「夜明けがこない夜が来る」
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「夜明けがこない夜が来る」

午前中、いきなり猛烈な雨が降ってきた。わたしは、実家の二階にある仕事部屋でテレワークの真最中だったが、屋根にたたきつける雨音があまりにもうるさくて仕事が手につかなかった。「ところによっては雷雨があるでしょう」という天気予報はみていたものの、なぜかそういうときの「ところ」というのは、絶対にうちの近所ではないことになっているから、まったく意識していなかったのである。

会話もできないくらいの集中豪雨に辟易しながら、(そうか、うちが「ところ」になることってやっぱりあるのだな。その場合の確率はどれくらいなんだろう)などと、どうでもいいことを考えつつ、五分たってもまったく小降りになる気配がないので、イヤホンをつけて音楽を聴くことにした。

ふだん、仕事中には音楽を聴くことはない。頭のリソースが聴覚に奪われてしまって仕事がはかどらないからだ。けれども、今回は、雨音が音楽の代わりにわたしの思考回路のリソースを食ってしまっているのだから、とわたしは考えた。

それで、特に考えることもなく、最近Amazon Musicで再発見した「種ともこ」の、昨晩ダウンロードしたばかりの近作アルバムを聴き始め、…そして、突然耳に飛び込んできた「いつかは夜明けがやってこない夜が来る」という一行にショックを受けたのだった。

キーボードを打つ手が止まって、わたしは音楽に集中した。もう、テレワークどころではなかった。聞き間違えたのだろうかと思って、繰り返し聞いてみたが、間違ってはいなかった。

いつかは夜明けがやってこない夜が来る
ありがとう言えないままお別れなんてやだ
          種ともこ『三日月』

「それでも朝は来る」と思うからこそ、人はつらい夜を乗り切れるのではなかっただろうか。地球の自転が止まるか太陽がなくなるのでない限り、だれにとっても朝は来るのであり、開けない夜は存在しない。

夜明けが来ないということは、それはつまり夜明けが来ないということである。文字通りに受け取るなら、それはその人が死んだということだ。比喩的に考えればいいのかもしれないが、わたしにはそうは思えなかった。

というのも、わたしは三日前に、かつての仲の良かった同僚が、いつもどおりに外出し、そのまま大動脈解離でその日のうちに亡くなったという連絡を受けたばかりだったからである。彼はわたしより五歳も下で、ウォーキングで地域おこしをするくらい、いたって元気で活動的な人間だった。

そうか、いつかは開けない夜が来るのだな、と思うと、いてもたってもいられなくなったが、だからといってどうなるわけでもない。一年ほど前に、彼から出版の企画に加わらないかともちかけられたのを思い出した。あの本はどうなったのだろうか。自分にもこのまま夜明けが来ない夜を迎える日が来るのだろうか。せいぜい動脈硬化にならないように、血圧が高くならないように祈ることくらいしか思いつかなかった。そもそも、動脈がブチ切れるって、いったいどんな状況なのだろう。

嫌も応もなく、ありがとうも言えないまま、お別れになってしまった、と思いながら、気が付けば、あたりはひっそりとして、雨はすでに止んでいた。わたしは、イヤホーンを外して、テレワークに戻った。

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母が住む実家で週末ごとに過ごす日々。 母との大切な時間を綴る。