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夏休みが明けることにうんざりしているあなたへ

社会人になって20年を軽く超えたある年、夏明けに体調を崩したことがあります。
原因が分からず、精密検査を受けまくりました。
結果は『異常なし』
そう言われ、トボトボと帰宅。
その2時間後に担当医から電話があり告げられました。
「肺に影があります」

つい2時間前に
「異常ありません」
と言ったその先生が
「肺に影があります」と電話で言いました。
さすがの私も固まりました。

うわ。
こんな風な思考になるんや。
後学のためにメモっとこ。
電話で宣告とかドラマかい。
とか頭がフル回転しました。どうでもいいことばかりが。

今思えば、
走馬灯と似ています。
昔、中学生の頃、自転車で横断歩道渡っている時に左折の車に轢かれて飛んだことがあったのだけど、ぶつかる前、車は本当にスローモーションに見えて、そしていろんな記憶がスライドのように高速で流れていきました。
走馬灯は脳がフル回転して、過去の記憶から危機を回避する手段を探すからなんだそうです。
なるほど本人の感情や意思があろうがなかろうが、肉体の根底には「生きる」という明確な意志があるんだな、と感じました。

結局検査の結果、私の肺には腫瘍があり、手術しなければ良性か悪性か分からないと言われ、じゃ手術します、と手術することにしました。
あれから色々ありました。
けど。
過去の自分より今の自分の方が好きだし、幸せです。

もうじき新学期ですね。
1年で一番、子供の自殺が多いと聞きます。

私、小学3年から卒業までいじめられっ子で、クラス中からシカトされていました。
集合写真に画鋲刺されて、机に砂かけられて、教室の掃除1人でさせられて、グループワークはもちろん無視される。
学校に行くのが嫌で、生きるのがシンドイと思ってました。

イジメられるようになったキッカケは特定の誰かをシカトするというクラスのボスが言い出した遊びを断ったことでした。
なんで私がそんな(くだらない)ことに加担せなあかんの?と。
ボスの逆鱗に触れました。
それからクラス中がシカト。
よくあるツマラナイ数々の嫌がらせが始まりました。
学校で誰とも話せないことがシンドイというより、色々なことがバカバカしくてこんな風に生きている時間は無駄だと思っていました。

先生は気づいていたはずです。グループワークはハブられ、クラスの後ろに貼ってある集合写真に画鋲が刺してあるんですから。でも知らないふりでした。
私の人生で学校の先生が助けてくれたことは一度もありません。
親には言いませんでした。

私はその頃、日々ある嫌がらせをゲームのイベントのように思っていました。
そうしないと上手に生きることができなかったのだと思います。
結果としてその経験が私の妄想癖を育み、今の文章を書く思考を育てたので、今になって大局で見れば無駄なことなんかないんだな、と思わなくもありません。
もう一度いじめられたいかって言ったらそんなことは絶対ないけど。

いじめられて、嫌がらせをされてツライ時、立ち向かえとか思いません。
シンドイなら全力で逃げましょう。
ゲームのイベントクリアするにも要件があるように、現実のイベントクリアにも要件があります。
今、無理、と思ったら無理なんだから、立ち向かう必要はない。
『真剣に生きる』
って、できないことに無理して向かって行くことじゃない。
自分、大事。
準備が整うまで、全力で逃げて生きればいいのです。

準備が整ったらそんなのただのゲームイベントです。
嫌がらせをしてくる人は「雑魚キャラだな」と思えば良いのです。
どうせあなたのこれからの先の人生で、その雑魚キャラはフリカケ程度の役割です。

何が言いたいかって言うと
今、絶望的なように見える状況は、フリカケが辛かった、というのと同じことです。
辛くて食べられないんだったらこれ以上かけなれければいいし、ピリ辛を楽しみたいなら適当にかければいい。
こんな辛いもん無理、と思うなら捨てればいいのです。

「逃げる」という言葉に抵抗感がある人がいるかもしれません。
その行為は言い換えれば「不味いフリカケを捨てる」に過ぎません。
ためらわずにとっとと捨てましょう。
いつか怖いもの見たさでちょっと食べてみたくなる時が来るかもしれません。
その時にまた食べてみればいいのです。

自分にとってよい秋をお迎えください。







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