「漫才やろうか」

 ちょうど去年の今ごろ、このnoteを始めるちょっと前のこと。真夜中にふと「漫談」をやってみたいと思ってネタを作った。俺の大好きなイギリスのコメディアン、リッキー・ジャーヴェイズみたいなちょっと社会派のネタ。政治や宗教みたいな「タブー」をほんのちょっとイジりながら基本的にはバカ話をするというもので、なかなか悪くないなと思った。

 ワンルームの俺の部屋のキッチンに向かって、10分ぐらいのネタを通しでやってみる。納得がいかないところはその都度修正を入れながら、30回ぐらい通してみた。練習するたびに新しいギャグが浮かぶ。それらを全部ネタに組み込んで、最終的には「曼荼羅」みたいなとんでもない漫談が完成した。すげえのができた……。耳元で、世界が変わる音がした。

 目の前のすべての扉が開くイメージが頭の中に駆け巡った。そうか、これから俺は漫談で食っていくのか。妙なほどしっくりきた。学生時代にギャグ漫画を描いてみたときには「二度と漫画なんか描きたくない」と思ったが、漫談だったらいくらでもやれそうだ。

 さっそくこのとんでもねえ新ネタを引っ提げて、お金を払えば出られるライブならいくらでもあるから、お客さんの前で披露してみようと思った。と、その前に、iPhoneに俺のネタを吹き込んで、自分でどんな感じか聞いてみよう。俺の最初のお客さんは俺自身だ。厳しい目で俺の漫談を「審査」しようじゃないか。

 「どうも〜」から「ありがとうございました」まで、本意気でネタをやる。時間はきっかり10分。完成度もなかなかのものだった。やりきった……。俺の「処女作」は、どんな感じで響くかな? ワクワクしながら再生ボタンを押す。

 iPhoneから俺の声が聞こえる。流れてきた「俺の漫談」は、もうグズグズもいいとこだった。びっくりするほど噛んでいて、「あの〜」とか「ええ〜」が想像の20倍は多かった。最悪なのは全てのボケを若干照れながらやっていることで、自分自身それにまったく気づいていなかった。まさに高校の文化祭で「おもしろキャラ」が即席の漫才コンビを組んでやるような「ただ愛しいだけ」のネタだった。聞きながら俺は真っ赤になっていた。

 世界を視野に入れて飛び立ったはずの俺の心の飛行機は、離陸直後にギガクラッシュした。粉砕した心は今も元に戻らずバラバラのままだ。でも漫談はいつかやってみたいから、たまにちょっと練習している。誰かの前で披露する日は来るんだろうか? だから俺は舞台に立っている人を全員尊敬している。ウケようがスベろうが、舞台に立って違和感が無い時点ですでにとんでもないレベルなのだ。

 大学時代、サークルの面白い先輩が芸能雑誌を持ってやって来た。見開きのページに色んな芸能プロダクションのオーディション情報が載っていて、その中には芸人の募集もあった。それを指差しながら、先輩は俺にこう言った。

 「漫才やろうか」

 おお……、すげえ。「すべての始まり」みたいなセリフを告げてきた。どこからかケツメイシの「涙」が聞こえてきそうだ。「すべての始まり」みたいなセリフを告げるのは俺の方が担当したかったから、かぶせるように俺は答えた。

 「漫才、やりましょうか」

 先輩がネタ作りとボケ、俺がツッコミで、新たな漫才コンビが誕生した。普段の会話がそんな感じだったから違和感は無かった。先輩は発する言葉の6割がボケで構成されている人で、ちゃんとツッコむと瞳をキラキラ輝かせるので、俺はテレビやラジオで色々ツッコミを勉強して先輩に試していた。俺はほんとに素晴らしい後輩だ。

 オーディションを受ける先はいくつか候補があったが、掲載されている中でいちばん「ネタ」を評価してくれそうな「トゥインクル・コーポレーション」を選んだ。ラーメンズとエレキコミックが中心になって作られた事務所で、その頃、所属芸人を増やそうと募集をかけていた。俺は当時「エレ片」という、エレキとラーメンズ片桐さんがやっているラジオ番組を毎週聴いていたし、エレキの今立(いまだち)さんのツッコミは少なくとも当時、地球で一番面白かった。それに「ラーメンズ」に関しては、俺の世代のお笑い好きは確実に何らかの影響を受けているほどの「カリスマ」だ。「トゥインクル」は、憧れの芸人さんが所属する憧れの事務所だった。

