キャベツを吸おうとした

 「俺たちもずいぶん出世したもんだなあ」

 俺が言う。

 「大したもんだ。ほんとに」

 親友が言う。

 お互いタバコを買う金に困らなくなったのはいつの頃だったか。俺は仕事をし始めたタイミング、それでも最初の頃は困ってた気もする。親友、つまり永山(仮名)は、俺が学生の頃もずっと働いていた。前回の記事で出てきた、東大を目指していたものの途中で諦めざるを得なくなった「親友」だ。今は近所に住んでいる。

 俺が学生で永山がフリーターだった頃、いつも月末になるとタバコ代の捻出に苦労していた。残り300円で10日かあ。もうマイルドセブンは買えない。わかばかあ。不味いからなあ。買うか。残り40円で10日。1日4円か。シャーペンの芯を何本か買ったらおしまいじゃないか。永山も似たような状況だった。

 実家から俺に仕送りが来る日と永山の給料日は数日ズレていたため、俺に余裕があるタイミングは永山が非常事態宣言を発令する頃だ。一番安いゴールデンバットを1カートン買って、東京の永山の家にレターパックを送った。逆に俺が非常事態宣言を発令して送ってもらうときもあった。あの頃、東京から届くレターパックは他のどんな届け物よりも嬉しくて、届くはずの日には部屋でまんじりともせず郵便配達を待ったものだ。

 たまに会うとその話になる。そのたびになんか俺たちはとんでもない苦境を乗り越えて奇跡的にここに立っている戦友同士のような気持ちになる。だが俺がいつでも金が無かったのは仕送りが来るとピザとか出前とか頼みまくるからで、真面目に頑張っていた永山とちょっと事情が違うのはあえて口にしない。2人して涙ぐむのだ。

 いつでも金が無かった。電気もガスも毎月止まる。1月のこんな時期に水のシャワーを浴びると、もう寒くてみじめで言葉も出ないが、上がってタオルで体を拭くと温度差で妙に暖かい。そんなときは世界中の全ての人に優しくなれるような幸福感が俺を包んだ。

 事故って外装がバキバキになった原付バイクは直す金も無くて、前輪が曲がったまま普通に乗っていた。目の前の生活費を捻出するために、命の次に大事な俺の「PS  Vita」は毎月のように古本市場へ売却され、仕送りが来るとまた中古品を買った。そして月末が来ると売却する。俺はこれを「不動産投資」と呼んでいた。

 食料はなんとかなる。食わなければいいのだ。水はそのへんの公園で飲める。問題はタバコだった。タバコだけは欠かすことができない。一番大事な生活上のインフラだ。

 俺はこの宇宙にある全てのものよりもタバコが好きだ。これはマジの話で、絶対に禁煙することはないだろう。中毒になっているからだ。
 だから地球で一番最後まで禁煙しないと決めている。

 どれぐらいの覚悟か。ここで仮に、「橋本環奈さん」を用意しよう。たとえばこの橋本環奈さんが「禁煙したらキスしてあげる」と言ってきたとする。するとどうだ。

 実際これはマジにヤバい選択肢だ。クソやばいな。だって俺は橋本環奈さん好きだろ? うわ! 迷うなあ!! マジ? マジの橋本環奈!? うわ〜、どうしよ。やめちゃおっかなタバコ(笑)なあ! ええ〜。ちなみに広瀬すずでもいい?

 勝手にしろ!

 古い週刊少年ジャンプを千切って、そのへんにある落ち葉をほぐして巻く。すぅ〜っと息を吸いながら火を点ける。これが成功すれば無限にタバコを生成することが出来るだろう。吉と出るか凶と出るか。肺に入れる。グワッホガッホガッホガッホゲホゲホゲー!! 出たことない咳が出た。ちょっと考えればわかることだったが、「焚き火そのもの」だった。

 ゴールデンバットは「両切り」と呼ばれる、フィルターの付いてないタバコだった。吸い口のところまでギッシリ葉っぱが詰まっている。

 金が無くなってくるとあえてこのゴールデンバットを買う。「シケモク」を残しておくためだ。「シケモク」とは「吸い終わったはずのタバコ」のことで、見ようによってはまた火を点けて吸えることから、残しておくと後でラッキーな気持ちになれる不思議な物体だ。ゴールデンバットはシケモクになったときかなり優秀で、指で持つ部分は必ず葉っぱが残る設計になっている。

