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わたしの尊敬する人たちの言葉たち

わたしは過去の偉人の言葉よりも、身近なひとの言葉に心動かされて生きてきた。過去の卒業生が受験する時に渡す手作りの応援カードには、「英語の先生」っぽく、海外の偉人たちが残した高尚な言葉たちを書いてきたけれど。

今日はそんな言葉の話をしたい。たっっっくさんいる尊敬する人々の中で、対照的な2人の言葉について考えてみたい。

先日紹介した職場の上司と、彼である。この広い世界で生きるちっぽけなわたしが多分生涯で最も尊敬する人である。

彼は、やわらかい言葉を話す。いつも、どんな話題でも、ゆるりと話し、さらりと読めてしまう文章を書く。抽象的でもあるけれど、つかみにくさはない。彼から生み出される言葉にはその時々みんな違った色と温度があって、イラストがじょうずだったら、顔をつけてみたいなと思うときがある。

上司は、時に堅く、常にわかりやすく話す。色でいうと青。天色、という黄みの少ないさわやかな、よく晴れた空の色の言葉だ。音でいうと、おばあちゃんちにある大きめの木のまな板の上できゅうりを切る音。
彼はよく、「俺達の仕事は、『わかりやすさ』を売ること」だと口にする。そう言うだけあって、彼の話は今まで話してきた誰よりもすとんと落ちる。保護者向けの報告書やメール、生徒向けの記事、英単語の小冊子など、塾には言葉をうまく扱ってまとめた書類がたくさんあって、生徒時代は塾からもらうそれらの書類を母が目を通したと見るや、すぐにふんだくり、コレクションする――ちなみにまだ残っているし、言葉に迷ったときは時々見返すようにしている――ほどのファンなのだ。ここまでくるとフェチかも知れない。わたしの生徒時代から10年を経て得たキャリアの間でパワーアップした彼と肩を並べて書類を作成し、しかも毎回校閲まで頼まれるなんて、夢にも思っていなかった。(わたしは日本語も英語もerrorを探すのがとても得意だ。)

わたしが尊敬する人は、みな例示がうまい。まったく関係なさそうな事柄を点と点をつなぐように結びつけて、想像力の乏しいわたしをうまく納得させてくれる。例示とは、もっとも人柄や話し方、普段触れているものや経験が出るものだと思っていて、彼も上司もそれがとても広くて、話していて飽きないし気持ちが良い。彼は幅広い知識見聞と彼が見てきた世界観を生かして、上司は今まで触れてきた実際の生活からの、例が多くて、本当に面白い。

はるちゃんの言葉も紹介したい。はるちゃんの言葉は、よく熟れた柿のような、とっても甘いみかんのような、やわらかくてあったかい言葉。(わたしにとっては)まだ肌寒いこの季節、寒くなってくる11月ごろくらいに聞きたくなる言葉――あ、これは嘘で、年がら年中聞いていたいです。――それは話し言葉でも書き言葉でも一緒で、彼女のきょうのnoteには何度も「くすり」と笑かされた。

わたしは言葉を扱う仕事をしている。でも、言葉はうまくない。話すのも苦手だし――大好きだけど――、音読は大に大をつけたいくらい苦手だ。(小学校の担任の先生が「音読がスラスラできる=よく理解していることですよ」と言われて、吃音持ちのわたしはさらに苦手になった。笑)でもだからこそ、上手だなって感じられるのかな、と、最近は感じる。言葉が上手い人が周りにたくさんいて、本当に本当に毎日たのしいし、うれしい。この広い世界で、彼ら・彼女らに出会わせてくれてありがとう〜〜〜神様。(時々入るよな、この感謝するコーナー。笑)

わたしのモットーは高校の時から、Seize the day。苦手な分だけたくさん見て聞いて、吸収していきたい。身近な言葉を大切に生きたい。


P.S. 写真は彼が送ってくれた東京の葉桜。彼とわたしをつなぐLINEの今のチャット画面を飾ってくれている、きれいなきれいな一瞬の写真。言の葉をイメージしてっていうのと、noteの写真おそろっちがしたくて。



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