有名な内野五人シフトを敷くなどシフトに関しては積極的な姿勢を持ち合わせていたようです(シフト全盛の現代のメジャーの野球よりも一足早くシフトの重要性に気づいたという面では評価されていいと思います)

このようにブラウン監督は様々な面でメジャーに倣った制度の導入などの先進的な試みを行いました

また、ブラウン監督は練習にも改革を施しました
長時間の猛練習を改めて短期集中型の練習を導入して全体の練習時間を減らし、自主練習の時間を増やして個々の裁量に練習時間を任せました

一例として、それまでは毎日100球投げ込ませていた投手の投げ込みを50球に制限したというのが挙げられます

このようにしてブラウン政権下ではカープの練習は現在でも猛練習と謳われることがありますが大幅に軽くなりました
次に就任する野村監督の元で多少の増加は行われたようですが無理な練習のせいで怪我人を誘発したりシーズンの後半でバテるといったカープの悪しき伝統を打破する大きな一因となったと思われます
(実際は終盤の弱さを払拭するまでにはもう少し時間を要しますが)

3ブラウン政権下でのドラフト
今度はブラウン政権の下でのドラフトを見ていきましょう
イチイチ指名選手を載っけていくのも面倒ですしざっくりと黄金期形成に携わったメンバーなどを抽出していくと
前田健太、會澤翼、安部友裕、丸佳浩、小窪哲也、松山竜平、岩本貴裕、中田廉といった後の黄金期の核となるメンバーやその脇を固めるメンバーをこの時期に獲得したことが分かります
スカウティングの成功はもちろん要員としてあげられるでしょう

しかし一方でブラウン政権下での練習改革も彼らを主力メンバーへと育て上げる大きな要因になったのではないでしょうか?

4まとめ
以上ダラダラと見ていきましたが結論から言うとブラウン政権は外国人監督という利点を活かしてそれまでのカープの風習を改めてメジャーの制度を持ち込み改革を図ったことにその最大の意義があると言えるでしょう
このようなブラウン政権での改革によって作られた枠組みは残念なことに一部野村政権によって破壊されていきましたがカープの黄金期形成においてブラウン監督は基盤の形成を行なったとう評価が出来るでしょう

また、リリーフ投手の酷使が相次ぐ現状においてブラウン監督の導入したリリーフ酷使に関する枠組みは大変改善のために参考になるでしょう

黄金期の形成と言われると野村政権のことがどうしても取り沙汰されますがその野村政権が黄金期を形成する土台を作ったブラウン政権のことをもう一度再評価するべきではないでしょうか?


長々とお読みいただきありがとうございました


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