 どうしても困ると、このゴールデンバットのシケモクをバラして悪魔合体させ、新たなる1本のタバコを錬成する。1パックのゴールデンバットから約5本のシケモク合体タバコを収穫することができることから「畑の肉」と呼んで俺に親しまれていた。

 これがどんな味かというと、世界の終わりみたいな味だ。クソまずい。「ポテトチップス 世界の終わり味」があったらこの味になるだろう。だが背に腹は代えられない。これを吸うしかないのだ。

 あるときまた金欠のさなか、ネットをつらつら見ていると「キャベツは吸える」という情報を手に入れた。タバコと同じように加工して、紙に巻いて火を点けるとタバコの代わりになるということだった。なるほど。タバコはナス科の植物で、他のナス科の植物も実はタバコの代わりになるのだ。

 バイトをしていたコンビニでキャベツの千切りが廃棄になっていたから貰ってきた。これが吸えるのか。俺はワクワクしていた。もう金欠に悩む必要はないのだ。

 まじまじとキャベツの千切りを見て、さっそく吸おうじゃないかと手を伸ばす。しかし、はたと気付いた。そのままではどう考えても火が点かない。みずみずしいからだ。

 乾燥させる必要があるようだ。めんどくせえな。しかし普通に乾かすだけでいいのだろうか? タバコを手で触ったことがある人はわかると思うが、タバコの葉はちょっとヌメっとした手触りだ。パサパサに乾燥しているのは却ってよくないとされている。

 ネットを調べる。「発酵させてから乾燥させる」とある。「発酵」だと? いい加減にしろ。発酵なんて意味わかんねえ工程を誰もが簡単に出来ると思うなよ。無視だ。直接乾燥させるぞ。

 しかし乾燥も大変だ。外に干したとして何日待つ? 俺は文明の利器に頼ることにした。電子レンジの登場だ。

 キャベツの千切りを皿に載せ、電子レンジに入れる。何分か知らんな。電子レンジには「キャベツ乾燥:○分」とは書いてない。てきとうに5分。要は水分を全て蒸発させればいいわけよ。5分待つ。チーン。

 電子レンジを使ったことがある人はわかると思うが、ものごとを電子レンジにかけるとどうなるかというと、どっちかっていうとビシャビシャになる。どうしてだろうな。コロッケとかもふにゃふにゃになるだろ? 不思議だ。サスペンスだ。

 キャベツも水が出てビシャビシャになった。ふざけんなよ。シナシナになったキャベツじゃねえか。あと10分だ。とにかく水分が蒸発するまで待てばよいのだ。

 電子レンジを回し、その様子を眺める。「シュー」。おお、蒸発してるねえ。勢いよく水分が蒸発している音が心地いい。しっかり乾燥して吸える状態になるんだよ。「シュー」。

 それは突然だった。

 ボウワッ!!! 電子レンジの中に炎が立つ。うお! 眺めていた俺は一瞬何が起きたか分からなかったが、とにかくこの炎を鎮火しなくてはいけない。ガチャ、電子レンジを開ける。もうもうとキャベツが燃えている。フーフーフー! 息を吹きかける。だめだ消えない。コップに水を入れてバシャっとかける。火は消えた。

 あぶなかった……。目を離していたら火事になっていただろう。
 取り調べで「キャベツを吸おうとしまして」と警察に説明して、果たして納得してもらえただろうか。

 新宿の周辺を車で走ると、とにかく金に困っていた学生時代を思い出す。実家に帰るときには必ず、新宿区の外れに住んでいた永山の家に寄って一晩じゅう語らってから大江戸線に乗って埼玉へ向かうのだ。夜まで寝て、また新宿で集合する。

 西武線の中井から大江戸線の落合南長崎までの間の区間には、ほとんど全ての場所に何らかの思い出がある。金が無いからあのへんを歩き回るのが俺たちの「遊び」だった。お互いに将来が不安すぎた。俺は完全なダメ人間だし、永山は「一生俺は非正規雇用だろう」と下を向いていた。

 「俺たちもずいぶん出世したもんだなあ」
 「大したもんだ。ほんとに」

 まだローンが死ぬほど残ってる俺の車のカーステレオで永山の選曲「Get Wild」を流しながら真夜中の新宿を走り抜ける。ダサい。どう考えてもダサいぜ。

 「チープなスリルに身を任せても、明日に怯えていたなあ」
 「なんかダサいなあ俺ら」

 思い出に浸りながら、新宿の夜が暮れていった。

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