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子どもに注意を向ける時期

夏休みが終わって、新学期が始まった。

教育センターに勤めていた時、毎年この時期はナイーブだった。子どもたちは無事に登校してくるだろうか。夏休みの間に事故や事件に巻き込まれていないだろうか。子どもたちを受け持つ教職員なら、誰もがそんな思いを8月の後半からしだすのではないだろうか。

昨今では、9月1日が子どもの自死が多いことが知られて、自死予防キャンペーンがマスコミを通して、SNS上でなされることが目立つ。

わたしは大学院を出た後、縁あって、某都市の教育委員会に勤め、子どもの不登校支援に教育相談員として関わっていた。

子どもたちは、新学期の時期になると、学校に行かねばならないという登校刺激を(今どき、あからさまな学校に来いよ声掛けはしないのだが)水面下で感じて、「学校にいかねばならない」と、社会の常識というものを意識してがんじがらめになる。

だから、表面は明るく振る舞っていても、その表情の下は暗く、ふっと見せる不安さをわれわれ教職員は、注意して見ている。

それは、学校に行っている子どもたちも同じだ。学校が始まった9月は、夏休み前の元のリズムに戻るまでの慣らしが必要だ。大抵の子どもたちは1週間ほどで、クラスの雰囲気にも慣れて、日常に戻っていく。

けれども、戻れない子も出だすのが9月の後半だ。そんな時に、秋の連休やましてや前期後期の2期制の秋休みが入ると、何らかの悩みを抱えていたり、ちょっと弱さのある子にとっては、一気にリズムが崩れてしまう。それで、9月は不登校が多くなる。

同様に、教職員が注意をする時期としては、6月、7月、10月、12月、1月である。なんだ、ほとんどじゃないか?とお思いかもしれないが、それぞれ理由がある。

【2019.9.8追記】データがあるようなので、下記のデータを追記すると、「2009年からの10年間で小学生の自殺は1、3、9、11月、中学生は8月が最も多く、次いで1、3、7、9月が多い」(引用文献 神戸新聞・週刊まなびー2019年9月8日)

まず、6月は新学期が始まって4月、5月と頑張って来て、クラスで自我(エゴ)が出やすくなる、ゆるんだ時期だ。つまり、友達によく思われようといい顔をしていたり、余所行きの顔の地金が剥がれて、本来の自分を主張しやすくなり、対人トラブルも増える。また、緊張の糸が解けるので、不登校の子どもが増えてくる。

続く、7月は夏休み前。学期末テストが終わって解放された雰囲気は、教室をざわざわさせてテンションが上がり、雰囲気にのまれやすい子はタガが外れやすい。

そして、9月は前に述べた通り。10月は、音楽会や運動会など、行事が重なり疲れが出てくる時期。12月は冬休み前でそわそわするし、1月は冬休み明けでリズムが崩れるし、インフルエンザなど感染症も蔓延し、体調を崩してずるずるとそのまま休みに入ることもある。

家に続く生活の場である学校環境の変化は、このように子どもにとってとても大きな要素なのだ。

だから、教職員だけでなく、家の人も、また子どもたちに関わりのある大人も、子どもたちの様子に気を配って欲しい。

子どもたちをよく見ていると、子どもたちは必ず、何らかのサインを出しているから。必ず、誰か助けになる大人がいないか、誰か頼れる人がいないかと、表面は平気なふりをして、その内面では全身をセンサーにして助けを探っている。

痛ましい報道を目にするたびに、何かまわりの大人が気が付いてあげられなかったのだろうか?と、思ってしまう。それは虐待ケースも同じだ。

かといって、児童相談所が全てのケースを掌握できないし、連携もうまくとれていないことは、自分が教育相談の場にいた頃、いやというほど味わった。

スクールカウンセラーの研修の時、母校の教授が、「目の前で展開されていることに対して、カウンセラーが何もできないでいること、それに耐えられる強さがないとこの仕事はやっていけない」と、壇上で述べていた。

以来、私の中で、この言葉は重たく反芻されている。



論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。