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バイト先しか知らない話

わたしは働くのが好きだ。もともと完璧主義で、(自他ともに認めるくらい)自己肯定感をあまり感じず、自尊心がかなり欠落しているので、それらを求めて外へ出る。学業も仕事もせっせとこなす、努力家タイプ。要領は悪く、頭の容量も少ないので、何度も同じ失敗をしながら、少しずつ成長していく。負けず嫌いで、そんなスペックの低さでも勝とうと人一倍時間をかけて頑張るので、学校でもバイトでも仕事でも、それなりにやってきた。

父は人間関係形成が少し苦手なひとで――可愛く言えばシャイ――、仕事の面で特に苦労をしてきた。そんな父と生きてきた母も、同じく苦労人だ。そんな両親を見て育ったわたしは、「早く大人になって働きたい。せめて小遣いくらいは。」と高校生の時に学校に許可をもらってバイトを始めてから、「仕事」と一緒に生きてきた。留学へ行ったり、休職をしたり、教育実習に行ったりして、おやすみした期間も多いけれど。

最初はスーパーのレジ(2.5年)、耳鼻科の診療助手・受付(1年)、塾講師(今年で5年め)、大学の食堂での列整頓係(3年)、英会話講師(1年)、スペインバルでのホール(今年で5年め)、家庭教師(2件を1年ずつ)、高校教員(実質0.5年)。履歴書には当然抜粋して書く。

こうしてみるとやっぱり教える仕事が多いなあ。でも、接客業もそれぞれ本当に楽しかったし、お店ごとにいろんな色があって、それを感じられて有意義だった。特に大学の食堂は傑作で、12時〜13時の一番の混雑時だけ授業終わりとともに飛び出し出勤して、空いている列のメニューを叫びお客さんを呼び込みつつ、トレーや小鉢の補充やキッチンさんの使いっぱしりになる。列が見えないのか、列に並べない大学生もいて、注意をしたりもする(というか、こればっかりだった。)配膳の混雑が終わったら、次は返却だ。配膳コーナーにあったレーンを返却口に移動させて、そこでまたお皿を5人分など重ねて返却する大学生を待ち構える。もちろん、営業スマイルは忘れない(笑)収まったら、急いでまかないである自分用のご飯を400円分取って(選ぶ+頭の中での計算は叫んでいる間に済ませてある)、まさにかきこんで次の授業へ走る。ゼミのときにはトレーごと4階の教室に持っていって、後輩に見つめられながら、そして先生に笑われながら食べていた。その先生には最後まで激貧民だと思われていたので、豆サラダなど、たくさん食べ物を頂いた。

なんてことはいいのだ。先日、未だに忙しいときには手伝っている5年目のバイト先、スペインバルに行った。シェフで店長の、太朗さんは豪快だけどとても優しい人で、そしてこの世のものとは思えぬ美しく美味しいお皿を生み出す――そしてイケメンなので、天は二物を与えずというのは嘘なの?と思ってしまうのだが――。この時一緒に行った料理教室で出会った友人、ふうちゃんとは2度めの来店だった。太朗さんは「いつもほんまにありがとう。」と言った。「わたし、ここしか知らないんです。」 

この言葉はある意味間違いではなく、ふうちゃんに限らず、京都でごはんに行く時(指定先がない時)は必ずと言っていいほど、バイト先に行く。だから、「ここしか知らない」になる。考えたくないとか、他のお店に挑戦したくないわけではないけれど、そこには理由がある気がするのだ。先日のnote、「橙色、ときどき勿忘草」の主人公はるちゃんは、他のものが自分の中に入ってくるときに一種の壁――この場合、盾というべきか――を持っているという話をしたと思う。人をカテゴリー分けして、その人によっていろんな自分を使い分ける彼女。たぶんわたしは逆のベクトル(外向き)のときに、カテゴリー分けをしているように思うし、そのカテゴリー間には大きくて厚い壁がある。バイト先にはわたしのなかでは実家のような、あったかくていつでも受け入れてくれる空気感がある。それ以外の飲食店やお店は、どんなにアットホームな場でもなぜかとても敷居が高くて、どれだけ親しい人と行ってもある程度の緊張をしてしまう。学校や塾など、過密性が高い場所で、個人情報を扱っているということも相まって、たとえ外部の人と食事をする場であっても場は選ぶ。(当たり前だが)また、太朗さんやバイトくんたちに報告したいことをいっしょに報告できるという利点もある。最近だと転職、彼との交際などなど、学生のときは週1で話していた頃があったわたしからすると、話したいことが多すぎる。カウンター席に座ると話していることがほぼ丸聞こえなので、なんとなく聞き取ってもらって、気兼ねのない彼らは気になることは再度尋ねてくれる。あとは、いい意味で法外な、ちょっと経営を心配してしまうくらいのディスカウントをしてくれ、友人ともども激励で包まれて店をあとにすることができるところも気に入っている。こういう、家では感じられないパワーを肩に乗っけてくれるのは、わたしが知る限りバイト先しかない。その代わりに、お盆やお正月など、バイトくんたちが帰省してしまう、人が足りない時期にはお手伝いさせてもらっている。(「舞う接客」、「鬼の掃除姉さん」などと言われながら楽しんで働いている。)

学生が終了すると自然と足が遠のくバイト先。わたしは幸いにも育った場所から離れずに済み、近くに友人も少数ではあるがいてくれるおかげで、バイト先を時たま訪れることができる。常連さんも結婚や出産、転勤などで毎年毎月若干の入れ替わりが絶えないし、わたしだっていつまでこれができるかはわからない。でも、わたしを受け入れてくれるあの場所をわたしは死ぬまで大切にしたいし、鬼の掃除姉さんとして新しいバイトくんたちの影の教育係としても積極的に関わってもいきたいと思っている。いい意味で「ここしか知らない自分」も大切にしていきたいな。

――次彼が帰省したら、連れて行こう。

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