 オーディション当日までは数週間しか無かったが、先輩がすぐにネタを仕上げてきた。俺のやることは地球最高のツッコミ(エレキコミック今立さん)のような「例えツッコミ」をブラッシュアップさせること。大学の人けの無い場所の壁に向かってネタ合わせをしながら、良い感じにネタが仕上がっていく。

 うまくいくかは分からなかった。とにかく作った漫才をプロに見てもらうのが目的で、ワンチャン、トゥインクル主催のフリーのネタ見せライブに出させてもらえたら嬉しいな、という感じだった。「所属」まで行ってプロとして活動できるとは思ってなかったと思う。ちょうど漫画の「持ち込み」みたいな気分だった。

 京都駅から出る深夜バスに乗り東京へ。途中の足柄サービスエリアで白い息を吐きながらネタ合わせをする。そのたびに見つかる課題と、少しずつ上がる完成度。わずかな自信はバスが東京へと近づくにつれてどんどん緊張に変わっていく。カーテンの隙間から見える景色が夜明け前の東京のビル群に変わる頃には、もう吐き気と緊張で震える体を抑えるのが精一杯だった。

 知らない人を笑わせるってこんなに怖いのか。帰省するときは「関東に帰って来たなあ!」とほっとするはずの新宿の街並みが、見たこともない大都会に見える。道ゆく人がみんな、何をしても笑わない感情を失った棒人間に見えた。「ネタをやる」ってこんな気持ちなのかよ。こんな気持ちで人を笑わせられるのか?

 昼までそれぞれ時間を潰して、オーディション会場のある恵比寿駅に向かう。冬の冷たい雨が降り出して、緊張か寒さかタバコを吸う手はブルブル震えた。駅から歩いて20分ぐらいの、トゥインクルの稽古場が会場だった。ブツブツネタ合わせをしながら東京の狭い住宅街の道を歩いていく。

 マンション一階の地味な引き戸をガラッと開けると、そこにはもう20人ぐらいが集まっていた。40畳ぐらいの広さの、小さな体育館みたいな部屋。一番奥に長机があって、中央には多分トゥインクルの中川社長、その横にはマネージャーの富塚さん、反対側にはすごい偉そうな放送作家っぽい人、の3人がすでに座っていた。ラジオで聴いたことのある人たちが目の前にいる! ひえーと思いながら履歴書だけ渡して、時間まで座って待つ。

 部屋の隅には「ラーメンズ ALICE」などと書かれた段ボール箱が無造作に積まれていた。「これALICEの小道具!!??」と思わずお笑いマニアの血が騒いでしまう。いやいかんいかん。そのために来たんじゃない。笑わせるために来てるんだ。念のため「ちなみにCLASSICは?」と好きな公演の小道具をチラチラ探してしまう。いかんいかん! ……STUDYは?

 待っているとさらに10人ぐらいがバラバラに入ってきて、時間になりオーディションが始まった。部屋の後ろでみんな待機していて、ネタをやるときは前に出て、机に座る3人の前で披露するという形式だ。だから参加者全員に後ろからネタを見られることになる。俺と先輩のコンビは最後の方の順番だったので、しばらくみんなのネタを見学だ。

 結構面白いコントや漫才も披露されるんだが、前に鎮座する3人はクスリとも笑わない。後ろで見ている俺たちも、面白いんだけど笑うまではいかない。みんな緊張してるから、いわゆる「お客さんが固い」という状態だろう。テレビで出てきたら普通に笑うのにな、という感じなんだが、誰も笑うことなくオーディションは進行していった。

 30人ほどの参加者の中で、ひときわ体がデカい人がいて、みんな20代前半ぐらいの見た目なんだが、その人だけ30代っぽい風貌だった。みんなガチガチの中、その人だけ小慣れた感じで放送作家の人とも言葉を交わしている。めちゃくちゃ厳つい顔をしていて、150kgぐらいありそうな体格、丸坊主で髭を生やしている。目立つ見た目だし、アマチュアにしては小慣れすぎてるから、なんだろうあの人? と気になっていた。

 待ち時間は一応自由なので、先輩と外に出て最後のネタ合わせをする。うん、悪くないはず、悪くないはず。そんなことを思いながら部屋に戻りかける。するとそのデカい人がタバコを吸いに外に出てきた。せっかくだから話しかけてみた。

