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狩りと採り7

2023年の夏、今年80歳になる母の大腸にガンが見つかった。ステージは3に近い2ということで11月に手術を控えていた。そんな母から電話が来たのは10月10日のことだった。
アツシ、山に行ってるのかい?
ガンを患い外出できなくなっても山のことは気になるのだろう。そう思った自分はやっと松茸が出始めたこと、今年の山はキノコが豊富であることを正直に伝えた。すると母はこう続けてきた。
お父さんを山に連れて行ってくれないかい?
一緒に山に行ってほしいということだった。母の話はこうだった。昨年までは2人で一緒に山に行っていたがガンで自分が一緒に行けないので父が1人で山に行くと言い出したそうだ。危険だからと止めても行くと言って聞かないらしい。なので自分に父を連れて行ってほしいということだった。無理だ、というのが真っ先に頭に浮かんだ自分の答えだった。しかしこういうことは頭ごなしに否定しても相手を説得することはできない。客観的に判断するため父の近況を聞いてみることにした。要約するとこうだった。
昨年までは2人で山に行っていたが移動の足が遅く移動の際は母が先行し父の到着を待つという状況が続いたという、2人とも同じ80歳なのにだ。
2人である松の木を目指して進んだが父は遅れ、しかもあらぬ方向から現れた。
普段は身体を動かすことも少なく茶の間に座って横になってばかりいる、たまに歩くとまっすぐに進めない。
これを聞いて山に行くのを許す人はいないだろう。母は一緒に行けばなんとかなると思っているのかもしれないが、山は2人で入ろうが複数人だろうが実際の行動は別々にすることになる。父を常に自分の視界に置き安全を確保しながら共に山を進んでいくのは不可能だった。
山を歩くのに必要な能力は認知、判断そして行動だ。車の運転にも似ているが運転ほど状況判断にスピードは必要としない。じっくり周囲の状況を確認して把握してから行動に移せばよい。ただいまの父にはその能力のすべてが不十分と言わざるを得なかった。
山には絶対に行かせるな、車のカギを隠してでも1人で行かせてはダメだ、母にはそう伝えた。そして2人で一緒に行くのも断った。母は納得したようだった。
オヤジの気持ちはわかる。松茸を食べたいわけじゃない。松茸を自分で探して見つけたいだけなのだ。例えるなら釣りで魚とのファイトを楽しみ釣れた魚はリリースするのと似ている。松茸を見つけたあの瞬間の感動は見つけた者にしかわからない。自分もその感動を味わいたくて毎年山に足を運んでいるのだ。もちろん10年前なら反対はしなかった。だがいまの状況で山に行くのは自殺行為だった。認めるわけにはいかなかった。
次の日また母から電話がきた。父が山に行くのを止めたら怒って手がつけられないという。今度は父に電話を変わってもらい直接話をした。
オヤジ、よく聞いてくれ。オヤジを山に行かせたくなくて反対してるわけじゃないんだ。自分の歩く姿を見てみるといい。いまのオヤジにはもう無理なんだ。もしオヤジがウォーキングや畑仕事をして毎日足腰を鍛えてるっていうなら話は別かもしれない。ただ普段から体もろくに動かさないでウチでごろごろしてる者がふらっと山に行って受け入れられるほど山は甘くない、と。
オヤジは笑いながら聞いていたが納得はしてないようだった。自分はまだ大丈夫だという根拠のない自信が会話の端々に見える。一言で言えば身の程を知らないのだ。止めても無駄、そう思った。
母に電話を代わってもらいこう伝えた。たぶん止めても山に行くって聞かないだろう。どうしても行くっていうならA尾根に行かせろ、と。林道からA尾根に入って山道を下ったところに平らに開けたエリアがある。100mくらい続く広いエリアだ。オヤジの足でも30分あれば着くだろう。そこならイクジやムラサキシメジも取れるし運が良ければ松茸も取れる。エリアが広いからじっくり探せば1〜2時間はかかる。そこから先へは進まず戻ってくれば危険な場所はほぼない。絶対にそのルートしか行かないと約束するならオヤジを山に行かせても構わないと、そう伝えた。
次の日にオヤジは山に行った。10月12日だった。オヤジはちゃんと言いつけを守りそのルートを通ったようだった。いま思えばそれが失敗だったのかもしれない。父の体力を気遣って簡単のルートを設定したつもりだったが無事に山から戻ってきたことで父は逆に自信をつけたのかもしれない、オレはまだ行ける、と。
次に山に行った父はもう戻ってくることはなかった。



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