音楽が正面に来るまでのこと
音楽の世界を探求してみたいと、一歩踏み出すには、色々あった。考えてみると、諦めたものもいくつかあった。
なんでか、小5くらいの時にJICAの協力隊に憧れ、戦争や貧困などに影響を受けている人たちを助けなければいけないと思っていた。とても漠然としており、どこか遠くの地を想像していたのだと思う。その漠然とした気持ちは高校〜大学に行ってもさほど変わらなかった。大学で職業について考え始めた頃、自分は地域開発や国際関係を学んで、いわゆる国際協力の業界に行くのだと思っていた。
ある程度は英語ができるようになり、cultural sensitivityのようなものがほんの僅かに身につき、こんなに国際問題にパッションがあるのなら、国連にも入れるんじゃないかって本気で憧れた時期もあった。いろんな要素が足りてないと自覚したのは後になってからだった。笑
でも大学時代に「世界青年の船」に乗ってから、船に取り憑かれるようになった。「次世代のグローバルリーダーを育成する」と謳う内閣府主催のプログラムには世界10カ国からさまざまな志を持った同世代の参加者が集った。動物園を超えて野生のサファリのようなカオスの中で濃密な人間関係を築き、本気で社会に良いものをもたらしたいと願う仲間たちと学び合う、行動を起こす船内の環境は本当に素晴らしかった。
このプログラムで、大学卒業後に1年半ほど「管理部員」として働けたことは本当に宝物のように感じている。
だいぶ趣旨が違うけれど、ピースボートの地球一周の船に乗って、また船に引き寄せられた。ここでいろんな社会問題に触れた後、もっと、学びが凝縮された教育分野で働きたいと思った。
コロナ禍で就職したUWC ISAK Japanという軽井沢のインターナショナルスクールは、実に、面白いところだった。社会起業家の運営する学校で、アカデミックであり、新しい風の吹くクリエイティブさがあり、これこそ、わたしが憧れた環境、国籍が人種がどうこうという前に、ものの考え方の多様性が、本当に受け入れられるような環境だと感じた。少しでも学校運営に携われたことがとても幸せだった。
でも、続かなかった。それは、今考えても結構悔しい。ずっと求めてきた環境なんじゃないのか?こんな良い仕事・学びの環境はないのでは?と、辞めるのに時間がかかった。
辞めてからも、本当にいろんな人に相談に乗ってもらった。
フリーランスの人やサラリーマン、起業した人、非営利団体の人、アーティスト、船乗り、教授…そして2足・3足・4足以上の草鞋を履きこなす人。笑 刺激を受け励まされる一方で、なぜわたしは方向性が定まらないんだろうとすごく悩んだし自分をよく責めた。
でも歌うことは小さい頃から染み付いていて、それはいろんな場面で気づいてはいた。3年前に父が亡くなるまで、はっきりと向き合うことはできなかった。音楽は正面には来なかったし、来てしまうと、いわゆるキャリアとか、社会的な安定だとかが築けないと思っていた。
でもだんだん、これをやらないで、何をするの?、と思うようになれた。そして、全く自分でもふしぎな展開で、歌でデビューする機会をいただいた。
では今はというと、絶対に音楽だけで進む、と決めているわけじゃない。この考えは変わる可能性もあるけど、音楽一本に絞るほど、今は度胸がないのが本音かもしれない。そしてまだまだ世界中の小さな・大きな船に乗りたい、海を知り、風と波と自分の関係をもっと深めたいと思っている。欲張れば、環境や人類学や哲学もちゃんと勉強したい。
でもこれまでにないほど、わたしは歌うんだ、と思っている。さまざまな形で自分を表現する人たちとコラボして、何かを一緒に生み出してみたい。時間がすごくかかると思うけど、自分を縛っているものたちを少しずつ解いて、美しい場面とその先にいきたい。
先月、地球一周の船でのお仕事を終えて、それまで自己効力感がすごく低かった状態から一気に引き上げられた感覚がある。船旅の先々で見聞きし感じた、この世の混沌と苦しさを忘れてはいないけれど、世界中がこんなに美しいものたちで溢れ、自分の中にも秘めていることをずっと信じていたい。船旅には、とても感謝している。
..それで、何が言いたかったんだろう。まあただ、誰かに読んで欲しかったんですね。笑
こういう感じなので、またふらふらするだろうし、今も音楽とその他の活動や収入のバランスをどう取るのか、不安はある。
だけど、音楽からはもう離れないでいたい、先延ばしにしない。
私の目の前に音楽は来た、そして私の中で、動き出しているのを感じる。
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