 「どんなネタされるんですか?」
 「ああ、漫談やってます!」
 「漫談ですか! へえ〜。お互い頑張りましょうね!」
 「ええ、頑張りましょう!」

 思ったより腰が低くて、気さくな人だった。お互いエールを送り合って俺と先輩は部屋に戻った。

 俺たちコンビが披露した漫才は、やっぱり笑いが起きなかった。そのとき出来るベストのパフォーマンスはしたつもりだったが、何かが足りなかったんだろう。放送作家の人が講評をする。ネタは悪く言われなかったものの、「見せ方」について注意を受けた。

 この放送作家の人はかなり辛辣だったから、ネタのダメ出しが無くて正直ほっとした。さっき1人コントやってた人にはこんなことを言っていて全員が凍りついたからだ。

 「今のはコントですか?」
 「……? はい、コントです」

 「あのね、笑いどころが一つでもあるものを『コント』と呼ぶんだよ?」「今のはコントですか?」

 こっっっわ!! 怖すぎる。一応みんなプロ目指して来てるはずだから、当然何言われても文句言えないんだが、場合によってはそこまで言われるのかと震えた。

 そのオーディションの大トリは、例のデカい人だった。前に出てさっそく自己紹介する。一言喋り出した瞬間、会場の空気がガラッと一変した。

 もう俺たちがやっていることとは全然レベルが違うことが、その瞬間からわかった。「テレビを観てるみたい」なのだ。声量、声色、喋り方、所作、なにもかも。俺たちはみんな「学園祭」レベルだった。その人の漫談は、一言目から「プロ」だった。

 ネタは、ボケを交えたエピソードトークを繰り広げながらどんどん脱線していき、最終的には全然関係ない話になっているという展開で、漫談としてはそこまで特殊なスタイルではなかった。だがもう会場を掴んでいるその人のネタは、ボケるたびに爆笑が起こる状態で、クスリとも笑わなかった前の3人も大笑いしてる。最後の最後で完全にモノが違う「芸」を見せつけられた。みんな腹抱えて笑いながら、その人の漫談は終わった。

 すげえものを見た。いや、見せてもらった。その人は大阪で8年ぐらいプロで活動していて、東京進出のためにオーディションに来ている人だった。失礼ながら名前は聞いたことなかったが、「プロの芸」はこんなにも違うのかと心から感動した。

 その人の名前だけは覚えて帰ろうと思って、オーディションの参加者一覧を見た。大トリの人の芸名。忘れないで覚えておこう。一覧の最後の行の名前。

 「街裏ぴんく」

 世の中にはこんなすげえ人がいるのか。すげえ。すげえな……。その回のオーディションでは、多分その人だけが合格して「所属」になった。

 それから4年後の「座・高円寺」で、先輩と2人で街裏さんの単独ライブを観に行った。もう今と変わらないスタイルの「全部ウソのエピソードトーク」というとんでもないネタに様変わりしていた。めっちゃくちゃ面白かったし、マジの「カリスマ」だと思った。こんなの見たことない! 世界最初のスタイルだと思う。たぶん。

 3月のR-1ぐらんぷりも、先輩の家でテレビで観ていた。もちろん一番応援していたのは街裏さんで、優勝が決まったときはちょっと2人で泣きそうになった。見たか世界! 俺たちはなんにもしてないのに何故か誇らしかった。俺たちは街裏さんの芸を後ろから見たことあるんだぜ。すげえだろ。すげえかな?

 あの場で後ろから、街裏ぴんくさんの漫談に一緒に爆笑してた面々で、あれからプロの芸人になった人はいるんだろうか。わからないけど、あの日あそこで集まっていたメンバーは、今年のR-1ぐらんぷり観てたかな。同じようにテレビで観て、同じように感動したのかな。もし会えたらちょっと話したい。

 ネタの間の待ち時間に、たまたま横にいた人がハゲヅラを持っていたので、借りて何人かで被せ合いながらクスクス笑い合った。緊張で引き攣るみんなの顔が、一瞬ゆるんだ瞬間だった。一応みんな「ライバル」だけど、ここにいる誰もが、笑わせたい人がいたり、もっと大袈裟に言うと、世界を笑いで包みたいと思ってここに来てるんだと思った。同じ志を持って、ネタ作って、震えるほど怖いし緊張するけど、人前で披露して。そうやって集まってる集団だと思うと、後ろで俺たちのネタを見てるみんなが味方に思えて力が湧いた。全然ウケなかったけど。ウケなかったけど。

 オーディションが終わって帰りの夜行バスに乗るとき、クリスマス前の新宿のビル群は妙に優しく輝いていた。「またおいで」と言っているような気がした。昼間の雨はすっかり上がって、街ゆく人はみんな、楽しげに歩いているように見えた。

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