学者というイキモノは
通勤電車で読んでいた心理学のガチな専門書がめっぽう面白くて,あやうく
乗り過ごしそうになり焦った。
都内に通勤してた時、けっこうやっていたのだけど,地下鉄の駅って,どの駅も薄暗くて圧迫感がある作りが同じで,わかりづらい!
特に都営大江戸線は、困難を極める!
わたくしの認知機能がおかしいのかしら?
認知機能は、ものごとを理解する脳のしくみ。
読んでいたのは,脳は大きく分けて、認知の能力の
認知脳と社会的な関わりに関係する,社会脳に分けられるんだよ〜!
という,脳から社会をみるという本。
そこに、こう書いてあった。
心理学は意識のサイエンス!
わたくし,20年以上,心理学を学び研究してきたけれど,アホなことに,心理学とは何かという定義を知りませんでした!
心の科学だと思ってた!
心=意識なんだ!
大学1年の時の「心理学入門」の授業とかで習っているハズなんだけど,寝てたかな?アホだ。アホ過ぎる。
言い訳をすると,同じ心理学でも,専門分野が違うと用語がわからないニッチな世界。
だから学術論文では,「社会心理学では~だが」とか「認知心理学では●●という言葉を使うがこの場合~」なんぞ,いちいち,細かいくらい言葉を定義する。
だけど、専門のことだったらまかせろ!
てことで、気をとりなおして(笑)
心理学のコアな永遠のテーマは自己
自分,つまり,己をちょいと学術的に言うと,自己、self。
そして,ここ数年とても気になるのが,この自己についての一般の人(心理学学徒ではないという意味)との言葉の乖離。
心理の現場でも,普段の生活でも、よく遭遇するのが,自己肯定感の高い低いで思い悩んでる人多いな〜、ってこと。
多すぎ!
そこ悩む必要ないから!
あのね,そこ,ビジネスだからさ,真剣に悩むとこじゃないよ?
悩みを作らせて,そこにペイしてもらうための構造だよ?言葉にからめとられて,「わたしそうかも?」って思わせたら,勝ちな世界なの。
ビジネスじゃなくても,学術でもそう。
自分でその価値を定義して,その世界に他者を巻き込むのは大事な要素なのだ。
そもそも、自己肯定感ってね、自分で自分を認める意味。だけと,自己評価と間違われるし,自己って定義すら,類語が多いし,その言葉同士の関係性もあやふや。
だから,「自己とは」と,学者はまず定義するのだ。
話を自己肯定感に戻すと,心理学者からすると,ソコ違わないか?と思う。
なぜなら,評価と関係ないのが自己肯定だから。
低い、高いって、いう評価は,自己肯定感じゃないの!自己評価なの!
自己肯定感じゃない!
重箱の隅をほじっている感が否めないけれど,大事なのでね。
そもそも、心理学用語、精神医学用語は、その時の社会の空気を読んでつけている、なんていうか、時代が変われば意味も変わってしまう。つまり,価値が違う。
そして,江戸時代のお金と令和のお金の価値,もっといえば,昭和の初めのお金の価値と昭和の終わりのお金の価値だって,違うくらい,「価値」って普遍性なんてない。
常に,時代,文化,国など環境によって,価値は変わる。社会や経済のしくみと連動している。
自己肯定感なんて、心理学のテーマとして、古ーくからあって,使いまわされた研究データで,たくさんの研究データの蓄積もある。新鮮さはないけれど,永遠のテーマが自己なわけだ。
だから、自己肯定感を引っ張り出して来た人、すごいな!ブーム作るの上手で,時代の空気を読むのに長けた人。
自己肯定感が低いかも?と,それまで全くそんな考えに捉われていなかった人を不安にさせて,低いとヤバイかも?と,前だったら気にならないことにフォーカスさせる,お商売なワケである。
そして,知っておいて欲しいのは,残念ながら,自己肯定感は,他の人からの評価で価値が決まるってこと。
自分で自分を褒めても、実はあまり自己肯定感が上がることはない。
なぜなら,自己評価って、自分以外の人にほめて,もらった過去の評価を集めて作るものだから。
じゃぁ、ほめてもらえなかった人はどうなるのか?
そりゃ、ほめられ体験はポジティブな方がよいけど、ネガティブな体験もまた,自分を作るんですよ。
もし,ネガティブな体験をしても,そのことをポジティブに変換できちゃう強さを持つことを「レジリエンス」というのだけど,打ち勝つ強さ,耐性みたいなもの。
だから,自己肯定感が高い低いで悩む必要なんてなくて,それより,レジリエンスを高めることが大事。
もっと,言えば,自己肯定感が高い低いにこだわりたいなら,高くても低くても,どちらの自分でも自分を認めて受け入れることができればいい。
その力は,「セルフコンパッション」っていう。
こんな風に,「セルフ(自己)」って用語を1つとっても,専門的に見れば,全く意味が違う。
だから,学者はそんなことにこだわって,議論しちゃっているのだけど,傍からみたら,オタク同士,何言ってるの?って,感じなのだと思う。
論文を書いていると,いちいちその用語を定義して,説明しなくちゃいけないし場合もあれば,査読者によっては,「そんなことは自明のこと(当たり前の共通なこと)だから説明はせんでよろしい」なんて言ってくる人もいる。
時々,なんて,狭くてバカみたいな世界に生きているんだろう?って思うくらい,実にバカバカしい。
だけど,言葉1つで定義しちゃえば,その言葉で共通のことをイメージでき,論文が読めて,議論を戦わせる面白さもある。
研究者というイキモノは,まことにけったいな生命体である。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。