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ドコドコベリーズ

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「ベリーズってどこ?」から始まった26歳女子の挑戦
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#海外生活

「英語さえできれば、、」なんて嘘

青年海外協力隊として ベリーズの少年院に派遣されて10か月目。 課題は現場に山積みなのに 大した変化も起こせず 時間ばかりが過ぎ、焦り それでも, まあ出来ることを一つ一つ やってやろうじゃないか という覚悟を決めたころ。 ある改革者が配属先にやってきた。ザ キャリアウーマン!って感じの女性で 今まで会ったベリーズ人の中で一番 しっかりしている気がした。 彼女は配属された最初の1か月ほどで, 施設内の問題点を洗い出し, 次の一か月で手際よく改革案を作り上げた。 その

散々もめた上司との”最後の1週間”が終わった。

青年海外協力隊としてベリーズの少年院に派遣されて9か月が経った。この9か月,さんざん頭を悩まされたカウンターパートと呼ばれる上司が退職した。 カウンターパートという存在青年海外協力隊には「カウンターパート」と呼ばれる相方みたいな存在があてがわれることがある。(配属先によってさまざまだけれど)カウンターパートは,隊員が帰国したあとも,隊員の代わりに活動を継続していく存在である場合が多い。 協力隊ボランティアをずっと必要としている状態ではなく,最終的にはボランティアから技術を

日本に逃げ帰ろうと思った日

とにかく日本に帰りたい。 青年海外協力隊としてベリーズに派遣されて200日が経った頃,そんなことを思っていた。 あれから1か月経って,あの時の気持ちを振り返ってみたくなったので,この書きかけだった記事を書き上げてみる。 …………………………………………………… 社会人3年目に入った頃 日本での少年院の教官としてのキャリアをストップして(なんなら結婚やら出産諸々も...チャンスを見送り)27、28という人生の1番華やかな時間を青年海外協力隊として過ごすと決めた。 たい

異国で“時間通りにミーティングを“なんて主張して嫌われた話

青年海外協力隊として ベリーズの少年院で活動を始めて7ヶ月。 -------------------------------------------------------- きっと何の気なしに 上司の口から放たれた 「授業は時間通りに始めて」という言葉 幹部だし一応言っておこうかくらいの ほんのかるーい気持ちで言ったんだろう。 その言葉を間に受けた私と時間なんて守れない上司との話。異国で働き出して7ヶ月。 時間通りにいかないことは当たり前。 1人必死に時間通りにしよ

“雨のち晴れ”のサイクルが早い

悪いことがあっても きっとその内いいことも起きるさ のスタンスで日本で生きてきて 本当にいいことも悪いこともある日々だった ベリーズに来ても、やっぱり同じで いいこともあれば悪いことも起きる。 ただ日本に比べてベリーズの方が そのサイクルがめちゃくちゃ早い 悪いことがあった1時間後には いいことが起きて元気になる その10分後には再び悪いことが。 でも大丈夫。また数時間もすればいいことが。 何でかなあって考えてみたんだけど きっと感情の感度が上がっているからだと思っ

初の海外生活が始まる〜ベリーズで何やろっかな〜

今回は要請から少し離れて ベリーズで挑戦してみたいことを 思いつくままに書き出しておこうかなと。 断っておくと、 活動について何も考えていないわけではない ただ情報があまりにも少ないので 「何をするか」「何ができるか」は 現地に入ってからもう少し 練る必要があると思っている。 きっとどの隊員もそうだけど。 活動の方針が決まったら、 またシェアしようと思う。 では、ここからは 私がベリーズで挑戦したいこと 1年後くらいに現状報告できたらいいなあ。 1 英語で高度

海外に逃げちゃダメですか?

高橋優さんのLIVEでこの曲を聴いて涙がスーッと流れるくらいに疲れていたんだと思います。 23時半にとりあえずの仕事が終わり何でかわかんない頭痛と一緒に職場を出る。雑草のように踏まれては起き上がる。そんな言葉に自分を当てはめてるようじゃかなりまずいから。今日は早く帰ろう明日も頑張るために。早く帰ろう明日は褒められますように。(リーマンズロック/高橋優) 転職なんてことを真剣に考えたこともなく 天職だとすら思える仕事をしていても うまくいかない時期やしんどい時期は 何度